2020/06/04
要旨
- 新型コロナウイルスの影響で事業環境が厳しさを増す中、イノベーションの停滞が懸念される。経営者の余裕がなくなり、現場レベルでもイノベーションの前提となる議論の場が持ちづらくなっている。
- しかし、イノベーションの停滞は許されない。
- 危機だからこそ攻めの姿勢を持つこと、M&Aでオープンイノベーションの可能性を広げること、消費者のリスク低減志向をイノベーションの芽として生かすこと、オンラインを使った新たなイノベーション創出ノウハウを確立すること、在宅でのイノベーションにドライブをかける新たな人材マネジメント手法を確立することでコロナ危機をイノベーションのチャンスとすべきである。
新型コロナウイルスで日本企業を取り巻く環境は厳しさを増す
5月25日政府は、東京など5都道県で続いていた緊急事態宣言を解除した。4月7日に発令された宣言は7週間ぶりに全面解除となった。社会にはホッとしたムードが漂うが、解除で経済が即座にコロナ前の状態に戻るわけでもなく、状況は厳しさを増している。
国連は5月13日発表の「世界経済状況・予測」の中で、2020年の経済成長率を-3.2%と予測した。相対的に新型コロナウイルスにうまく対処しているように見える日本の経済成長率は、世界平均を下回る-4.2%成長との予測がなされている。
企業業績も大きな打撃を受けている。東京商工リサーチは、新型コロナウイルスの影響もあり、2020年3月期は上場企業の35.6%が減収減益(5月13日までの集計)と発表した。また、さらに今後コロナの影響がいつまで続くのか、どの程度のインパクトを見込まなければいけないのかも読み切れない。5月21日、日本経済新聞は、3月期決算期の上場企業の約6割が2021年3月期の業績予想の開示を見送っていると報じている。
イノベーションの停滞が懸念される
こんな中で、危惧されるのはイノベーションの停滞である。
経営レベルでは、イノベーションに意識を向ける余裕が失われているように感じられる。
6月1日の日本経済新聞は「社長100人アンケート」に関する記事の中で、46%の企業が手元資金を増やし、41%が設備投資を減らすという調査結果をふまえ、「企業は守りの姿勢を余儀なくされている」と指摘している。
近年イノベーションの方法論として注目されてきた手法にオープンイノベーションがある。イノベーションのためには、自社内の知だけでは限界があり、外部から新たな知を取り入れることが必要だというのがベースにある考えである。しかし、今回のコロナ危機により、急速にこの活動にブレーキがかけられようとしている。4月27日、日本経済新聞はデロイトトーマツベンチャーサポート社の調査に基づき、「大企業スタートアップ投資「減らす」9割。協業後退も」と報じた。新型コロナウイルスの影響で、本業の業績が悪化していることで、ベンチャーへの投資を抑制する動きが目立っているというのだ。
現場レベルのイノベーションに向けた活動も滞りがちである。
知識創造理論で世界的に有名な野中郁次郎一橋大学名誉教授は、「異なる主観と主観がぶつかり合いながら、ピンときたときに共感が成立する、そのことが、イノベーションの創出においては本質的に重要なのです。」(日経ビジネス電子版スペシャル)と語る。異なる意見をぶつけ合う中からイノベーションが生まれるというのである。
しかし、新型コロナウイルスの蔓延により、従業員はオフィスに出られなくなり、お客様のところにも、取引先のところにも自由に行けなくなってしまった。仮に同じ場所にいたとしても、ソーシャルディスタンシングで距離をとって対話することが求められている。今までのように直接会って、顔を突き合わせて徹底的に議論を戦わせる中で新しいアイデアを生み出していくようなことはできにくくなってしまったのだ。
緊急事態宣言下の在宅勤務拡大でZoomやSkypeなどのWeb会議システム、テレビ会議システムが急速に普及し、同僚や取引先と同じ場所にいなくてもコミュニケーションが取れるインフラの整備が進みつつある。マスコミの報道など見る限り、短時間にすっかり社会に定着してしまったような感覚すら覚える。しかし、NRIの在宅勤務に関する調査※によると、緊急事態宣言期間に在宅勤務を経験した人たちの中で、それらを頻繁に利用した人は19%にとどまり、4人に1人は全く利用していないことが分かった。イノベーションの前提となる異なる主観をぶつけ合うインフラとしてこれらのツールが定着するには、まだ時間がかかりそうである。
