従来とは異なる価値創造が求められるデジタル化
企業がデジタル技術を活用して事業を変革する「デジタルトランスフォーメ―ション(DX)」の動きが世界的に進展している。世界の企業はDXにどのように取り組んでいるのか。DXを成功させるカギは何か。企業のデジタル化の研究者で、数多くのグローバル企業にコンサルティングを行うMITのピーター・ウェイル氏に語っていただいた。
語り手
マサチューセッツ工科大学
スローン・マネジメント・スクール 情報システム研究センター(CISR)議長
ピーター・ウェイル氏
2000年 マサチューセッツ工科大学スローン・スクール・オブ・マネジメント情報システム研究センター(CISR)のディレクターに就任。07年 同大学で卓越した教師に送られるアワードを受賞。08年 CISR議長就任。08年 米国メディア『Ziff Davis』において世界で最も影響を与えた人物トップ100の24位にランクイン。アカデミックでは最高位。
聞き手
株式会社野村総合研究所
代表取締役社長
此本 臣吾
1985年 野村総合研究所入社。台北事務所長、台北支店長を経た後、2003年 コンサルティング第二事業本部副本部長。04年 執行役員、10年 常務執行役員 コンサルティング事業本部長、15年 代表取締役 専務執行役員 ビジネス部門担当、コンサルティング事業担当を経て、16年より現職。近著に「2020年の中国」(2016年3月、東洋経済新聞社)。
世界中で高まるDXへの関心
此本:
野村総合研究所ではIT事業を「コーポレートIT(CIT)」と「ビジネスIT(BIT)」の2つに分けて考えています。CITとは、従来型のバックオフィスなどで使われる大型システムのことです。一方、BITは、お客様のフロントラインに直接関係するITで、デジタルマーケティングやFinTechが含まれます。
お客様と話していると、「CITにかかる巨大なITコストを効率化したい」、「売上を伸ばすため、ビジネスに直結するBITの投資を増やしたい」という声を多く耳にします。
ウェイル:
ビジネス界がITにこれだけ強い関心を寄せたことはかつてなかったと思います。ただし、「IT」という表現はもう使わず「デジタル」と呼んでいます。また従来、システム会社の顧客といえば企業のIT部門でしたが、今や組織の幹部クラスがクライアントになっています。これはとても大きな変化です。
われわれとつきあいのある会社は例外なくデジタルトランスフォーメーション(DX)に強い関心を持っています。
オートメーション化で効率化を図るとともに、いかにお客さまのさまざまなライフイベントに対応して顧客体験を向上させるかにも力を入れています。
此本:
一つ言えるのは、BITに対しての投資意欲は今のところ金融より産業分野(製造業や流通業)が先行しているということです。今後、金融分野で本格化すれば、マーケットは一気に拡大すると思います。
ウェイル:
確かに、世界的にも製造業の方が金融よりDXへの関心は高いですね。
製造業ではどんどん新しいアプローチが生まれています。シンガポールのグローバル製造企業のフレックスでは、顧客に「スケッチ・トゥ・スケール」というソリューションを提供する新しい戦略を打ち出しています。これは、お客さまが作りたいと思う製品の絵を描いたら、6カ月後には大規模に生産できるようにするというものです。ナイキは運動用のウエアラブルバンドを同社と開発しています。
フレックスではこの戦略のために、センター・オブ・エクセレンス(CoE)を中心に組織を再編しました。バッテリー、GPS、インターフェース、セキュリティーなどについてそれぞれCoEを設け、顧客の依頼があった時に、すばやく必要な規模の生産体制を構築できるようにしたのです。
金融分野においても、「家を持つ」という顧客のライフイベントに対して、銀行はデジタルエコシステムを作ろうとしています。物件を探すところから、住宅ローンを組む、売買契約を締結する、住宅保険をかける、引っ越しをする、そして維持費を支払うところまですべてデジタルで提供しようというわけです。
つまり銀行も、分野は違いますがアマゾンのような存在になろうと自らを大きく変革しようとしているのです。米国では住宅ローンはコモディティー化しており10分もあればインターネットで探すことができますので、それだけを提供しても価値は生み出せません。
此本:
私は、DXというのはテクノロジーの問題ではなくて、ビジネスモデルの問題だと思っています。ですから、企業にとって何が一番の強みか、その強みをデジタルの力でどう発揮させていくかがポイントとなると考えています。たとえば、商品力が強い会社なら、いかにDXを利用して顧客にその商品の良さをしっかり伝えるかが重要になるでしょう。
ウェイル:
