2024/05/10
2024年3月19日に日本銀行はマイナス金利政策を解除しました。日本銀行の政策転換は日米間の金利差を縮小させ、円安修正のきっかけになると当初は予想されていました。しかし実際には、その後も円安傾向は続き、4月29日には一時1ドル160円にまで円安が進みました。その後、政府は2回のドル売り円買いの為替介入に踏み切ったと推察されます。当面のドル円レートは、米国で発表される経済指標に左右されやすい状況ですが、今後は円安阻止に向けた政府と日本銀行の連携姿勢が試されそうです。
1ドル152円の防衛ラインが破られる
ドル円レートは、今年年初の1ドル140円程度から、ほぼ一貫して円安の流れを辿ってきました。日本政府は、円安の進行が物価高を助長し、国民生活や企業活動を圧迫することを懸念しています。
そこで政府は当初、1ドル152円を防衛ラインと考え、それを超えて円安が進むことを強く警戒してきたと考えられます。1ドル152円は、2022年と2023年の円安のピークに近い水準です。この節目となる水準を超えて円安が進めば、円安の流れに一段と弾みがついてしまう恐れがありました。一方、この水準で三度(みたび)円安が食い止められれば、そこが強い壁となり、円高方向に為替の流れが変わることも考えられたためです。
1ドル152円は為替市場でも強く意識され、152円の一歩手前の水準でドル円レートが膠着する期間が長く続きました。しかし、米国で予想を上回る物価指標が発表されたことをきっかけに、4月10日の米国時間に、ついに1ドル152円を超えて円安が進みました。
米国の為替介入のけん制と金融政策決定会合でさらなる円安に
円安の流れにさらに弾みがつくきっかけとなったのは、米国時間の4月25日に、イエレン米財務長官が、「介入がまれであることを願う。そのような介入がめったに起きず、過度な変動がある場合に限定され、事前に協議があることが期待される」と述べ、日本政府の為替介入を強くけん制したことです。
米国政府は、先進国が為替介入を行うことを好ましくないと考えています。そもそも為替レートは市場が決めるものである上、先進国が頻繁に為替介入を実施すると、新興諸国がそれを真似して為替介入を積極化させ、為替市場や国際資金フローを大きく歪めてしまうことを警戒するためです。
イエレン財務長官のこの発言によって、日本政府が為替介入を実施しづらくなったとの観測が生じました。さらに、その後の4月26日の金融政策決定会合後の記者会見で日本銀行の植田総裁は、円安の進行をけん制する発言をしなかったことから、円安阻止に向けた政府と日本銀行の連携についての市場の期待は大きく後退し、円安の流れが強まっていきました。
決定会合前には1ドル155円台前半で推移していたドル円レートは、東京市場で1ドル156円台まで円安が進みました。円安の流れは同日の海外市場でも続き、米国市場の終盤には、1ドル158円台までさらに円安が進行しました。24時間のうちに約3円もの急速な円安となったのです。
政府は2回の「覆面介入」実施か
日本が大型連休中の4月29日の朝方に、ドル円レートはついに、一時1ドル160円台に乗せました。日本が休日であったため、政府の為替介入に対する警戒感が薄れ、市場参加者が安心してドル買い円売りを仕掛けられたことが、その一因とも考えられます。
ところが同日の午後に入り一転して為替は円高に振れ、1ドル155円近くまで一気に円が買い戻されました。1時間以内に4円程度も円高に振れることは、通常の取引では起こりにくいことです。政府は明らかにしませんでしたが、政府による為替介入があったことが強く疑われる状況でした。
さらに、日本時間の5月2日早朝には、1ドル157円台から一時153円台まで円が再び急騰しました。1時間足らずでドル円レートが4円程度も動くのは、4月29日と同様に、政府の為替介入が実施されたことが強く疑われる状況です。政府は、為替介入の有無を明らかにしていませんが、この点も4月29日と同様であり、いわゆる「覆面介入」の可能性が高いと考えられます。
政府が為替介入を行っても、その事実を明らかにしない「覆面介入」は、2022年にも採用された手法ですが、市場を疑心暗鬼に陥れることで、円安の流れを強くけん制できる効果が期待されます。
米国時間の5月1日に、FOMC(米連邦公開市場委員会)が行われました。予想通りに政策金利は据え置きになりましたが、その後の記者会見でFRB(米連邦準備制度理事会)のパウエル議長は、「FRBの次の動きが利上げとなる可能性は低い」、と述べたことなどが注目され、円がやや買い戻されました。
