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NRI トップ 新型コロナウイルス対策緊急提言 新型コロナウイルス経済ショックのマクロ的位置づけ(3)”Social Distancing”の経済的価値

新型コロナウイルス経済ショックのマクロ的位置づけ
(3)”Social Distancing”の経済的価値

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2020/04/17

要旨

  • 人類が未だ免疫を持たない新型コロナウイルスの感染拡大を抑えるには、物理的な対人接触を抑制する必要がある。そのため多くの国で外出禁止や店舗の営業停止、都市のロックダウンといった「Social Distancing」施策が実施されている。
  • Social Distancing施策を行わない場合、経済活動の抑制は生じない代わりに、感染者数は激増し医療崩壊が引き起こされるリスクが高まる。Social Distancing施策が実施された場合は、経済活動が抑制されるため、経済に大きな負担を強いることになる一方で、感染者は抑制されるため医療崩壊は回避できる。
  • 新型コロナウイルスによってもたらされる社会的損失は、経済活動の低下によるGDPの減少と、新型コロナウイルスによって死亡した人的資源に大別される。
  • 今回は、アメリカにおけるSocial Distancing施策のコスト・ベネフィット分析を行った2本の論文を紹介する。これらの論文の試算によれば、Social Distancing施策によってもたらされる社会的損失は、Social Distancing施策を行わない場合よりもかなり小さく抑えられることが示されている。その抑えられた社会的損失(純便益:Net Benefits)の経済的価値を金額換算すると約5兆ドルから8兆ドルもの規模になる。
  • 日本でも4月7日に緊急事態宣言が7都府県に発令され、対象区域では外出自粛や休業要請が開始されている。日本でのSocial Distancing施策も感染者抑制によって社会的損失を最小化することが期待される。そのためにはSocial Distancing施策の実効性を高めるための経済的支援が迅速かつ十分に企業や家計に行き渡るようにすべきである。

Social Distancingの経済的価値の推計モデル1: “The benefits and costs of flattening the curve for COVID-19”(2020/4/12版)

まずは、Linda Thunström、 Stephen C. Newbold、David Finnoff、Madison Ashworth、 Jason F. Shogrenらのワイオミング大のチームによる推計を見ていく※1。本論文ではSocial Distancing施策の有無によって新型コロナウイルスによる死亡者数の変化を推計し、さらにSocial Distancing施策によって救われた命を金額換算する。あわせて、新型コロナウイルスによるGDPの減少のほうもSocial Distancing施策の有無によってどのように変化するかも推計する。その上で、Social Distancing施策の有無によって、この2つの社会的損失のトータルの大小を比較する。感染者数と死亡者数の推計には感染症の流行過程の推計に一般的に利用されるSIRモデルによっている。ちなみにSIRモデルとは、「Susceptible(感受性保持者)」「Infected(感染者)」「免疫保持者(Recoverd)」(「隔離者(Removed)」を用いることもある)のそれぞれの推移を、感染率、発症率、回復率などのパラメータによって推計するモデルである。この中でも特に重要なのが基本再生産数と呼ばれるパラメータである。これは「R0」とも表記されるが、意味は「一人の感染者が他の人にウイルスを感染させる平均人数」を意味する。この基本再生産数が大きいと爆発的な流行が起きる。一方、R0が1を下回れば感染は終息することになる。

論文で使用されたSIRモデルの主なパラメータ

  • 基本再生産数R0は「2.4」:これは中国などの報告をもとに設定された数値である。
  • 平均感染期間は「6.5日」:R0同様これらの初期値はCDCなどの数値と整合的であることをチームは確認している。
  • Social Distancing施策による対人接触の減少は38%と設定(1918年のスペイン風邪の際のオーストラリアのSocial Distancing施策の推計値を参照している)。
  • 医療崩壊の目安となる医療リソースの上限値は、患者数では3,600万人分としている。この上限値以下で感染者が抑えられている場合の致死率は「0.5%」、一方この上限値を超えてしまって適切な治療が受けられない場合の致死率は「1.5%」としている。

人的資源喪失による損失推計の前提

また、人的資源の価値は「Value of Statistical Life:VSL(統計的生命価値)」を用いている。これはある一定期間の死亡率を下げるためにどの程度の金銭を支払う意思(Willingness-to-pay)を持っているかを測定した上で、その金額を平均余命に当てはめた上で「命」の経済的価値を金銭価値で表したものである。

