情報洪水環境下における生活者へのアプローチ
近年の情報洪水、SNSの普及などにより、生活者をとりまく情報環境は激変した。過去のマーケティング手法に見切りをつけ、「ファンベース」のコンセプトを提唱するのがファンベースカンパニー創業者の佐藤尚之氏だ。それは「顧客本位」とも「ファンを作りに行く」のとも違う。佐藤氏にその基本的な考え方と金融業界での応用について語っていただいた。
語り手
株式会社ファンベースカンパニー
取締役会長
佐藤 尚之氏
1985年 電通入社。コミュニケーション・ディレクターとしてJIAAグランプリ、新聞広告賞グランプリ、広告電通賞金賞、ACC賞など受賞多数。2011年 独立し、株式会社ツナグ設立。19年 株式会社ファンベースカンパニー創業。著書に『ファンベース』(ちくま新書) 等多数。大阪芸術大学客員教授。
聞き手
株式会社野村総合研究所
保険デジタル企画部 チーフエキスパート
南本 肇
1995年 野村総合研究所入社。コンサルティング事業本部、金融ITイノベーション事業本部、アジア・中国システム事業本部を経て、2011年から中国・上海(5年)、2016年から米国シリコンバレー(2年)駐在。帰国後、大手生命保険会社イノベーション部門への出向を経て、2022年4月より現職。
ファンベースとは
南本:
本日は、佐藤さんのことを「さとなお」さんと呼ばせていただきます。さとなおさんは、ファンベースを実践し世の中に広めていくファンベースカンパニーを創業されました。まずはファンベースの考え方の要をお聞かせいただけますか?
佐藤:
僕は広告会社で、「新規のお客様に商品をどのように売っていくか」「商品を知らない人にどう認知してもらうか」という仕事を20年間やってきました。しかし今やもうそういう新規顧客へのアプローチは通用しなくなってしまったと痛感しています。それには幾つか理由があります。
一つは、情報が過剰に増えすぎたこと。例えば2020年1年間で59ゼタバイトの情報が世界で流れました。1ゼタバイトが世界中の砂浜の砂の数なので、もう無限すぎます。人々はもう情報にうんざりしていて、今までみたいに受け取ってくれません。
次に、その情報を載せるメディアも過剰に増えた。マスメディアだけでなく、ネット上にも数え切れないたくさんのメディアがあります。
更に、コンテンツ量も無限です。例えばYouTubeだけでも1日で82年分の動画がアップされます。動画だけでもそれ以外に、TikTokなどの動画SNSやNetflixなどの配信コンテンツ、映画やテレビも含めて異様な量が毎日流れています。それ以外にSNSがありネット上に無限にサイトがあり、本や新聞やリアルイベントもたくさんある。いろいろありすぎて生活者はそのほとんどをスルーせざるを得ないし、そもそも「広告」に出会うなんてことは不可能なくらいな状況になっているんです。
一方で日本はネット後進国です。SNSで一番利用者が多いTwitterの月間アクティブユーザー数は日本で5000万人くらいですが、約2割のヘビーユーザーで総利用時間の8割を占有している(ニールセン調査による)。つまり、実際にTwitterを活用しているユーザーは5000万人の2割の約1000万人。総人口の残りの1億1000万人の人々にはTwitter上のバズは届きません。ちなみに検索も日本全体で見るとあまり使われていないというデータも発表されています。
情報もメディアもコンテンツも多すぎて生活者にスルーされる上に、SNSも検索も意外と使われていない。いったい生活者にどう伝えればいいのでしょう。僕はかなり絶望していたんですが、そんな中でもたったひとつ確実に伝わる方法がある。それが「ファンベース」なんですね。
ファンベースとは、ファンを大切にすることで、売り上げも価値も上がっていくし、新規も増えますよ、という考え方です。
実はこの過酷な情報環境下においても、確実に伝わる方法が一つあるんですね。それは「家族や友人からのクチコミ」なんです。専門家やインフルエンサー、有名人の言葉よりも家族や友人からの情報が圧倒的に信頼されているということは各調査で明らかになっています。
そして、その家族や友人があるブランドや企業のファンなら、熱意を伴って伝わっていきます。だったらそこを中心にコミュニケーションを考え直そう。それが「ファンベース」です。
南本:
情報環境の変化が、生活者へのアプローチ方法にも影響しているということですね。
佐藤:
そうですね。伝える仕事をする者にとって、「伝えたい相手の情報環境の変化」を無視してプランニングするのは愚かなことです。情報環境が変化したら、情報の伝え方も当然変えないといけません。
人類史を俯瞰して見ると、大きな流れとして「農業」から「工業」に移ったわけですが、現代はその後に「網業」の時代に入ったと考えています。ネットの「網」でもありますが、ヒトのつながりのSNS的な「網」でもあります。人々がつながって網になって情報交換している。「工業」時代はマスに伝えれば売れた。「網業」時代はそのやり方では伝わりません。
