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安倍首相辞任で金融政策は変わるか

2020/08/31

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積極金融緩和は大きな弊害を残した

安倍首相の突然の辞任を、金融市場は比較的冷静に受け止めているように見える。これが安倍政権の経済政策パッケージ、いわゆるアベノミクスへの期待が非常に強かった時期の辞任であったなら、市場の反応はもっと大きかったはずだ。政権発足当時と比べて格段に落ちてしまったのが、一般にはアベノミクスの一角とされる金融緩和策の景気・物価への影響に対する期待だろう。

安倍首相の後任が誰になろうとも、当面の新政権の政策はコロナ対応に忙殺されるため、現状と大きな違いは生じないのではないか。そして今後、物価上昇率は小幅な下落基調を辿るものとみられるが、その場合、安倍政権の経済政策を継承する形で、新政権もデフレ克服を政策の柱に掲げるようになっていく可能性があるだろう(コラム「デフレ克服という政策目標の危うさ」、2020年8月20日)。

安倍政権は当初、日本銀行の異例の積極金融緩和策を、デフレ克服のために用いる最大の武器、と位置付けた。デフレを国民の生活を脅かす敵とし、そのデフレを退治するために日本銀行の政策姿勢を変えさせ、積極的な対応を促すことで、政治的な求心力を高めていったのである。

しかし、積極緩和策は政権あるいは日本銀行自身が当初に期待した効果を発揮することはなかった。反面、大きな副作用、潜在的なリスクを累積することになったのである。それは、金融機関の収益環境悪化、金融市場の機能低下、財政規律の緩み、日本銀行の財務悪化を通じた独立性低下のリスクなどである。これは巨額の政府債務と並んで、大きな「負の遺産」となったのではないか。

「財政ファイナンス」の弊害は大きい

新政権が今後デフレ克服を政策の柱に掲げるとしても、安倍政権の発足当初のように、日本銀行の金融緩和策に大きな期待をかけ、積極的な対応を強く求めることはもはやないだろう。金融緩和の効果に関する期待は、この間に大幅に低下してしまったからである。

従って、景気対策、脱デフレ対策の柱は、勢い国債発行に財源を求める財政出動へと向かいやすくなる。その際に新政権は、日本銀行には新たな積極緩和策の実施ではなく、国債の買入れや低金利環境の維持、つまり現在の政策を維持することを通じて、国債利回り上昇のリスクを抑える効果に期待するだろう。これは、日本銀行が政府の国債管理政策に関与する「財政ファイナンス」に他ならない。

日本銀行が支える形での財政環境の悪化は、将来への負担の転嫁を通じて、企業の中長期の成長期待を損ね、設備投資、雇用、賃金の抑制を通じて生産性上昇率、労働生産性上昇率の低下を招き、国民生活の安定を損ねてきた、と筆者は考えている。

新政権には是非とも、需要創出策から生産性向上を柱とする経済政策へと一気に方向転換して欲しいと筆者は考えているが、実際には、国債発行で賄われる財政拡張策が新政権によっても繰り返される可能性はあるだろう(コラム、「歴史的長期政権はコロナショックを機に経済政策の大幅転換を」、2020年8月19日)。

日本銀行は「攻めの政策」から「守りの政策」に既に転換している

日本銀行は、2%の物価目標達成を柱とする金融政策運営を、コロナショック後に一時的に棚上げし、政府の特別融資制度などと協調する形で、企業、雇用を精いっぱい守る、危機対応策を実施している。こうした政策は、政府、国民、あるいは銀行からも支持され、称賛されている。従って新政権が成立しても、日本銀行はこうした政策をしばらく維持したいと考えているだろう。

しかし、安倍首相の辞任は、多少長い目で見れば、日本銀行の金融政策の転換点となるのではないか。日本銀行が政策効果に期待して、いわば「攻めの政策」を実施したのは、2016年1月に発表したマイナス金利政策まで、と筆者は考えている。

マイナス金利政策に対する金融市場や国民の悪い反応などを受け、その後日本銀行は、異例の金融政策がもたらすリスクを管理・軽減していく政策、いわば「守りの政策」に転換していったと筆者は考える。2016年9月に導入されたイールドカーブコントロールも、もはや金融緩和効果を高めるという狙いはなかったのではないか。金融機関の収益を損ねる長期・超長期の金利低下に歯止めをかけ、また流動性低下のリスクが高まっていた国債の買入れ額を減らすことに主眼が置かれていた、と考えられる。

実際、その後は国債の買入れ増加ペースは着実に低下し、コロナショックを受けて、政府への配慮から無制限で国債買入れを積極的に行なう姿勢をアピールした後も、買入れペースは増加させていない。

