フリーワード検索


タグ検索

  • 注目キーワード
    業種
    目的・課題
    専門家
    国・地域

NRI トップ NRI JOURNAL 知の挑戦と継承 Part1――時代の転換期に求められるシンクタンクとしての役割

NRI JOURNAL

未来へのヒントが見つかるイノベーションマガジン

クラウドの潮流――進化するクラウド・サービスと変化する企業の意識

知の挑戦と継承 Part1――時代の転換期に求められるシンクタンクとしての役割

専務執行役員 立松 博史
未来創発センター長・研究理事 神尾 文彦

#価値共創

#経営

#政策提言

2022/08/26

野村総合研究所(NRI)は、1965年に日本初の本格的な民間シンクタンクとして誕生した旧野村総合研究所(旧NRI)を前身としています。シンクタンクの多くは時代の要請の中で生まれ、調査・分析を通じて、あるべき未来の方向を示してきました。1988年に野村コンピュータシステム(NCC)と合併し、現在の新生NRIとなってからもシンクタンク機能の維持・強化に努め、創立以来およそ60年にわたり、国や地方自治体への数多くの提言などを通じて、その政策立案を支援してきました。現在、NRIのシンクタンク機能の中核を担っているコンサルティング事業担当の専務執行役員 立松博史と未来創発センター長・研究理事の神尾文彦が、改めてシンクタンクとしてのNRIの役割について対談します。

旧NRIにあったシンクタンクとしての気概

――シンクタンクとしての旧NRIには大きく、企業業績やマクロ経済調査を行う「証券調査部門」と、政府や自治体・個別企業の課題解決を支援する「受託研究部門」があったと聞いています。1988年にNCCと合併し、その後の紆余曲折を経て、現在のような組織体制になりました。お二人はそれぞれ入社時期が異なりますが、入った当時、シンクタンクとしてのNRIをどう感じましたか?

立松:私は1987年に旧NRIの受託研究部門に入りました。シンクタンクといえば圧倒的に非営利団体が多い日本で、株式会社として成立している組織があることに驚き、素朴な興味を抱いたのが入社のきっかけです。そして、国や地方自治体の政策を民間企業がお手伝いし、それがビジネスとして成立することに感心しました。
国の政策立案そのものは官僚の仕事でしたが、当時、そのために必要な情報収集や調査分析によって、そこを補完するのが我々の仕事というイメージでした。旧NRIが受託していた調査研究業務の半分以上は、国や自治体の支援です。ただ調べたことを伝えるのではなく、我々独自のオピニオンを埋め込んでいく。そんな気概をもって、当時の人たちは仕事に取り組んでいました。

神尾:私が入社したのは、旧NRIとNCCが合併して3年後の1991年です。就職活動をしていた頃、すでにNRIの名前は知られていました。私自身は、第三者的な立場で公共や地域に関わる調査・研究をする仕事に憧れていました。NRIはまさにそのイメージにぴったりの会社でしたが、実際に入ってみると、自ら企画書を書き営業をして仕事を取ってこなければならない。当たり前ですが、厳しいビジネスの世界を目の当たりにし、自分にはかなり甘い気持ちがあったことを思い知らされました。

立松:確かに調査研究というと、一般的には「象牙の塔」のイメージがあります。研究を突き詰めるのは良いのですが、悪くすると、それが自己満足な情報発信に終わってしまいがちです。しかし、そうではない。私たちはビジネスとしてシンクタンクの活動を続けていく――当時のNRIにはそんなひりひりした感覚があって、私は居心地よく感じていました。

神尾:私は入社して数年は覚えることが山ほどあって、仕事を取ってくるとか、売上や利益を上げるなど考える余裕はなかったです。ただ、入社して感じたのは、膨大なデータベースなどにもとづいてシステマチックに仕事をするというよりも、専門性のある個々の人たちとのつながりやチームワークを重視して仕事に取り組んでいる組織であると実感しました。

今なぜシンクタンク機能の再強化が必要なのか

――NRIでは今、シンクタンク機能の再強化を図ろうとしていると聞いています。その理由を教えてください。

立松:今なぜ我々がシンクタンク機能の再強化を議論し始めたかというと、やはり時代が求めているという感覚があるからです。日本経済は20年以上前から低迷を続けています。世界における日本の相対的な地位は低下する一方で、もはや先進国とは言えなくなっています。成長力も衰える中、少子高齢化がこのまま進めば、日本経済の活力が失われていくことは目に見えています。2020年代に何らかの復活の烽火を上げないと、日本は衰退していくばかりです。良い未来を手に入れるには、2020年代がラストチャンスだと思っているわけです。
日本初の民間シンクタンクとして設立されたNRIは、第三者的立場で官・民を支援してきたユニークなポジションにいますから、これを活かさない手はない。そんな使命感を持って考えています。日本の今の苦境は、官と民が連携して打開するしかない、と私は思っています。