南本:
広告業界は、まだ大量生産・大量消費時代の成功体験から抜け出せずにいるということですね。
佐藤:
大量消費のために広告を大量に流す。目立つ広告でマスにアピールする。そのアプローチは「網業」時代には単にうざいだけです。
南本:
一消費者としても、広告に対して昔より懐疑的に感じています。
佐藤:
情報が多すぎて何を信じていいかわかりませんしね。情報が少なかった時代には広告は生活者にとって重要な情報源だったんですが、いまでは「企業に都合のいいことを一方的に叫ぶうざい存在」になってしまっています。
そんな「伝わらない時代」においてもファンはブランドや企業に注目し続けてくれているし、その上、売上も支えてくれています。パレートの法則では2割のファンが8割の売上を支えていると言われますが、実際ほとんどの企業でその法則は成立しています。新規に伝わらない時代だからこそ、新規獲得よりまず「2割のファン」を大切にし離さない。それが重要になってくると思います。
金融教育では、教養が大事
南本:
現在、「貯蓄から投資」という機運を盛り上げようと、国策面でも金融教育が推進されています。投資を増やすには、国民に金融リテラシーを身につけてもらわなければならない。だから、金融教育が必要だ、と。
私自身、金融教育は大事なことだと思いつつ、「勉強しなさい」と親に言われているような感じもしています。一生懸命勉強するだけでなく、例えば気に入った会社を応援する一環でその会社の株を買ってみましょう、といった形でファンベースの考え方が金融教育の分野でも適用できるのではないかと思います。
佐藤:
その通りだと思います。ファンがその会社の株を買う。とても健全で自然な流れですよね。
ただ、金融教育の内容が単に儲かるテクニックのみならば、それは大きな問題だと思います。資金に余裕のある人が哲学も教養も社会貢献の視点もなく「金儲け」だけに邁進する社会は、文化も未来も失うと思います。
南本:
確かに、さとなおさんの言葉を聞いて、はっとしました。技術的な方向に若干偏重しているかもしれないなと思いました。
佐藤:
資産運用の方法や技術を知ることもとても大事です。しかし、お金を持っている人たちが我欲に偏ったら世界は滅ぶと思います。
今、社会や企業を率いる人々が哲学や教養や社会貢献の視点をどう身に着けているのか、大変気になっています。今後世界や社会をどうしたいのかという展望も戦略もなく、お金を動かしてはいないでしょうか。
欧米の成功者は文化の大切さをよく知っているので、博物館を造ったりオーケストラを後援したりしています。日本ではそのような動きは相対的に少ないですよね。そういう視点なしに金融教育が進むことはとても危ういことだと感じています。
ChatGPT普及による顧客アプローチへの影響
南本:
ここのところの発展が凄まじいChatGPTなどの生成系AIについても伺いたいことがあります。今後ますます生成系AIが発展して普及してくると、ファンベースのアプローチも変わっていくのでしょうか。
佐藤:
生成系AIは、おそらくネットが出てきた時と同じくらいのインパクトを世界にもたらすでしょう。ファンベースにも応用できると思います。
ただ、あくまでも主役は生活者です。まずは生活者が生成系AIによってどう変わるかをしっかり考えていくことが大切だと思っています。
例えば、Amazonに生成系AIが組み込まれるのは時間の問題でしょう。コンビニの店頭でもAIと対話して購入するようになるかもしれません。そういう未来が予想できるからこそ、僕は“ファンの生の声”が価値を持つようになると考えています。
生成系AIはものごとを整理して、最大公約数のアウトプットを生成する。それはどんどん進化して使いやすくなるでしょう。しかし、そういう「作られたアウトプット」が蔓延する未来になるからこそ、コアなファンの「熱い生の声」が価値を持つと思います。
僕はそれこそ何万人単位でファンの声を聴いてきているので、生成系AIが出力するものよりも、何%かのファンの生の声の方が「生活者の心に強烈に伝わる情報になる」と確信しています。
例えば、昨日コンビニ各社の特長をChatGPTに聞いてみたら、きれいにまとめて表にしてくれました。もちろんそういう情報が役に立つときもありますが、信頼する家族や友人から「セブンイレブンのここが素晴らしいから大好きだ!」とか熱く言われるほうが選択の決め手になります。どのコンビニもそんなに機能が変わらない今だからこそ、そういう「感情」が大切です。
人間の全体意識の中の1%くらいが顕在意識だというデータがあります。あとの99%は無意識です。要は、人はすべてをロジカルに考えて決めているわけではない。理屈ではなく感情で動いているんですね。そういう感情の部分を動かす「ファンの言葉」は、生成系AIが紡ぐ言葉よりずっと魅力的だと思っていますし、今後重要度を増すのではないかと思います。