在宅勤務では評価が気になるために、イノベーションが損なわれるという意見もある。在宅勤務では、どのような仕事をしているのか上司から見えないために、成果でパフォーマンスを見ざるをえない、あるいはそうすべきであるという議論がある。そうなると、イノベーションのように成果がすぐに出づらい、不確実性の高い作業は避けられる傾向があるというのだ。NRIの先の調査では、在宅勤務だとどう評価されるかが不安という回答はすでに43%に上る。在宅勤務が定着し、在宅勤務でのパフォーマンスが評価の対象になるということになれば、この数値はさらに高まるものと予想され、すぐに成果があがりづらいイノベーション関連の活動が回避されるということも起こりうる。
しかし、イノベーションの停滞は許されない
先にスタートアップ投資を減らす企業が9割との調査結果を紹介したが、これはまさにほとんどの企業が守り重視の戦略をとっていることを示している。コロナ危機後に高い成長を期待するのであれは、この時期にもオープンイノベーションも含む、イノベーションの手を緩めてはならない。
そもそも、コロナ危機が来ても来なくてもイノベーションは日本企業、さらには日本社会全体にとって目を背けてはならない最重点課題である。
コロナ危機をイノベーションを加速するチャンスに変える
(1)まず必要なのは守りと攻めの両方を重視するマインドセット
著者等は先日発表した「過去の経済危機の経験から学ぶ」という提言レポートの中で、ハーバードビジネススクール学長らによる「Roaring Out of Recession」という論文を取り上げた。その論文で提示されていたのは、過去の経済危機後に最も高い成長を実現していたのは、守り重視の企業でもなく、攻め重視の企業でもなく、危機時に攻めと守りの両方を重視した企業だという分析結果であった。
しかし現実には、上述の通り多くの企業経営者のマインドが守りに偏っているようである。攻めのマインドセットを忘れないこと、これが出発点である。
トヨタ自動車の豊田章夫社長は、5月12日の決算会見で新型コロナの厳しい環境下においても「未来への種まきはアクセルを踏み続ける」と宣言し、20年度の研究開発費と設備投資は前年並みを維持する方針を示した。その背景には、リーマンショックの際に「研究開発費まで削減し将来の筋肉まで落とした」との反省があるのだ。(5月27日付日本経済新聞)
(2)M&Aにより外部のリソースを取り込むことでイノベーションを加速させる
昨年6月21日に政府から発表された成長戦略実行計画の中にも、イノベーションの加速に向けて、既存企業とスタートアップ企業との協業、さらには既存企業によるスタートアップの買収への期待が示されている。これまでなかなか進んでこなかったからこそ実行計画にわざわざ書き込まれたわけだが、今回のコロナ危機はそれを一気に加速させる機会にもなりうる。
コロナ危機が引き金になって、これまでは条件が合わないなど、なかなか進まなかったスタートアップ企業の買収、資本提携の機会が大いに増える可能性がある。一般に不況の時期はM&Aが活発化するが、オープンイノベーションによりこれまでになかった新たな強みを創出していこうというイノベーション志向の強い企業にとっては、まさにその動きを加速させるチャンスになりうるのだ。イノベーションの加速に向け、必要なリソースの取込みに向けた戦略的な取り組みが求められる。
(3)消費者のリスクを減らしたいという思いをイノベーションにつなげる
ハーバードビジネススクールのHong Luo助教授とトロント大学のAlberto Galasso教授は、5月7日「The One Good Thing Caused by COVID-19:Innovation 」と題する論考の中で、新型コロナウイルスの蔓延でリスクを軽減するためのイノベーションが至る所で生まれると説く。リスクへの意識の高まりにより、消費者は安全性を高めてくれる商品、サービスに対してより高い価格を払ってくれるようになるため、企業にとってはそのような特性を備えた新たな商品、サービスを開発するインセンティブがでてくるというのである。
密室での会話あるいは、移動の際の感染リスクを回避するためZoomなどの会議アプリケーションの導入が一気に進んでいる。またその機能も様々な利用者のフィードバックを受けて日々進化している。
身近なところでは、レストランや小売店での接客時の感染リスクを抑えるためのフェースシールドなども毎日のようにユニークな機能、形状のものが開発され、日々テレビニュースなどの中でも紹介されている。
人手不足を解消する手段として検討されてきた配送ロボットも、人と人との接触を減らすための手段としての活用に注目が集まり、店舗や病院などでの活用拡大に向け、さらなる機能の進化が期待されている。
