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日銀の黒田総裁の記者会見-Forward guidance

2018/07/31

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はじめに

今回(7月)の金融政策決定会合(MPM)は、賃金や物価の形成メカニズムについて再点検を行い、その結果を踏まえて、展望レポートにおける物価見通しを2020年度にかけて下方修正した。

ここまでは市場予想通りであったが、今回のMPMはさらに進んで金融政策の運営について多くの見直しを行った。日銀はこうした見直しの狙いが「量的・質的金融緩和」の持続力を強めることにあると説明したが、少なくとも市場の反応や記者会見の質疑を見る限り、その消化にやや時間を要するような印象も受ける。

見通しの修正

MPMは、景気見通しは(おそらく年初の景気減速を考慮した本年度のわずかな下方修正を除いて)前回(4月)のまま維持した。つまり、2019年度以降は徐々に景気が減速するが、海外経済の拡大に支えられて、実質GDP成長率は潜在成長率付近に止まる(両年度ともにmedianは+0.8%)との見方を維持している。

これに対して、MPMは物価見通しを再び下方修正した。2018~2020年度の予想のmedianは、今や+1.1%→+1.5%→+1.6%と前回(4月)の+1.3%→+1.8%→+1.8%から0.2~0.3%ポイント低下し、今回の景気拡大での物価目標の達成が困難となったことを示唆した。一部の記者は物価目標の達成時期の目処を改めて質したが、黒田総裁はこれまでと同じく具体的な言及を避けた。

物価見通しの下方修正の背景は、日銀が予告していた賃金や物価の形成メカニズムの再検討の結果である(別冊子として公表)。まず、これだけ労働市場が逼迫しているのに賃金が上がりにくい理由については、雇用安定を優先する姿勢、高齢者や女性の労働供給における賃金弾力性の低さ、全般的な経済成長期待の低さなどが挙げられている。

その上で、企業の価格引上げに対する慎重な姿勢については、消費者の価格感応度が高い中で、厳しい競争の中で値上げが需要の減少を招くとの懸念が指摘されている。加えて、サービス産業での生産性向上や全般的なIT技術の進歩によるコスト低下の効果にも言及している。

これらの論点自体は、日銀自身も含めて予て広く議論されてきた。ただし、GDPギャップがプラスを維持するだけでなくその幅を拡大し、労働市場の逼迫が進行し、円相場が概ね安定を保ち、エネルギー価格は上昇するといった局面になっても、こうした要因が働き続けることは意味を持つ。つまり、物価上昇のためには他の政策の支援が重要であるとともに、日銀には金融緩和をより長期に維持することが必要になる訳である。

政策変数の見直し

本日の記者会見で、黒田総裁が、今回の政策決定の目的が「量的・質的金融緩和」の持続力を高め、より長く継続しうるようにすることであると再三強調したのは、上記の考え方に基づいている。

まず、イールドカーブ・コントロール(YCC)については、10年物国債金利について、0%程度の目標を維持しつつ「上下にある程度の変動」を許容することとしたほか、買い入れ額も、年間80兆円増加の目処を維持しつつ「弾力的な買い入れ」を行うこととした。同時に、当座預金残高の「マクロ加算残高」(0%適用分)を拡大することで、マイナス金利の適用残高が(推計上で)約5兆円へと縮小するとの見通しを示した。

これに対して数名の記者からは、国債買入れのこうした見直しがなぜ、金融緩和の持続力強化に繋がるのか、その理由に関する質問が示された。これに対し黒田総裁は、YCCの下で10年国債の利回りを極めて狭い範囲に抑制してきたことが、国債の市場機能の悪化に繋がったとの認識を示し、買入れ運営の見直しによって市場機能の維持が期待されるとの考えを示唆した。

この点には違和感を持つ向きもあるかもしれない。なぜなら、大量の国債買入れによる市場機能への影響は予て懸念されてきたからである。金融緩和の継続が長期化するので、市場への負荷も従来以上に大きいとの議論は可能であるが、本日の質疑を見る限り、「なぜ今なのか」との疑問に繋がっている面もあるようだ。

一方、別の記者が長期金利の引き上げによる金融機関収益の下支えの意図を質したのに対し、黒田総裁は強く否定した。日銀は金融政策の「正常化」ではないと強調している以上、このように回答する以外に選択肢はない。しかし、黒田総裁も、低金利環境が長期化することによる金融仲介への影響は引続き注視すると述べている。

最後にETFに関してはTOPIX型の買入れウエイトを大きく増やすことを決定し、黒田総裁はコーポレート・ガバナンス面での副作用軽減に期待を表明したが、この点も市場が予て期待してきた対応であった。もっとも、今回のMPMは、ETF買入れの本来の趣旨であるリスクプレミアムの抑制に照らして、実際の金額を柔軟に運営することも決めている。

コミュニケーション政策

今回の政策決定には長短金利を極めて低い水準に維持するという新たなフォワードガイダンスの導入が含まれる。ここには、消費税率の再引上げを含む景気や物価の不確実性に対する言及はみられるが、時間ないし経済に関する条件は示されていない。黒田総裁は「extended period of time」という英語表現に相当すると説明したが、ECBによる現在のフォワードガイダンスと似ている。

このフォワードガイダンスに関しては、既存のコミットメントとの相違や重複の可能性を質す記者がみられた。これに対し黒田総裁は、マネタリーベースに関するオーバーシュート・コミットメントや、物価目標に照らした「量的・質的金融緩和」の維持を確認した上で、YCCの下ではMPMで目標金利の修正を行うことが可能であるだけに、こうしたフォワードガイダンスに意味があると説明した。

しかし、記者が示したより本質的な疑問は、なぜ今フォワードガイダンスを新たに導入するかである。黒田総裁は、今回の決定が金融政策の「正常化」でないことを強調し、メッセージの明確化が導入の理由であることを示唆した。実際、本日の長期金利や円相場を見る限り、市場には意図が伝わったようにも見える。

ただし今回の難しさは、こうした意図が過剰に伝わると、政策運営の柔軟性向上による効果が十分に発揮されなくなる点である。本日の記者会見で、黒田総裁が公表文になかった10年国債利回りの誘導レンジに具体的に言及したのも、こうした微妙なバランスを修正することが趣旨だったのかもしれない。

執筆者情報

  • 井上哲也

    井上 哲也

    金融デジタルビジネスリサーチ部
    シニアチーフリサーチャー

    金融デジタルビジネスリサーチ部 シニアチーフリサーチャー

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