この買入れ増加ペースの低下傾向は、事実上の正常化策と言えるだろう。また、コロナショック後は、金融機関の収益悪化に配慮して、政策金利のさらなる引き下げ、いわゆるマイナス金利の深堀りという選択肢を、日本銀行は封じたようにも見える。

安倍首相辞任は日本銀行の金融政策の転換点に

このように日本銀行は、決して明言することはないが、異例の金融緩和策のリスクを管理・軽減する措置や、事実上の正常化を進めてきていると考えられる。それでも、明確に正常化策に舵を切れないのには3つ理由がある。

第1は、政策の失敗を認めることで、日本銀行の信頼を損ねたくないからだ。第2は、金融市場の反応を恐れるためだ。特に日本銀行は、正常化方向に金融政策を明確に転換したと市場が受け止めた際に生じ得る、急速な円高進行のリスクを強く警戒している。

日本銀行が、効果の限界と副作用の大きさを認識した後にも、異例の金融政策を明示的に転換できなかったのは、それが金融市場の大きな反応を招くことを怖れたためであるところが大きい。効果があるから政策を続けるのではなく、止めることが難しいから続けてきた、という側面が強いのではないか。

そして第3は、安倍首相の大きな存在感である。安倍首相は、「考えを同じくする人」として現在の黒田日本銀行総裁を選んだ人である。金融政策の転換がアベノミックスの失敗であるとして安倍首相が批判に晒される可能性に、日本銀行としても最大限配慮することを強いられてきたのではないか。

この点から、安倍首相の辞任は、日本銀行が異例の金融緩和策のリスクを管理・軽減する措置や、事実上の正常化をさらに進め、将来の明示的な正常化への準備を進めることを助けるのではないか。そして、安倍首相の辞任は、多少長い目で見れば日本銀行の金融政策の転換点となるのではないかと思われる。

しばらくは政策姿勢に変更がないことをことさら強調

しかし、安倍首相の辞任発表を受けて、即座に日本銀行が政策姿勢の変えることは考えられない。むしろ、しばらくの間は、政権が変わっても金融政策には変化がないことをことさら強調する情報発信を、日本銀行は実施する可能性が高いだろう。

政権交代と共に日本銀行が正常化方向へと政策姿勢を変えれば、今までの金融政策が政権の強い影響力の下で実施されていたことを認めることになってしまい、それは日本銀行の信認を一段と低下させてしまうからだ。さらに、円高進行など金融市場の反応を恐れてのことである。

安倍首相の辞任は黒田総裁の後任人事にも大きく影響するか

また、安倍首相の辞任は、黒田総裁の後任人事にも大きな影響を与えると考えられ、この点も日本銀行にとって大きな関心事であろう。

安倍政権下では、日本銀行出身者が総裁に指名される可能性は低かったと思われる。安倍首相は、デフレを助長したとして、日本銀行の政策運営に対する強い不信感を持っていた。そして、財務省出身の黒田総裁の後任に再び日本銀行出身者を充てれば、いわば金融政策が先祖返りしてしまうことを怖れた、と考えられる。

安倍首相の辞任によって、日本銀行は、次期総裁が日本銀行出身者から選ばれることを期待していることだろう。

明確な正常化は次期総裁の下で

安倍首相の辞任を受けて、日本銀行は異例の金融緩和策のリスクを管理・軽減する措置や、事実上の正常化をさらに進めやすくなる。ただし、明確に正常化に転じるのは、黒田総裁に代わる次期総裁のもとだろう。そして、次期総裁が日本銀行出身者であれば、そうした政策転換はより容易となるだろう。

次期総裁のもとでの政策転換に向けた地ならし、下準備を、日本銀行はコロナショックの影響が薄れてくれば、慎重に進めていくことになるのではないか。

日本銀行が自主性や政策の自由度を取り戻すきっかけにも

ところで、日本銀行が2%の物価目標を含めて政策転換を行なうためには、2013年1月の政府と日本銀行の共同声明、通称アコードが強い制約になるとの見方もあるが、それは正しくないだろう。

この声明は、日本経済の再生に向けて、政府は財政健全化と成長戦略の推進、日本銀行は積極的な金融緩和と、それぞれの領域で最大限努力をする意思を確認し表明したものに過ぎない。2%の物価目標の達成についても、金融政策のみで達成するものではなく、経済の潜在力を高める政府、企業の取組みが奏功することが前提であることを示唆する表現が用いられていた。

政府、企業の取組みが経済の潜在力を十分に高めていないことを理由に、日本銀行が2%の物価目標を見直す、あるいは中長期のよりソフトな目標へと変質させることは、政府との間で再度アコードを結ぶことなしに可能である、と筆者は考えている。

安倍首相の辞任は、多少長い目で見れば、日本銀行が金融政策を修正し、また、その自主性や政策の自由度を取り戻していく大きなきっかけになり得る、と言えるのではないか。

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