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ECBのラガルド総裁の記者会見-Dual keys

2020/06/05

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はじめに

ECBの今回(6月)の政策理事会は、Covid-19問題への対応として4月から実施している緊急資産買入れ(PEPP)を6,000億ユーロの規模で拡大するほか、買入れ期間を来年6月までと半年間延長することを決定した。もっとも、興味深いことに、ECBによるPEPPの位置づけには変化の兆しもみられた。

経済見通し

政策決定の内容を検討する前に、ECBの執行部による新たな経済見通しを確認しておきたい。

2020~22年の実質GDP成長率の新たな見通しは、▲8.7% →+5.2%→+3.3%となった。前回(3月)とは全く環境が違うので、修正内容を検討する意味は乏しい。むしろ、比較相手として意味があるのは、同じく執行部が先に示したシナリオ分析の方であり、その意味ではこれらの数字にも大きなサプライズはない。

ラガルド総裁も、冒頭説明で、ユーロ圏が前例のない景気減速に直面しており、4月をボトムに第3四半期には回復が明確になるとしつつも、その強度やペースには大きな不透明性が残るとした。

実際、執行部は新たなシナリオ分析も開示しており、severeシナリオでは、2020年から3年間の実質GDP成長率が▲12.6% →+3.3%→+3.8%と推移するとした(この場合、2022年末の実質GDPの水準は、2019年末を100とした場合95弱に止まる)。

一方、2020~22年のHICPインフレ率の新たな見通しは、+0.3% →+0.8%→+1.3%となった。ラガルド総裁は、経済活動の自粛に伴う影響やその後の消費や投資の慎重化といった総需要要因が、総供給側の制約要因を大きく上回るとの見方を示唆した。

同じく、執行部の新たなシナリオ分析によれば、severeシナリオの場合、 2020 年から3 年間の HICPインフレ率 が +0.2 % →+0.4%→+0.9%と、目標をかなり下回って推移するとした。上記の見通しに比べて、見通しの最終年には0.4%下方に乖離する。

政策決定

冒頭に見たように、今回(6月)の政策理事会では、PEPPの6,000億ユーロの増額と買入れ期間の半年間の延長を決定した。

ECBが今月初に公表したデータによれば、当初7500億ユーロの規模で実質的に4月からスタートしたPEPPは、5月末までの2か月間で約2,340億ユーロを実際に買入れた(このうち、国債は約1,860億ユーロ)。つまり、残された枠は5,100億ユーロ強であった。

ECBが今後もハイペースで買入れを続けるかどうかには不確実性もあるが、機械的に推計すると、9月には7,500億ユーロの枠を使いきるだけに、当初の買入期限である本年末までもたなくなる。このため、市場では、6,000億ユーロといった巨額かどうかは別として、PEPPの増額自体は広く予想されていた訳である。

また、ECBがユーロ圏経済の回復ペースに慎重な見方を維持している以上、本年末で緊急対策が終了するというのも整合的とは言えない。その意味で、買入れ期間の延長に関しても、6か月かどうかはともかく、市場の多くが予想していた内容であった。

しかし、今回の決定で注目されるのは、資産買入れ策の強化の理由である。声明文もラガルド総裁の冒頭説明もともに強調したのは物価見通しの顕著な低下であり、物価目標の実現のためにPEPPを強化したと説明した訳である。

これに対し、数名の記者は質疑応答の中で、PEPPは(その名の通り)危機対策との位置づけであった点を指摘し、更なる説明を求めた。ラガルド総裁は、Covid-19問題が生ずる以前の緩やかなインフレ率の加速パスに戻すことが目的であると指摘した。

その上でラガルド総裁は、PEPPには2つの目的(dual keys)があるとの理解を示し、具体的には、①市場のストレスを抑制し、 fragmentationを防止することで、金融政策の波及を維持することと、②物価安定を実現することとした(前者を「transmission」、後者を「stance」と称した)。

そして、PEPPは、当初は①に強力な効果を発揮したが、現在は ②が相対的に重要になりつつあるとし、大規模な資産買入れによる緩和的な金融環境の維持が物価を下支えする上で不可欠との理解を示した。また、ユーロ圏でのデフレリスクに関する別の複数の記者による質問に対しても、ECBにとって最も重要な課題として政策理事会で議論したことを説明した。

ECBがインフレ目標の達成を目指して金融緩和を強化すること自体には何らの違和感もない。それでも、当初は危機対策として導入されたPEPPが物価見通しに基づいて運営されるようになるのであれば、やはり位置づけの変化を感じざるを得ない。実際、ラガルド総裁による説明が示唆するように、少なくとも目的のウエイトが変化したことは事実であろう。

その理由は質疑応答で直接に明らかになることはなかったが、ドイツ憲法裁判所による先般の判断と全く関係がないとも言い切れないように思える。

実際、多くの記者がこの問題を取り上げたが、ラガルド総裁は、 ①ECBは欧州機関として欧州司法裁判所(ECJ)に服する、② ECJは2018年にPSPPがECBのマンデートに沿っていると判断した、③ドイツ憲法裁判所の判決には、ドイツの議会と政府が適切に対応することを期待する、という説明を繰り返した。

それでも、ドイツ憲法裁判所が結果として提起した問題は、ECBの資産買入れが常態化した場合の副作用であり、その中には域内国の財政に対する実質的な支援の問題が含まれる。 その意味では、ラガルド総裁が繰り返し強調したように、ECBが自ら政策のコスト・ベネフィットや有効性を常に検証することは重要である。その上で、資産買入れをECBの本来の目的である物価安定により明確に関連付けることは、外部からの批判に対する有効な防御策になることも確かである。

PEPPの下では、国債だけでなく社債やCPも大量に買い入れており、今回のように規模や期間にも伸縮性があるなど、ラガルド総裁が強調した柔軟性がこれまでは十分に発揮されてきた。しかし、もしも今回の政策決定の背後に上記のような議論があったとすれば、今後の柔軟性には一定の歯止めがかかることになる。

その場合、本当の意味での危機対策は、ESMや来年以降の欧州連合の新たな復興基金が担うことになる。

執筆者情報

  • 井上 哲也

    金融イノベーション研究部

    主席研究員

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