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木内登英の経済の潮流――「物価と賃金の好循環は起こるか」

金融ITイノベーション事業本部  エグゼクティブ・エコノミスト  木内 登英

#木内 登英

#時事解説

2023/02/10

いよいよ2023年の春闘が本格化してきました。今年は例年になく、大幅な賃金上昇への期待が高まっています。実際、賃金上昇率はかなり高まりそうです。一方、消費者物価(除く生鮮食品)は昨年12月に前年同月比+4.0%と、実に41年ぶりに+4%台に乗せました。果たして、物価と賃金が相乗的に高まる好循環が日本で起こるのでしょうか。

今年の賃金上昇率は1997年以来の高い水準に

労働組合の中央組織である連合は、ベア+3%程度、定期昇給分も含めて+5%程度の賃上げを掲げて、今年の春闘に臨んでいます。従来よりもそれぞれ1%ずつ高い目標水準です。
一方、経営者団体である経団連は、歴史的な物価高に配慮して、積極的な賃上げが「企業の社会的な責務」であると指摘し、会員企業に賃上げを強く呼びかけています。十倉経団連会長は、「賃金と物価が適切に上昇する好循環につなげなければ、日本経済の再生は一層厳しくなる」とも述べています。
昨年の春闘ではベアが+0%台半ば程度、定期昇給分も含めて+2.2%の賃上げとなりました。今年は、ベア+1%強、定期昇給分も含めて+3%弱の賃上げになると予想されます。賃上げ率は1997年以来の高い水準となることが見込まれるのです。
また今年の春闘は、日本銀行の政策修正期待が強まっているタイミングで開かれています。その行方は、4月の新総裁就任以降の日本銀行の金融政策を占う観点からも、大いに注目されています。
昨年来の物価上昇率の上振れに、春闘での賃金上昇率の上振れが重なることで、この先賃金と物価の間に好循環が生じて、日本銀行が掲げる2%の物価目標を安定的に達成できる環境が整う、との期待も一部に浮上しています。

物価・賃金上昇率の上振れは一時的

しかし実際には、賃金と物価の好循環が生じる可能性は低いと考えられます。確かに、今年の春闘では賃金はかなり上振れることが見込まれますが、それは、昨年の高い物価上昇率が転嫁されるという、一時的な性格が強いでしょう。
消費者物価(除く生鮮食品)は今年1月に前年同月比+4%強でピークをつけ、しばらく高止まりを続けた後、2023年の後半からは低下傾向を辿ると見られます。一時的に物価高をもたらした、海外市場でのエネルギー価格高騰、円安進行の流れは既に変わってきており、エネルギー価格の下落と円高進行の影響で、輸入物価は足元で既に下落傾向に転じています。川上での価格下落の影響は、年後半以降、消費者物価上昇率の顕著な低下をもたらすことになるでしょう。
来年の春闘の時期には、消費者物価の上昇率は前年比で+1%台前半まで低下していると予想されます。今年の春闘で賃金上昇率は上振れても、それは物価上昇率の上振れを映した1年限りのもので、来年の春闘ではベアは再び+0%台、定期昇給分を含む賃上げ率は+2%台まで下がると予想されます。

持続的な実質賃金上昇には経済の潜在力の向上が必要

日本銀行は、目標とする+2%の物価上昇率が安定的に続く状態と整合的な賃上げ率は、ベアで+3%程度としています。物価上昇率よりも1%高い水準です。今年の春闘でベアは上振れたとしても+1%強にとどまり、+2%の物価目標達成に必要な水準にはなおかなり遠い状態です。
高い物価上昇率の影響を受けて賃金上昇率が一時的に上振れても、物価上昇率を上回らないと実質賃金上昇率(名目賃金上昇率-物価上昇率)はマイナスとなり、国民生活はより厳しくなります。さらに、実質賃金が持続的に増加しないと、物価と賃金が相乗的かつ持続的に高まることも起こりにくいのだと思います。
企業と労働者の間の分配に変化がない場合、実質賃金の上昇率は労働生産性上昇率と一致します。この点から、労働生産性上昇が高まるという経済の潜在力向上があって、初めて実質賃金上昇率が高まり、物価と賃金の好循環が生じると考えられるのです。
しかし、労働生産性上昇のトレンドは足元で、従業員一人当たりで計算して前年比+0.2%程度、従業員の総労働時間当たりで計算して前年比+0.6%程度と、日本銀行が示唆する+1%の実質賃金上昇率(=労働生産性上昇率)にとどいていません(図表)。

物価上昇率のトレンドが+2%を超えていた1990年代初頭の労働生産性上昇率を参考に考えれば、実際には、労働生産性上昇率が+3%を超えないと、物価目標の+2%を安定的に達成することは難しいように思われます。
4月からの新体制下で日本銀行は、足元の一時的な物価と賃金上昇率を捉えて、2%の物価目標達成が見通せるようになったとして金融政策の正常化に踏み切るのではなく、2%の物価目標を中長期の物価目標に修正したうえで、金融政策の正常化を慎重に進めていくことが予想されます。

岸田政権の労働市場改革に期待

2023年1月の施政方針演説で岸田首相は、構造的な賃上げを実現するためにリスキリングによる能力向上支援、日本型の職務給の確立、成長分野への円滑な労働移動を進める、という三位一体の労働市場改革を打ち出しました。
1年前の施政方針演説でも岸田首相は賃上げを訴えていましたが、当時は、賃上げ促進税制の拡充と企業への賃上げ要請を通じて、直接的に賃金を引き上げることを目指していたのです。しかし、経済合理性に従って行動する企業が、労働生産性向上などの経済構造の変化がない中で、大幅かつ持続的な基本給の引上げなどを行うとは考え難いところです。
ところが今回は、岸田首相は、持続的に賃金が上昇していくような経済環境を整えることを目指す、構造的な賃上げを掲げており、それは適切なものだと思います。
構造的な賃上げを実現するためには、リスキリングなどを通じた技能、生産性の向上を図ったうえ、それが従業員の賃金の上昇に繋がるよう、年功序列の職能給を成果主義の職務給へと変えていくことが有効でしょう。さらに、個々の技能の向上を経済全体の生産性向上へと繋げていくためには、労働市場の流動性も高める必要があります。それには、成果に応じた給与体系を通じて、客観的な市場価値が給与で示されることが重要です。それこそが、職務給(ジョブ型)です。
新卒一括採用、年功序列型給与体系、終身雇用、などといった伝統的な雇用慣行は、かつては日本の高成長を支えた側面はありました。しかし現在では、それらが労働生産性の向上を妨げ、その結果、賃金上昇を阻んでいる、という側面もあるでしょう。
リスキリングなどを通じた技能、生産性の向上や日本型職務給の確立は、労働生産性向上、日本経済の潜在力向上に繋がる労働市場改革であり、日本経済の再生には必要です。それらが定着し、経済効果を発揮するまでには相応の時間を要するでしょうが、岸田政権がそこに至る道筋をしっかりと付けることを期待したいと思います。

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プロフィール

木内登英

エグゼクティブ・エコノミスト

木内 登英

経歴

1987年 野村総合研究所に入社
経済研究部・日本経済調査室に配属され、以降、エコノミストとして職歴を重ねる。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の政策委員会審議委員に就任。5年の任期の後、2017年より現職。

 

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株式会社野村総合研究所
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E-mail: kouhou@nri.co.jp

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