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ECBによる金融政策運営の見直し(その1)

2021/07/09

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はじめに

ECBは、2020年初から検討を進めてきた金融政策運営の見直しについて、理事会で合意がみられたとして、急遽結果を公表した。物価目標の対称化と気候変動への対応という二つの柱は、市場予想の範囲内であったが、各々の内容には興味深い論点も含まれている。本コラムでは、気候変動以外の内容を検討する。

物価目標について

急遽開催された記者会見でラガルド総裁は、物価目標に関する見直しのポイントとして、①上下に対称な2%目標への移行、② 目標の中期的位置づけの明確化、③HICPへの帰属家賃の取り込みの3点を挙げた。

このうち①は、まず、「2%以下で2%に近い」という現行の目標を、単純な「2%」に代えることを意味する。ラガルド総裁は、2%が上限との意味合いをなくし、インフレ期待のアンカーに資するとともに、明確でわかりやすく、国際標準でもあると説明した。

加えて①については、声明文もラガルド総裁の説明も、上下いずれの乖離も望ましくないとの考えを強調した。もっとも②では、政策効果のラグ等を考慮して、目標の達成を中期的に目指すとし、これにより雇用や金融安定、気候温暖化などの課題に柔軟に対応しうるとした。

加えて、低インフレで政策金利がELBの近傍にある際には強力で持続的な金融緩和が必要であり、一時的にインフレ率が2%をやや超える事態を容認する考えも併せて示唆した。

このため、質疑では多くの記者がインフレ率のオーバーシュートに関する対応方針を明確化するよう求めたが、ラガルド総裁は公表文の表現に即して上記の説明を繰り返したほか、FRBによる平均インフレ目標とは明確に異なると指摘した。

この点を理解する上では、インフレの目標からの乖離に対しては局面や原因、持続性によって柔軟に対応するという公表文の7.に示された考え方が重要となる。つまり、原則として上下双方の乖離を許容しないが、ELB近傍のような局面に限り、上方への乖離を結果的に容認するのであろう。オーバーシュートに難色を示していたブンデスバンク等も含め、全会一致の合意を得るには、これが最大限の内容であったと推察される。

記者会見の中では、ドラギ前総裁の在任以来、インフレ目標の安定的な達成ができなかった中で、一時的なオーバーシュートを容認する意義を問う指摘もあった。ラガルド総裁は、これまでは財政出動が不十分だったが、Covid-19への対応を通じて政策協調の意義が理解されたため、今後は財政面の支援も期待しうるとの見方を示した。

一方、③についてラガルド総裁は、記者の質問に答える形で、 ECBが実施したユーロ圏市民との対話の中で、消費支出の大きなウエイトを持つ住居費が、適切に反映されていないとの批判が多かったと説明した。ただし、HICPに対する帰属家賃の取り込みはEurostatによる数年単位のプロジェクトとなるため、その間はECB独自の試算によってインフレ率に加味する考えを示した。

ユーロ圏でも、米国ほどでないにせよ、都市部の住宅価格は上昇している。従って、直ちに住宅価格を物価に取り込めば、インフレ目標の達成はより容易になるかもしれない。もっとも、HICPの改定には時間を要し、しかもECBが中期的なインフレ目標の達成を目指すことを考えると、この変更によって政策運営に直接的な影響を及ぼす可能性は大きくないように見える。

政策手段と政策判断について

ラガルド総裁は、金融政策の主たる手段が政策金利の調節である一方、ELBの近傍では、必要に応じてフォワードガイダンスや資産買入れ、TLTROのような手段を活用する方針を確認したと説明した。また、質疑の中では、政策金利の調整にはマイナス金利が含まれる点を明示するとともに、政策手段の選択はいわゆる「pecking order」であるとの考えも示した。

質疑応答では、PEPPの運営見直しに関する議論の有無を質す向きもみられたが、ラガルド総裁は明言を避けた。おそらく、この問題は政策運営の見直しではなく、通常の政策判断の中で扱われるのであろう。

一方、今回の見直しの結果、政策判断を行う上での「2つの柱」にも変更が生じた。従来は、実体経済と通貨の2つの面から各々の分析を行うことで相互にチェック機能を発揮させていたが、これからは、実体経済と通貨・金融の2つの面からの分析をより総合的に行うこととなった。

ラガルド総裁は、見直しの背景として、金融危機の経験を踏まえて実体経済と金融との相互作用の重要性を認識した点や、金融政策の波及を評価する上で有用である点を説明した。ただし、通貨を重視する考え方はブンデスバンクを継承したものであり、先に見たインフレ目標の対称化とともに、少なくとも象徴的にはブンデスバンクの遺産が消滅する意味合いも有する。

コミュニケーションについて

今回の見直しでは、金融政策に関する対外発信も対象となった。この点に関する公表文の説明(11.)はやや抽象的であるが、ラガルド総裁は、代表例として、政策理事会後の公表文(introductory statement)を大幅に短く明確なものとし、表現も平易なものとする方針を示した。おそらく、FRBや日銀のようなスタイルになることが予想される。

併せてラガルド総裁は、見直しの過程におけるユーロ圏市民との対話の教訓として、金融政策の運営を家計にもわかりやすい形で説明することの必要性を認識したとして、スマートフォン時代に沿った新たな発信手段の導入も示唆した。

政策運営への影響

上記のように、今回の見直しは中期的な観点に基づくものであり、ラガルド総裁も質疑応答で説明したように、直ちに政策運営に大きな影響を及ぼすことは考えにくい。特にインフレ目標については、ECB執行部の見通しが正しい限り、年内の一時的な現象を除けば、オーバーシュートの蓋然性も低い。

より長い目で見た場合、物価目標の対称化によって、ECBのハト派バイアスが強まるとの理解は可能である。もっとも、物価目標の中期的性格を確認し、他の政策課題への対応の柔軟性を確保した点の意味あいにも注意する必要がある。例えば、金融システムに過熱感が生じた場合には、インフレの状態に関わらず、政策金利の変更の余地も生ずる訳である。

執筆者情報

  • 井上 哲也

    金融デジタルビジネスリサーチ部

    主席研究員

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