日本政府は、FOMCを受けて再び円安の流れが強まれば、米国市場でドル売り円買いの為替介入に踏み切る準備をしていたと推察されます。しかし実際には逆にやや円高に振れたことから、それを見て戦略を転換した可能性が考えられます。つまり、市場の流れが円高に振れたタイミングを捉えて、「円の押し上げ介入」の実施を決めた可能性があるでしょう。
市場で円安の勢いが強い際には、ドル売り円買い介入を実施しても、その効果は短期間で市場に吸収されてしまう可能性がある一方、一時的に円高の流れに転じたタイミングで「円の押し上げ介入」を実施すれば、比較的容易に円高を促すことが可能となることが、しばしばあるためです。
為替介入は時間稼ぎの政策
今後のドル円レートは、引き続き米国の経済指標に大きく左右されるでしょう。米国で弱めの経済指標の発表が続けば、ドル円レートは4月29日の1ドル160円が今年の円安のピークとなり、年内に1ドル140円台半ばまで円安の修正が進む可能性もあるでしょう。
他方で、強めの米国経済指標の発表が続けば、1ドル160円を超えて円安がさらに進む可能性があります。その場合、政府は再び為替介入を実施することが予想されます。これは、為替介入を嫌う米国政府との間に軋轢を生じさせる可能性がありますが、国内企業や家計の間からは、物価高を助長する円安進行への不満が日に日に高まる中、円安対応を講じたことを国民にアピールする狙いからも、政府は為替介入を実施すると予想されます。
実際、円安は家計を圧迫します。年初の1ドル140円から160円まで、約14%も円安が進みましたが、それには、消費者物価を1年間で0.2%程度押し上げる影響があります(内閣府「短期日本経済マクロ計量モデル(2022年版)」による)。
そしてこの物価上昇は、家計には平均で年間6,590円の負担となる計算です。円安の進行は、目先だけでなく将来の消費者の物価上昇懸念を高めることを通じ、個人消費の強い逆風となり得ます。
ただし、為替介入だけで円安の流れを変えることは難しい、と考えられます。日本銀行の「外国為替およびデリバティブに関する中央銀行サーベイ(2022年4月中 取引高調査)」によれば、日本の外国為替市場での1営業日あたりの平均取引高は4,325億ドルです。これは1ドル155円で換算すると67.0兆円です。
2022年に政府は3回のドル売り円買い介入を実施しましたが、その総額は9.2兆円でした。また、最近の2回の為替介入の規模は9兆円程度、とも推計されています。これらの数字は、日本での1日の外国為替取引高と比べるとかなり小さく、為替介入だけで市場の需給に大きな影響を与えることは難しいと考えられるのです。
政府と日本銀行の連携強化に注目
ただし、為替介入によって円安の流れを一時的に食い止め、時間稼ぎをすることは可能でしょう。為替介入は「時間を買う政策」とも言われます。そして、円安阻止に向けた政府と日本銀行の連携強化の姿勢をこの為替介入と組み合わせることで、円安阻止の実効性は高まることが期待されます。
為替政策を担うのは政府であり、日本銀行は為替レートを金融政策運営の目標にはしませんが、経済の安定を損ねかねない円安に対する警戒を示し、また為替の安定に向けて政府との連携を強化するとの姿勢を対外的にアピールするだけで、円安阻止の効果は生じるでしょう。
現時点では、日本銀行は最短で今年9月に追加利上げを行うと筆者は予想しています。他方、FRBも同じく9月に利下げを行うことが市場で予想されています。日米が逆方向に金融政策を修正するとの観測がこの先強まっていけば、為替市場ではドル高円安の動きが収まる、あるいは反転することが予想されます。
そうした観測が強まることで円安圧力が低下していくことが期待される夏場までの間、為替介入と政府と日本銀行の連携姿勢によって、どの程度円安を食い止めることができるか、が大いに注目されるところです。
日本銀行が政府との強い連携を実行できれば、最悪のケースでも1ドル165円前後で円安ドル高の流れを食い止めることができるのではないか、と現状では考えておきたいと思います。
木内登英の近著
世界金融の覇権を狙う中国
プロフィール
エグゼクティブ・エコノミスト
木内 登英
経歴
- 1987年 野村総合研究所に入社
経済研究部・日本経済調査室に配属され、以降、エコノミストとして職歴を重ねる。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の政策委員会審議委員に就任。5年の任期の後、2017年より現職。
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