  • アメリカのVSLは平均的に一人あたり1,000万ドル(約11億円)となっている(このVSL値は政府などで広く用いられている)。

失われるGDP規模(現在価値)推計の前提

  • アメリカのGDPの平均成長率は「年1.75%」と設定
  • Social Distancing施策が実施された場合のGDPの落ち込みは「6.2%」と設定(ゴールドマン・サックスの予測などを参照)
  • 一方、Social Distancing施策が実施されなかった場合のGDPの落ち込みは、死亡者数の増加や、大量の患者による職場離脱の影響も考慮して「2.0%」と設定
  • またGDPの推計は将来にわたって行われるため、現在価値に換算するため割引率は年5%と設定している

Social Distancing施策の経済的価値

以上のパラメータでのSIRモデルでの「Social Distancing施策の有無」による感染者の推移の推計結果は以下の通りである(図1)。点線の平行線は「医療リソースの上限値」である。点線で示されたカーブは「施策なし」の場合で、医療リソースの上限値を大きく超えてピークが高くなっている。一方、実線のカーブは「施策あり」の場合で、ピークは低く、また時期的にも後ろにずれており、医療リソースの上限の範囲内に収まっている。

また、Social Distancing施策の有無による経済的損失は次のように推計されている(表1)。これを見ると、「施策なし」では総損失が約28.3兆ドルなのに対し、「施策あり」では23.1兆ドルに抑えられていることがわかる。その差(純便益)は5.16兆ドル(約577兆円)になると同論文では推計している(四捨五入の関係で小数点以下の数値にズレがある)。

Social Distancingの経済的価値の推計モデル2: “Does Social Distancing Matter?”(2020/3/31版)

続いては、シカゴ大のMichael GreenstoneとVishan Nigamによる推計を見ていこう※2
本論文もSocial Distancing施策の有無によって新型コロナウイルスによる死亡者数の変化を推計し、さらにSocial Distancing施策によって救われた命を金額換算するアプローチは同様である。
本論文ではまずSocial Distancing施策の効果をイギリスのインペリアル・カレッジ・ロンドンのFergusonらのCOVID19チームによる"Impact of non-pharmaceutical interventions (NPIs) to reduce COVID-19 mortality and healthcare demand." (2020/3/16)をもとに推計している。

Social Distancing施策がない場合の推計結果

Social Distancing施策が実施されない場合、10月1日時点でのアメリカ国内の感染率は81%にのぼり、死亡者数は220万人にもなる。CDCが2月下旬に出した推計では、感染率は48-65%としており、来年3月までの新型コロナウイルスによる死者数は、致死率が0.5%では16万人にとどまる一方、仮に致死率が1.0%の場合、死亡者数は170万人に跳ね上がるとしている。実際、現状のアメリカ国内での致死率は1.0%に近づいており、悲観的なシナリオが現実のものとなりつつある恐れもある。

Social Distancing施策が実施された場合の推計結果

ここでのSocial Distancing施策は「症状の疑いがある人の7日間の隔離」「14日間の一般市民の外出自粛」「70歳以上の高齢者の対人接触遮断」などが含まれている。この施策が取られた場合、死亡者数は44万人に抑えられる(とはいえ、これもかなり悲劇的な数字であることは事実だが)。
抑制される死亡者数は176万人にのぼるが、その内訳は「新型コロナウイルスの感染者減少による死者数の減少」が110万人、また「医療崩壊によって失われる命の抑制効果」が63万人となっている。このSocial Distancing施策の効果を表したものが図2である。
図2の横破線は医療リソースの上限、この場合は重症化した患者の治療に必要なICU(集中治療室)の上限値を示している。赤い曲線はSocial Distancing施策無しの場合の重症者数の推移であり、医療リソースの上限を超えた重傷者が大量に発生することが示されている。一方、青い曲線がSocial Distancing施策が取られた場合の重症者数の推移である。この場合でも医療リソースの上限を超えてしまうことは避けられないが、その数は相当程度抑えられている。

Social Distancing施策の経済的価値

同論文でもSocial Distancing施策によって回避された死亡者の経済的価値を「Value of Statistical Life:VSL(統計的生命価値)」を用いて推計している。ここでもVSLの基本値は1,000万ドルとしているが、本論文では年代別のVSLを推計した上で、それぞれの世代の回避された死亡者数の推計に基づいて、Social Distancing施策の価値を推計している。その結果は7.9兆ドル(約870兆円)にのぼる。そしてこの経済的価値を世帯あたりに換算すると一世帯あたり6万ドルの経済的価値に相当するとしている。
さらに同論文ではこの7.9兆ドルの経済的価値の推計にはまだ含まれていないものがあるのではないかとしている(つまり、Social Distancing施策の経済的価値はさらに大きくなる可能性がある)。一例として医療崩壊が緩和されることによる新型コロナウイルス「以外」の重症者の救命確率が上昇する効果などが指摘されている。