金融ビジネスにファンベースは適用できるか
南本:
加入者に「なぜその生命保険に入っているのか」を聞くと、担当セールスのファンだからとの答えが多いと感じます。
佐藤:
多いでしょうね。でもセールスパーソンのファンというのは属人的で、企業にとってはリスクですよね。その人が異動したり辞めたりしたらその顧客は離れかねない。
南本:
なるほど、そこは大事なところですね。ファンを多く獲得できるセールスパーソンを育成しようという話になりがちかもしれません。
佐藤:
それってそのセールスパーソンが好きなだけであって、その商品が好きだったり、その保険会社が好きなわけではないですよね。それでは持続性がありません。
持続性を持つためには、商品や会社のファンになってもらう必要があります。そのためにはまず「いま商品や会社のファンである人の声」を聴いてみることです。そこに「ファンに愛されているポイント」がある。そこを伸ばしていくことによってファン度が上がり、ファンが増えていくのがファンベース実践における基本的な考え方です。
南本:
一方、金融サービスはユニバーサル性が大事という意見もよく聞きます。利用者すべてにあまねく等しくサービスを届けないといけない。「コアファンに集中するのは、ユニバーサル性の観点から適切なのか?」という疑問も考えられます。
佐藤:
例えばNHKは広くあまねく情報を国民全般に伝えるのが役目ですよね。7時のニュースは一見広くあまねく情報を伝えているように見えるかもしれませんが、子供が聞きたいニュースは必ずしも流れないし、芸能界のニュースもあまり流れない。ちゃんと伝えたい相手に優先順位をつけているわけです。同じように、「大河ドラマ」「朝ドラ」にもそれぞれに伝えたい視聴者層があって、その人たちがファンになっていく。
みんなにいい顔をする人はみんなを失う、という言葉があります。あまねくではなくて、さまざまな商品やサービスが重なり合って、結果的にユニバーサル性が担保されるというのがあるべき姿と考えます。
南本:
「ユニバーサル性が大事」というだけでは、ある意味、特徴を打ち出すというリスクを何も取っていないともいえるのですね。結局、全般につまらなくなってしまいますね。
佐藤:
そうですね。特徴や魅力のない凡庸なサービスや会社になってしまうと思います。
南本:
金融機関がファンベースの考えを取り入れる場合、取り掛かりやすいお勧めの一手はありますか。
佐藤:
「ファンの生の声」を聴き、活用することですね。
これだけ多くの金融機関があって、それぞれ同じような商品を出しているのに、なぜ自社を選んで利用を続けてくれているのか。ファンたちが何を思っていて、なぜ選んでいるのか。もちろん、その中には、近所だから選んだとか担当者が好きといった機能面の理由も出てきますが、ファンの声をよく聴いていけば情緒的な理由も必ず多く出てきます。そのポイントを伸ばしていくとファン度が上がり、LTV(顧客生涯価値)もクチコミ量も増えていきます。この「伝わらない時代」、企業からの一方的な情報は伝わりません。ファンからの情報を増やすのがとても重要です。
また、ファンの声は社員のモチベーション向上にも直結します。
南本:
例えば生命保険に加入するまでは、セールスが懇切丁寧に教えてくれますが、加入後はやり取りがぱったりなくなることが多いように感じます。加入後のコミュニケーションももう少し増やしてほしいです。
佐藤:
その通りです。売ったらオシマイというアプローチでは絶対にファンはできません。「網業」の時代、保険商品、保険会社の良さを広めてくれるのは生活者です。生活者が「この保険、あいつに薦めよう」と周囲に伝えてくれるほうがずっと信頼され広まります。前述したように家族や友人が一番信頼できる情報源ですからね。
南本:
生活者の立場に立つということを考えるとき、金融は供給者優位な業界だなとも思ってしまいます。当たり前である「顧客本位」が、あえて提唱されている業界です。また、法律や制度に縛られていて、新しい商品があまり出てきません。
佐藤:
新商品を出しづらいのは仕方ないと思います。でも、生活者やファン側はその流通を見ているだけで、新商品が出てこないことを問題と感じていないかもしれない。まずは顧客の声を、特にファンの声を聴いて欲しいと思います。
金融にファンなんかいないと言う人もいますが、そんなことは全くないと思いますよ。必ずファンはいます。
南本:
金融業界においてもファンベースの考えがもっと浸透していき、嬉しい楽しい商品やサービスが増えていってほしいと願っています。さとなおさんのお話を伺ってその思いが強くなりました。本日は貴重なお話をありがとうございました。
(文中敬称略)
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