同感です。一つ例を挙げましょう。私は香港の最大手企業の一つ、李錦記の諮問委員会のメンバーを務めています。李錦記には、醤油やオイスターソースなどソース類の製造と健康・美容製品の製造の2つの事業があります。後者では漢方も作っており、これを近代化し、品質面で認証を取得しています。
彼らがユニークなのは、ウェアラブルなデバイスでどれだけ睡眠をとったか、どれだけ食べたかなどのデータを集め、これらを基に「幸福度」を計測できるようにしているところです。単によい製品を提供するだけでなく、幸福度を向上させるためにどのように製品を組み合わせて提供するのがよいか考えているわけです。
此本:
面白いビジネスモデルですね。今までは、面白いビジネスが誕生すると右に倣え、という面が少なからずあったと思います。しかし、DXでは「隣がやっているから」「アメリカでこういう事例があるから」では成功しないのではないかと思っています。
DXでトップラインの改善は難しい
此本:
DXを成功に導く要因はどこにあると分析していますか。
ウェイル:
MITでは、世界の大手企業813社を対象に、どのようにDXを進めているか分析をしました。分析の枠組みとして、横軸に「業務効率性」、縦軸に「顧客体験」をおき、それぞれ「従来通り」「変革済み」の2つに分けた2×2のマトリクスを考えます。
この分析によると、大企業の約半分はまだ、縦横軸ともに「従来通り」のマスに留まっています。われわれはここを「サイロ&スパゲッティ」と呼んでいます。これらの企業は、システムやデータ環境が複雑で、利益率は業界平均を5%下回っています。一方、DXを通じて、縦横軸ともに「変革済み」となった「未来対応」のマスに辿り着いた企業は23%でした。これらの企業の利益率は業界平均より16%高くなっています。
DXで目指すべきは「業務効率性」と「顧客体験」の両方の向上だと思っています。すなわち、コストを削減するため自動化を進めながら、そこで節約したお金で、もっとイノベーションを生み出していかないといけないわけです。
此本:
興味深い分析ですね。
今、おっしゃった「業務効率性」、「顧客体験」の向上と少し似た概念かもしれませんが、私はDXの効果には、「経費率を改善する」と「新しい価値を創造する」の2つがあると思っています。それぞれ、ボトムライン、トップラインの改善が期待できるわけです。ところが、世の中で喧伝され実際に効果が出ているDXの事例はほとんどがボトムラインの改善の話です。
ウェイル:
そうですね。
此本:
もちろんトップラインを改善しようとした事例もありますし、いろんな会社がチャレンジをしています。ところが、実際にそうした試みで売上が伸びた、顧客が対価を支払ってくれた、といった話になると途端に少なくなります。
たとえば、ある日本の大手メーカーで従来の店舗販売からダイレクトモデルへとビジネスモデルを変えるのに成功した事例があります。これまではマス広告を使って販促を行い、お客さまには製品を扱う小売店に来てもらっていました。ですので、お客さまとのコミュニケーションは小売店を通した間接的なものに限られていました。そこでDXを通じて、お客さまには自由にチャネルを選択してもらい、メーカーは直接コミュニケーションをとることができるようにしたのです。その結果、従来の店舗チャネルとは異なる新しい顧客層が増えるとともに、マーケティングのROIも向上しました。しかし、売上が大幅に増えたかというと、そうはならなかったのです。
ウェイル:
先ほどのわれわれの分析でも、「顧客体験」はそのままで「業務効率化」だけ成功した企業を見ると、利益率は業界平均を4%以上上回っていますが、トップラインは伸びていません。
私はトップラインの改善にも成功した会社の事例をいくつも挙げることができますが、確かにコストの改善のほうが効果が出やすいということはあると思います。ですから、まずはコストの改善から取り組むのはよいと思います。
ただ、「効率化」と「顧客体験」の両方の向上に成功している企業も23%あります。また銀行、小売、通信業などでは特に、コストを改善しただけでは十分とはいえません。こうした業界では企業とお客さまの間に、FinTechのような革新的なサービス提供者が入ってくるからです。旅行会社、決済、クレジットカードなどの分野ではもう現実にそうなっています。
トップラインを伸ばすには、お客さまに従来とは違った価値を提案していかないといけないと思っています。従来通りに製品を売り続けても、せいぜいその製品の販売量を増やすことしかできません。顧客のライフイベントに注目したサービスの中で製品を提供するなど、工夫していくべきです。
此本:
そうですね。
ただやはり現状でいうと、デジタル技術で斬新なサービスやマーケティング手法を導入すれば売上は伸びるかというと私は懐疑的です。
もっとも、これはレガシーな巨大ビジネスを持つ伝統的な会社の話かもしれません。最初からデジタルに最適化された組織を持つ会社では反応も全然違うでしょう。