日本のSocial Distancing施策の実効性を高めるために

日本におけるSocial Distancing施策の前提

さて、日本でも4月7日の緊急事態宣言発令を受けて、7都府県で外出自粛や出勤抑制、休業要請などが要請されている。その抑制の目標を政府は「対人接触の8割削減、出社の7割削減」としている。この水準の対人接触の削減の根拠となっているのは、厚生労働省のクラスター対策班による分析結果から導き出されたものである。同対策班の西浦北海道大学教授は「対人接触8割削減」が必要とした根拠として、現在の日本の新型コロナウイルスの基本再生算数R0が「2.5」とみなすべきとの分析結果をあげている(以下の4月10日時点のインタビュー記事参照※3)。
また、4月15日には、クラスター対策班により、日本においてSocial Distancing施策が全く実施されない場合、国内の重篤患者数は約85万人に上るというシミュレーション結果を公表した。このシミュレーションでの基本再生産数(R0)は諸外国と同程度の「2.5」と設定されている。また同対策班の想定では重症患者の死亡率は49%と予測しており、単純計算では約42万人が死亡することになる。

日本のVSL(統計的生命価値)はどの程度か

さて、Social Distancing施策の経済的価値を推計する際に用いられたVSL(統計的生命価値)だが、アメリカでは1,000万ドル(約11億円)がVSLの一般的基準として用いられている。日本において公式に標準化されたVSLは筆者が探した範囲では見つからなかった。ただ、国土交通省の「公共事業評価の費用便益分析に関する技術指針(共通編)」(平成21年6月1日)に交通事故による損失額の推計が掲載されている※4。この指針によれば、日本における交通事故死の損失額の合計値は一人あたり約2.4億円となっている。また同報告書に諸外国の交通事故死の損失額が掲載されている。この中でアメリカの交通事故死の損失額は総額で約3.9億円となっている(同指針 p.19)。
単純計算だが、アメリカの標準的なVSL(11億円)は、交通事故死の損失額(これもある意味でのVSLである)3.9億円の約2.8倍となる。日本における交通事故死の損失額(2.4億円)の2.8倍は約6.7億円となる。
この数値を今回の新型コロナウイルスのケースに単純にあてはめることには慎重であるべきだが、単純計算では、Social Distancing施策が行われない場合の死亡者数の増加により失われる人的資源の経済的価値は、交通事故死のVSLを前提とすれば、「42万人×2.4億円=約101兆円」、またアメリカの標準的VSLにあわせて日本のVSLを2.8倍に補正した場合は「42万人×6.7億円=約281兆円」になる。
当然ながら、これは「Social Distancing施策が全く行われない場合」の最悪のシナリオで想定される経済的損失である。現在の日本では緊急事態宣言のもと、外出自粛や営業休止といったSocial Distancing施策が取られているため、経済的損失額はこれよりも低く抑えられるだろう。改めて強調しておきたいことは、Social Distancing施策は「救えるはずの命」が、感染爆発による医療崩壊によって「救えなくなる命」になることを回避するための施策である。そしてこのSocial Distancing施策は経済活動には大きな打撃となるが、経済的な損失を上回るだけの意味があることを今回紹介した2本の論文は示している。

Social Distancing施策の実効性を高めるための経済的支援を十分に

現在、緊急事態宣言が発令されて1週間がすでに過ぎたが、必ずしも対人接触の8割減は達成されていないように見受けられる。その理由として多くの人があげている理由が「営業・出社しないと生活が成り立たない」というものだ。日本政府は雇用調整助成金の拡大や困窮世帯に対する30万円の直接給付、中小企業・個人事業者向けの100万円から200万円の持続化給付金などの施策を打ち出している。しかし支援の額としては不十分であり、また補正予算の成立を待たなくてはいけない施策も含まれているため、Social Distancing施策の鍵である「できる限り早期に対人接触の抑制を開始する」という重要な条件がおろそかになってしまっている可能性がある。
日本においてもSocial Distancing施策の経済的価値はかなり大きなものになることは十分に予測できる。感染爆発を抑制することによる経済的価値はGDPの数%から数十%にのぼるであろう。日本政府は感染爆発を回避するためにも、企業や個人事業者、家計への十分な資金供給を行うべきである。
最後になるが、日本においてはSocial Distancing施策の有無によるGDP縮小の比較検討は行われていないようである(既に事例があればぜひご教示いただきたい)。人的資源の損失をいかに回避するかとあわせて、経済活動の縮小のダメージもできる限り最小化するための施策も同時に考えていく必要がある。

執筆者

柏木 亮二

金融イノベーション研究部
上級研究員


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