神尾:シンクタンクという言葉は、いろいろなところで使われていて、定義もばらばらです。コンサルティング会社や非営利の研究所などもシンクタンクと呼ばれていますし、最近では軍事・防衛領域でよく耳にします。NRIはこれまで、各省庁に対して政策立案を支援する形でシンクタンクとしての役割を果たしてきました。各省庁の方々が、ある領域についての予算枠をとり、調査や政策実行の支援を外部機関に委託する。我々はそれを受託して成果を出し、政策の遂行に役立ててもらう。これはこれでよいのですが、逆に省庁ごとのいわゆる縦割りの政策(案件・予算)の範囲でしか支援できないわけです。一方で、日本が抱えている課題には、競争力復活、 人づくり、地方創生、サステナビリティ社会の構築など、省庁をまたいで解決しなければならない多くのテーマがあります。各省庁の縦割り政策を積上げることだけで日本が目指したい未来を実現できるのか、と我々としては考えてしまう。そうなると、省庁を越えた政策、あるいは各省庁が出す政策の融合について、切り込んで何かものを言わなければなりませんが、そのとき、民間企業の視点を持ちつつ、官公庁の政策にも精通してきたNRIなら、貢献できるのではと思っています。

日本のシンクタンクのあり方が問われた契機

――具体的に、これからのシンクタンクには、どのような機能が必要だとイメージしていますか?逆に今までのシンクタンクには、どのような問題があったと思いますか?

立松:シンクタンクの役割は、簡単に言えば公共政策の提言ですが、一般的によく見られるのは、その道の権威――大学の先生や官僚OBなどを招聘してオピニオンを出すパターンだと思います。しかし政策提言とは本来、調査と分析に基づくエビデンスベースで語るべきだと私は思っています。事実として今はこうなっていて、今後はこのような方向に動いていると提示しながら、あるべき姿を話すことが重要だと思います。
そう考えると、例えばバブル崩壊時、あるいはリーマンショック時、または民主党政権誕生時は、日本のシンクタンクのあり方が問われた時だったのではないかと思います。政権交代によって、新しいマニフェストが提示されましたが、あの時、我々も含めたシンクタンク業界は、その内容について、財政の裏付けはどうなっているのか、実現性や効果・インパクトはどうなのか、素早く分析して出すべきだったと今となっては思います。これから求められるのは、政策の「あり方」を提言するのはもちろんとして、その「実現力」も評価することだと私は思います。そのためにも、調査と分析によるエビデンスによって望ましい姿を出していくことが重要なのです。

神尾:省庁からお金を貰いながら政策提言に関わるという難しさというのもあります。場合によっては、相手が望まないこと、相手の先を読む発言もしなければならず、その問題は常につきまといます。

次のページ:知の挑戦と継承 Part2


対談者プロフィール

立松博史(コンサルティング事業担当 専務執行役員) 1987年、旧NRIに入社。地域計画研究部、地域事業コンサルティング部、産業コンサルティング部、事業戦略コンサルティング部、産業IT事業本部などを経て、現職。エネルギー産業をはじめとする公益産業、サービス業などを中心に、事業戦略、マーケティング戦略、営業改革策定に従事。

神尾文彦(未来創発センター長・研究理事) 1991年、NRIに入社。官公庁・地方自治体・公益団体などの調査・コンサルティング業務に従事。専門は都市・地域戦略、公共政策、社会インフラ戦略など。近年は地方創生、デジタルガバメントなどの領域に取り組む。内閣官房「未来技術×地方創生検討会」委員ほか、官公庁・地方自治体などの委員を多数歴任。デジタル田園都市国家構想応援団・運営理事。

  • Facebook
  • Twitter
  • LinkedIn
NRIジャーナルの更新情報はFacebookページでもお知らせしています

お問い合わせ

株式会社野村総合研究所
コーポレートコミュニケーション部
E-mail: kouhou@nri.co.jp

NRI JOURNAL新着