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気候変動に関する金融リスクの分析-マクロプルーデンスの視点

2021/11/01

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はじめに

米国の金融安定監督評議会(FSOC)は、先般(10月21日)、気候変動に関する金融リスクと題する報告書を公表した。FSOCは世界金融危機(GFC)後に主要な監督当局の会議体として設置されただけに、マクロプルーデンスの観点を意識すべき組織である。しかし、本報告書の内容は、気候変動に関してはこうした議論が発展段階であることを示唆している。

ミクロとマクロの関係

GFCを含む多くの経験から学んだことは、ミクロの金融リスクを「集計」しただけではマクロの金融リスクを過小評価することである。紙幅の関係で詳しい議論は省略するが、①金融と実体経済との相互作用や②金融市場の過度なボラティリティ(de-leverage等による)などが、ショックの影響を増幅するためと考えられる。

既存の金融リスクについては調査研究の積み重ねによってメカニズムが解明されてきたが、気候変動の場合は少なくとも実体経済との間で新たな相互作用を生じうる点で、さらに多くの知見が必要となる(例えば、エネルギー構成のシフトの遅延は気候変動を悪化しうる)。この点は、気候変動リスク等に係る金融当局ネットワーク(NGFS)が今般公表したアンケート結果が示唆するように、気候変動に関するモデルと金融経済を分析するモデルの整合的な連携の問題にも関わっている。

その上で、マクロの金融リスクを考える際に、ミクロの金融リスクに関する知見を高めることはもちろん重要である。なぜなら、気候変動の影響が経済のどの部門に深刻な影響を与え、金融にどのように波及するかを理解する上で不可欠だからである。

データギャップ

FSOCの報告書は、気候変動に関する金融リスクを分析する上での「データギャップ」について、①収集元、②収集・蓄積・利用、 ③整合性、④収集のコストベネフィットを主たる課題としている。

こうした整理は有用だが、マクロの金融リスクを考える上ではモデル分析が必要である以上、まずはモデル分析に必要なデータを特定することも効率的である。また、既存のマクロプルーデンスで実践されているように、監督当局や中央銀行は自ら収集するデータだけでなく、民間事業者が収集・分析するデータを①~④に留意しつつ活用する工夫も重要である。

ただし、再び問題になるのは気候変動と実体経済との相互作用に関する知見が発展途上である点である。この結果、FSOCの報告書が引用しているバーゼル銀行監督委員会(BCBS)の懸念が示唆するように、「分かるところしか監視しない」事態を招き得る点で、 GFC前の金融監督と同様な問題に陥る恐れもある。

抽象的には、データの制約の下でも気候変動と実体経済の相互作用を上手く把握するために、両者に対して安定的な関係を有する「第三の指標」を見出すことが考えられる。既存の入手可能なデータから合成ないし推計されることが望ましいし、そうした指標は気候変動対応の政策目標(中間指標)となりうるであろうが、少なくとも筆者にとっては想像の域を超えていない。

リスクの蓋然性

NGFSに参加する国々の監督当局や中央銀行が既に採用したり、採用に向けて調査研究を進めているシナリオ分析については、 FSOCの報告書も有用性を認めている。先に見たNGFSのアンケート結果には、この面での米国当局の取り組みがなぜか記載されていないが、今後はFRB内の金融安定気候委員会(FSCC)などでの取り組みが進められるのであろう。

シナリオ分析は、気候変動対策を含む経済政策の長期的なパスに依存する面が大きい移行リスクを取り扱う上で特に有用であるだけでなく、最終的には、金融の主たるプレーヤー(あるいはそれらと関係のある実体経済のプレーヤー)に自ら抱えるリスクを認識してもらい、その適切な管理に向けた行動変容を促す上でも重要な意味を持つ。

加えて、本報告書は足許の意味合いとして、シナリオ分析を行うためのモデルの構築やそれに向けた議論が、監督当局や中央銀行と金融の主たるプレーヤーの双方にとって、気候変動に関する金融リスクに対する知見を高める点も強調している。一方で、シナリオ分析を既存の(信用リスクや市場リスク等に関する)ストレステストのように、監督上の対応と直接紐づけることには慎重なスタンスを示唆している点も興味深い。

その上で、マクロの金融リスクを考える上では、各シナリオの蓋然性(事前的な確率)を示すことも有用である。そうすれば、政策当局は、様々なトレードオフを考慮した政策の損益関数(profit-loss function)に照らして、最大損失の最小化(max-min)のような戦略を選択することができる。また、シナリオ分析に必要かつ有用な「極端なパス」(例えば、NGFSシナリオの「現状維持」)だけが注目され、シナリオの妥当性全体に誤解を招くといったリスクを避けることにもつながる。

こうしたアプローチを発展させれば、主要な金融経済指標について、気候変動リスクに関する複数の離散的なパスを示すのではなく、将来的には、ファンチャートのような確率分布の推移を示すことも考えられる。実際、FSOCの報告書にはこうしたアプローチの端緒も示唆されている。

モデルの時間的視野

前節で見たように、移行リスクを念頭に置いた場合は長期の時間的視野を持つモデルの活用が有用であり、FSOCの報告書も10~30年超といった目途を示している。

ただし、本報告書も認めるように、実体経済と金融との相互作用に注目した場合、移行リスクに影響を受ける企業や資産の価値が、金融市場でフォワードルッキングに再評価される可能性にも注意する必要がある。

一般に、企業や資産が移行リスクに適応するには、様々な調整コストを含めて相応の時間を要するのに対して、金融市場での価値の変化は迅速に進行しうる点で、双方のギャップは新たなストレスの源泉となりうる。この点は、かつて日本で急速な円高が進行した際の産業構造調整の経験を想起すると理解しやすい。あるいは、足許でのエネルギー関連の供給制約には、既にこうした可能性が顕在化しつつあるとも言える。

いずれにしても、こうした問題を適切に理解する上では、移行リスクを念頭に置く場合でも、通常の金融経済分析のような短期(1~3年)の時間的視野を持つモデルの活用も有用となり得る。もちろんその場合には、実体経済と金融との相互作用を明示的に考慮することが必要となる。

執筆者情報

  • 井上 哲也

    金融デジタルビジネスリサーチ部

    シニア研究員

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