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はじめに

FRBのミラン理事が9月22日に行った講演は、政策金利の適切な水準が2%台中盤という結論が注目を集めているが、ロジックにも興味深い面があるので、本コラムで全体の内容を検討したい。

枠組みと問題意識

ミラン理事は、政策金利の適切さを考える上でTaylor Ruleが有用と説明した。また、FRBが、インフレギャップと雇用ギャップの動きに比べて自然利子率の変化を軽視してきたと批判し、推計の困難さは、潜在成長率や自然利子率も同じであると主張した。

その上で、自然利子率は、高水準の移民と財政拡張による国内貯蓄の減少によって低下していたが、今や逆の動きが生じ、現在の金融政策が想定以上にタイトとの考えを示した。具体的には、以下にみる点を考慮すると、適切な政策金利は2%台中盤にあり、現在より2%ポイント低いとした。

ミラン理事がTaylor Ruleに関してインフレギャップと雇用ギャップの各々に対する係数を固定して議論することは、少なくともFRBの多数派によるリスクバランスアプローチとは相いれない。リスクバランスアプローチをTaylor Ruleに即して言えば、これらの係数を柔軟に変えることを意味するからである。

また、仮にミラン理事がTaylor Ruleを持ち出した意図が政権による金融政策への影響力の強化にあったとすれば、事態はより厄介だ。Taylor Ruleは、その理論的意義に拘わらず、 シンプルさもあって、しばしばFRB批判のツールとなったからだ。

インフレ率の変化

ミラン理事は、住居費の低下がインフレを減速させると主張した。

まず、住居費がPCEインフレ率では約16%、CPIインフレ率では倍以上のウエイトを持つ点を確認した上で、新規契約のレントは前年比1%まで減速し、これが全体に波及することでCPIのレント上昇率は2025年の3.5%から2027年に1.5%まで減速するとの見方を示した。従って、2028年までにPCEインフレ率も0.4%ポイント減速し、最適な政策金利を0.5%ポイント押し下げるとした。

さらに、Saizの推計によれば移民によるレントの弾力性が概ね1である点に言及しつつ、毎年100万人に達していた移民がゼロになれば、レントの上昇率は毎年1%ポイント下押しされると主張した。インパクトの大きさはともかく、移民が本当に抑制されたままであれば、レントを通じたディスインフレが作用するとの見方は実際に幅広く共有されている。

自然利子率の低下

次にミラン理事は、多様な要因によって自然利子率が大きく低下するとの考えを展開した。

第一に、人口が過去数年に主として不法移民によって毎年1%程度増加したが、今年中に2百万人程度の移民が海外に退出するとの想定の下で人口成長率が0.4%へ低下するとした。その上で、ワイスク氏らの推計を踏まえ、高齢化の効果もあって自然利子率を0.4%ポイント引き下げるとした。この点に関しては、移民の多くない日本での低金利圧力が、米国でも同様に作用すると指摘した。

第二に、関税引上げが国内貯蓄を増加させるとした。具体的には、 CBOによる試算(年間3800億ドルの歳入増)に言及し、Rachel and Summersの推計を踏まえれば、国内貯蓄の対実質GDPでの1.3%ポイントの増加が自然利子率の0.5%ポイントの低下につながるとした。

さらに、「東アジア諸国」が相対的に低い関税を得るためコミットした融資や保証が合計で9000億ドルに達した点に言及し、国内信用の増加を通じて自然利子率を0.1%ポイント引下げるとも主張した。この間、関税引上げのコストは主として輸出企業が負担するとも付言した。

第三に、大規模減税が経済成長を通じて国内貯蓄を増加させるとした。CEAの推計をもとに10年間の効果が3.83兆ドルに達するとし、同じく国内貯蓄の対実質GDPでの1.3%ポイントの増加によって自然利子率が0.5%ポイント低下するとした。一方で、今後数年間に設備投資は10%程度増加するが、それによる自然利子率の上昇は0.1%ポイントに止まると主張した。

第四に、規制緩和は資本の限界効率の改善を通じて、自然利子率を引き上げるとした。また、規制は生産性の成長の抑制等を通じてインフレ圧力になると批判した。もっとも、CEAの推計をもとに、規制緩和は今後20年に亘ってTFPを0.5%ポイント押し上げ、エネルギー政策の変更も今後10年にわたって0.1%ポイント押し上げるとしても、自然利子率の上昇は0.1~0.2%ポイントに止まるとした。

ミラン理事による主張のうち、まず、移民の減少による国内貯蓄の増加の根拠は必ずしも明確でない。ただし、高齢化の進行途上で貯蓄が増加しうることは日本の経験通りである。また財政面に関しては、CBOの試算が示すように、関税引上げによる歳入増と大規模減税による歳入減が概ね相殺すれば、国内貯蓄の増加が実現するには政府でなく家計において生ずる必要がある。

また、これらを通してみると、聴衆は、自然利子率の変化を議論しているはずなのに、トランプ政権による政策のプラス効果をアピールされた印象を受けたかもしれない。

GDPギャップの変化

ミラン理事は、GDPギャップの変化による影響にも付言した。

まず、CEAの推計をもとに、今後10年間に政府の歳入は800億ドル、歳出は1300億ドル、各々毎年減少するとした上で、前者の乗数が大きいとの見方に基づき、GDPギャップを0.2%を改善し、最適な政策金利を0.1%ポイント引き上げるとの見方を示した。

一方で、先にみた規制緩和やエネルギー政策の変更がTFPを上昇させ、(需要側の)実質GDP成長率への波及には数年のラグがあるため、最適な政策金利を0.1~0.3%ポイント引き下げると主張した。つまり、GDPギャップの変化の面でも、総じてみれば最適な政策金利は低下するとの考えを示した。

最適な政策金利

ミラン理事は、現在の自然利子率の推計値は1~2%、medianは1.3%であり、自然失業率を4%とすれば、現在の2.6%のPCEインフレ率の下で、Taylor Ruleによる最適な政策金利は3.9%となり、実際の政策金利に近いと説明した。しかし、これらの議論で検討した多様な要素を考慮すれば、自然利子率は1~1.2%ポイント、最適な政策金利は2%ポイント程度各々低いと主張した。

プロフィール

  • 井上 哲也のポートレート

    井上 哲也

    金融イノベーション研究部

    

    内外金融市場の調査やこれに関わる政策の企画、邦銀国際部門のモニタリングなどを中心とする20年超に亘る中央銀行での執務経験と、国内外の当局や金融機関、研究機関、金融メディアに構築した人脈を活かして、中央銀行の政策対応(”central banking”)に関する議論に貢献。そのための場として「金融市場パネル」を運営し、議論の成果を内外の有識者と幅広く共有するほか、各種のメディアを通じた情報と意見の発信を行っている。2012年には、姉妹パネルとして「バンキングパネル」と「日中金融円卓会合」も立ち上げ、日本の経験を踏まえた商業銀行機能のあり方や中国への教訓といった領域へとカバレッジを広げている。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。