新型ウイルスがどの程度の期間で収束するかによって投資判断が変わってくる期間限定の商品、サービスももちろんあるが、人手不足や働き方改革への対応など中長期的なトレンドとも合致した商品、サービスであれば、これを機に一気に開発を進めることで中長期的に大きなビジネスに育てられる可能性もある。アフタコロナも見据えた判断が求められる。
(4)人に気軽に会えない時代の新たなイノベーション創出の方法論の開発に期待
NRIの先述の調査でも、実態としてはZoom、SkypeなどのWeb会議システム、電話会議システムの活用は報道されているほどには進んでおらず、イノベーションのインフラとなるまでには時間がかかりそうである。しかし、一方で世界各地で様々な新たなオンラインでの取り組みがスタートしているのもまた事実である。
新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が出されたエストニアでは3月上旬に、コロナ危機を乗り切るアイデア創出のためのオンラインハッカソン、「Hack the Crisis」が開催された。1,000人以上が参加したこのイベントでは80にものぼるアイデアが生まれ、その中からはわずか数日のうちに実装されるものも出てきた。この成功を受けて、この動きはさらに拡大している。欧州委員会のサポートも受けて4月9日から開催された「The Global Hack」は、世界98か国12,000人もの参加者を集め、5,000以上のアイデアが生み出された。
直接会って真剣に意見をぶつけ合うことで新たなものを生み出していくというこれまでのやり方とは全く異なるオンラインでのアイデア創出の方法論が登場してきているわけで、企業レベルにおいても、新たなイノベーション手法として、積極的に取り入れ、進化させていくことが期待される。
移動できないから、集まれないからやむを得ずオンラインでということで拡大したオンラインハックだが、もしこの方法がうまく機能するようであれば、アフタコロナの時代においても、距離の壁を越え、人数制限の壁を越えて、今まで以上に効率的、効果的にイノベーションを生み出せる、イノベーション創出手法自体のイノベーションになるかもしれない。競合企業よりもいち早く、オンラインイノベーションのノウハウを獲得することが期待される。
(5)在宅でもイノベーションにドライブをかける人材マネジメント
緊急事態宣言が解消されたことで在宅勤務がどれだけ定着していくのかは不透明な部分もあるが、仮にかなりの人が在宅で勤務する状況が継続するとすれば、それを効果的なものにすべくマネジメントの手法自体も再構築していくことが求められる。
イノベーションを停滞させないという観点からすれば、成果が短期で見えない、かつ真剣に取り組んでも確実に成果があがるとは限らないイノベーションへの取り組みをしっかりと評価し、推進していくための方法論を確立していく必要がある。オフィスで同じスペースを共有しているとき以上の高頻度のオンラインでのコミュニケーションの機会がセットされ、より丁寧にイノベーションへの取り組みへの期待が述べられる、社員の取り組みについてもきめ細かくフォローし、結果だけでなく取り組み過程がきめ細かく評価される、そんな新たなマネジメントスタイルを確立していくことが求められるだろう。
今はまさにイノベーションのチャンス。このタイミングを見逃すな
企業の成長にとってイノベーションは不可欠であり、それはコロナ危機の中でも変わらない。当たり前のように聞こえるが、現実には多くの企業は守りに意識が向いている。自由に人と会えない環境では意識して方法論を考えないとイノベーションに向けた活動は停滞する。しかし、経済の落込みでM&Aで外部の知を取りこみやすい環境になりつつある。新型コロナウイルスによる新たなニーズも生まれている。厳しい環境ではあるが、イノベーションを加速するにはチャンスでもあるのだ。企業はこのタイミングを見逃してはならない。
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NRI「新型コロナウイルス感染症拡大に伴う在宅勤務等に関する調査」2020年5月実施。結果未発表
執筆者
中島 済
未来創発センター 戦略企画室
木村 靖夫
未来創発センター 戦略企画室
武田 佳奈
未来創発センター 未来価値研究室
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