ウェイル:
その通りだと思います。
先ほどの枠組みを使うと、「サイロ&スパゲッティ」のマスから「未来対応」のマスに移行する経路には4つあると考えています。一つ目は、まず顧客体験を改善し、その後に効率を上げる経路、二つ目は、まず効率性を改善して、その後に顧客体験を向上させる経路です。三つ目は、効率、顧客体験を両方とも少しずつ改善する経路、そして四つ目は親会社はそのままで、「未来対応」型の別会社を設立する経路です。
大企業の多くが、四つ目の経路を取っています。たとえば自動車会社のBMWやAudiは親会社の変革が難しいので、カーシェアなどの「モビリティ(移動)」サービスについては子会社を作り、そこで対応しています。
イノベーションを促すBIT
此本:
ITを利用する企業だけでなく、弊社のようなITを提供する立場からみても、CITとBITではかなり大きな違いがあります。
ウェイルさんもおっしゃっていた通り、DXではお付き合いする相手がお客さまのIT担当ではなくCEOなどの経営陣やビジネス部門の人になります。CITの世界ではお客さまもわれわれもITのプロで、過去の実績もあるのでシステムの構築にかかる金額などもある程度コンセンサスがありました。ですので、これと同じ感覚でビジネス部門の人達とBITについて話をすると、まとまるものもまとまらなくなります。
ウェイル:
よくわかります。でもそうした世界はどんどん変わっていくのではないでしょうか。
将来的にCITサービスの価格はどんどん下がっていくでしょうし、IT企業はBITの分野で積極的にいろいろなメニューを揃えておく必要があると思います。アジャイル手法、クラウド、スタートアップ企業との協業、ミニマム・バイアブル・プロダクト(MVP)でのパイロットなどさまざまな選択肢があります。
PwCやアクセンチュアといった総合コンサルティング会社でもデータアナリティクスだけでなく、デザイン思考やプラットフォームなどに幅広く投資しています。
彼らは特に、アマゾンウェブサービス(AWS)の存在に脅威を感じています。たとえばAWSでは、小売業のお客さまが「オンラインビジネスを構築したい」と言えば、ショッピングカートもウェブサイトも支払い決済手段も提供します。その対価は、最終顧客がどれだけ購入したかにすべてかかってくるわけです。
ですから、コンサルティング会社もこれまでのようにお客さまにコンサルタントの時間を売るのではなく、AWSのようなプラットフォームに投資して、従来とは全く異なる価格モデルでお客さまにサービスを提供しようとしているわけです。もちろんリスクはありますが、リターンもあります。
此本:
プラットフォームビジネスといってもいろいろありますね。B to Cの世界では、アマゾンなどの巨大プラットフォーマーがおさえています。
一方、B to Bの世界は専門性が高く、お客さまも提供者もプロ同士です。ですから、それぞれの産業ごとに今後いろんなプラットフォームが出てくるのではないかと思っています。
ウェイル:
実際、そうした現象は起きていますね。
此本:
日本の製造業には、優良な企業が多いです。今後そうした会社が、積極的にその業界のプラットフォームの構築をされると思います。
ウェイル:
日本には今、特にグローバルに成長したいと考える企業が多いように感じています。
此本:
古くから国内でビジネスを展開している企業は、既存のビジネスの比率が高く、国内ではなかなか身軽な動きができません。IT業界においても、CITビジネスを中心にしているところが多いと思います。ですから、海外で新しいジャンルのビジネスを繰り広げたいと思っている企業は多いのではないでしょうか。例えば、いずれ国内でやりたいと思っているビジネスモデルを既に実現している会社や、有力な知的財産(IP)やノウハウを持っている会社を買収する形で、海外の事業を広げていけば、かなり自由が利きます。
トヨタ自動車のように海外に持ち出せるような強いIPがあればよいのですが、日本のものをアメリカへ持っていっても使ってもらえないサービスのほうが多いのではないかと思います。
ウェイル:
既存のビジネスと競合しない形で少しずつ布石を打っていくことが大事ですね。
IT業界でいえば、CITとBITは今は別々ですが、これから5年後、10年後には一つに収斂していくと思います。すべての会社ではないかもしれませんが、一部の会社ではそうなるでしょう。CITの投資でどんどん自動化が進み、BITの投資でイノベーションが促進されます。
此本:
BITはこれから確実に大きくなります。NRIとしても、CITのみならず、BITの推進に貢献していければと思っております。
本日は貴重なお話をどうもありがとうございました。
(文中敬称略)
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