フリーワード検索


タグ検索

  • 注目キーワード
    業種
    目的・課題
    専門家
    国・地域

NRI トップ NRI JOURNAL 自由エネルギー原理から経営を考える

NRI JOURNAL

未来へのヒントが見つかるイノベーションマガジン

クラウドの潮流――進化するクラウド・サービスと変化する企業の意識

自由エネルギー原理から経営を考える

常務執行役員 システムコンサルティング事業本部長 野口 智彦

#経営

2022/07/19

読者の皆様は「自由エネルギー原理」をご存知だろうか。自由エネルギーとはもともと熱力学の概念だが、化学の分野でも使用される。一定の条件下では化学反応は自由エネルギーが減少する方向にしか進まず、やがて自由エネルギーが最小の状態すなわち平衡状態に達し安定する。この概念を脳科学に適用したのが脳神経科学者のカール・フリストン氏で、2005年に「自由エネルギー原理」を提唱した。氏は「いかなる自己組織化されたシステムでも環境内で平衡状態であり続けるためには、そのシステムの自由エネルギーを最小化しなければならない」と述べている。脳の情報処理を、知識に基づいた推論(仮説)と知覚により得られた情報(現実)を突き合わせるプロセスと捉えることにより、「脳は常に仮説と現実の予測誤差を最小化(情報論的には自由エネルギー最小化と同じ意味になる)することを目指している」ことを導き出した。

自由エネルギー原理に基づく脳の活動

数年前にネットの動画で「リアルすぎるコップの絵」が話題になった。紙の上にガラスのコップが置かれているので手に取ってみようとすると実は絵であってびっくり仰天、という一種の「だまし絵」のことだ。これを例に、自由エネルギー原理に基づく脳の活動を見てみよう。
脳は視覚のような感覚器官を通して外の環境を「知覚」するが、見た情報を一つ一つ分析して認知しているのではない。脳は「紙の上にコップが乗っている」という仮説をトップダウンで立て、知覚情報によってその仮説を検証していく。脳は「推論」を行うエンジンなのである。
その推論に従ってコップを手に取ろうと「行動」する。しかし手に取れない。これにより大きな予測誤差が発生したので、脳は誤差を最小化しようとする。そこで視点をずらすことにより、それが「そう見える絵である」という知識(「だまし絵」という概念)を新しく手に入れる(学習)。この知識を使って再度、推論することで予測誤差が小さくなり、人は納得し安心するのだ。
この予測誤差をいつまでも減らすことができないと、脳でさまざまな症状が起こる。典型的なものが目まいだ。平衡感覚に不調をきたすと目から入ってくる情報が認識と矛盾した状態になるが、これが脳の「予測誤差が減らすことができない」状態である。目まいが起きると、目をつぶったり横になったりして矛盾する感覚信号を遮断しようとする。

自由エネルギーを経営に適用した考察

ところで、自由エネルギー原理がいかなる自己組織化されたシステムにも適用できるとしたら、企業などの複雑系システムにも適用できるのではないか。そこで、「脳は自由エネルギー原理で作動している推論エンジンである」という理論を基に、脳の活動と経営の対比をしてみよう。
経営者が行っているのは、脳と同じく日々入ってくる細かな情報(脳にとっての知覚情報)を一つ一つ分析することではなく、幅広い知識を用いて大局的な観点から推論することではないだろうか。経営環境について仮説としての大きな物語を描き、社内や社会に提示する。その仮説に基づいて経営戦略を立て実行しながら、現状と期待する結果とのズレ(予測誤差=自由エネルギー)を最小化するように行動していく。こう考えると、経営も脳と同じように新たな環境変化に適合しようという「推論エンジン」といえる。
予測誤差が大きくなるような新しい現象に出合ったとき、脳が示す反応が「好奇心」である。たとえばだまし絵の場合、いろいろな角度からそれを観察するという行動で表れる。それは知識をアップデートすることにより予測誤差を減らすための行動であり、経営が新しいこと(たとえば、想定外の競合に負けた)に出合ったときの行動にも当てはまる。これまでの知識や常識に合わないからといって放置していると、予測誤差は小さくならず、環境に適応できない。企業としての「好奇心」は、環境変化が激しい時代において重要ではないだろうか。
加えて、企業活動においては知覚⇒推論⇒行動という循環が、経営層だけでなく幹部社員や一般社員などでも重層的に行われる。各層に経営者の環境認識や戦略が共有されていないと、経営者の判断や指示と自分の推論の間の予測誤差がいつまでたっても減衰しないため、組織は一種の目まいを起こす。そうなると外部信号を遮断し、自分で考えることをやめ、極端に受動的になってしまう。そのような会社は淘汰されていくのかもしれない。
自由エネルギー原理は提唱されてからまだ15年ほどしか経っておらず、発展途上にある。非常に奥が深いものであり、脳のメカニズムを具体的に解明していくことが期待されている。今後、経営学やミクロ経済学の発展にも大きな可能性を提供するのではないだろうか。企業も、持続的な発展を目指すべく、経営者が推論エンジンとなり、将来の環境変化に適応していくことが重要である。読者の皆様も一度、自由エネルギー原理を経営に当てはめて考察してみてはいかがだろうか。

知的資産創造5月号 MESSAGE

NRIオピニオン 知的資産創造

特集:時代の転換期とDX

  • Facebook
  • Twitter
  • LinkedIn
NRIジャーナルの更新情報はFacebookページでもお知らせしています

お問い合わせ

株式会社野村総合研究所
コーポレートコミュニケーション部
E-mail: kouhou@nri.co.jp

NRI JOURNAL新着