フリーワード検索


タグ検索

  • 注目キーワード
    業種
    目的・課題
    専門家
    国・地域

NRI トップ ナレッジ・インサイト コラム コラム一覧 最低賃金の引上げは非正規雇用の支援となるか

最低賃金の引上げは非正規雇用の支援となるか

2021/06/10

  • Facebook
  • Twitter
  • LinkedIn

コロナ終息が非正規雇用の最大の支援策

政府は6月8日に、「第3回新型コロナに影響を受けた非正規雇用労働者等に対する緊急対策関係閣僚会議」を閣議終了後に開催した。新型コロナウイルス問題は、非正規雇用労働者の職を奪い、また休業状態や大幅な所得減少を余儀なくさせるなど、非正規雇用労働者の脆弱性を浮き彫りにした。この点から、非正規雇用労働者の追加支援策を政府が検討することは妥当なことだ。

ただし、非正規雇用労働者の雇用・所得環境が大幅に悪化したのは、彼らを多く雇い入れている飲食、旅行関連などの業種が、新型コロナウイルス問題やそれを受けた緊急事態宣言による影響を一番大きく受けているからに他ならない。最も重要な支援策は、感染を一日でも早く終息させることである点を、まずは確認しておきたい。

また、政府の雇用調整助成金制度や休業支援制度が十分に機能してこなかったことが、非正規雇用労働者の雇用・所得環境の悪化を許してしまった面があることも、忘れてはならないだろう。

公正性確保の観点からの最低賃金引上げは正当化されるが

同会議の後、菅首相は3つの効果的な追加対策を決定した、と説明している。第1が職業訓練の更なる利用促進だ。非正規雇用労働者が、デジタル分野などの職業訓練ができるよう支援する。第2がデジタル、グリーンなどの成長分野への更なる人材の移動を促すことだ。そのために、同分野の教育訓練を支援し、リカレント教育を実施する大学を支援する。第3が、新型コロナにより賃金格差が広がらないよう、最低賃金を引き上げる環境を整備する。下請けの中小企業がそれを価格転嫁できるように、本年度から価格交渉促進月間を設定し、いわゆる下請Gメンが実態を調査する。

この3つは、いずれもまもなく閣議決定される今年の「骨太の方針」の内容とも重なる。第1、第2は、産業構造の転換と生産性向上を後押しする施策であり、妥当なものだ。問題なのは第3である。

「骨太の方針」でも最低賃金を大幅に引き上げる方針が明記される。それを通じて、雇用者の所得を増加させて経済成長につなげていく、あるいは地方での人材確保を後押しする、といった狙いがある。

しかし、最低賃金の引き上げが経済的にプラスの効果を生むのかどうかは明らかではない。最低賃金が賃金の平均的水準と比べて低すぎて、雇用者間の公平性が失われている際には、そのエビデンス(証拠)を明示したうえで、社会政策の観点から最低賃金を引き上げることは正当だ。

無理な最低賃金引き上げは雇用に悪影響

他方、経済政策として最低賃金を引き上げることは、狙った経済効果を発揮できない可能性も十分にあり、もっと慎重な判断が必要だ。筆者は、経済政策としての最低賃金の引き上げには否定的である。

基礎的な経済学では、企業の雇用は、雇用の限界生産性と実質賃金(名目賃金÷物価)が一致する時点で決まるとされる。他の条件が変わらない中で、名目賃金が上昇すれば、企業は雇用を減らし失業者が増えるのである。賃上げ率と比較して雇用の削減率が小さい場合には、(雇用者数×一人当たり賃金)で算出される賃金総額が増える可能性もあるが、それは確かではない。いずれにせよ、失業者の増加は社会厚生上望ましいことではない。

最低賃金の引き上げが雇用に悪影響を与えるリスクを認識しているからこそ、政府は「最低賃金を引き上げる環境を整備する」としているのである。最低賃金引き上げで下請け企業の人件費が増加した場合、それが収益を圧迫して雇用削減につながらないよう、製品価格に転嫁できるようにする。それには、納品先企業が値上げを受け入れる必要がある。政府が両者の価格交渉に影響力を及ぼし、下請Gメンの実態調査を通じて、納品先企業が値上げを受け入れるように強いる戦略だ。

しかし、下請け企業の賃金引き上げ分を納品先企業に転嫁させれば、その分、納品先企業の収益が悪化し、それを雇用の削減で補う可能性も出てくる。結局は、雇用の悪化が生じ得るのである。あるいは、設備投資が抑制され、生産性向上に悪影響を与える可能性もある。

さらに、以上の施策は製造業の下請け企業での賃上げを想定したものであるが、非正規雇用労働者の雇用・所得環境が顕著に悪化しているのは、コロナ問題の直撃を受けている飲食業、観光業などサービス業である。この点からも、非正規雇用労働者の支援策としては、的を射た施策とは言えないように思われる。

生産性向上を起点とすることが重要

ちなみに、内閣府が5月13日に内閣府が公表した「新型コロナウイルス感染症の影響下における中小企業の経営意識調査」によると、「最低賃金の引き上げを含む賃金相場が上昇した場合の対応策」として、中小企業が検討すると複数回答しているもののうち、正規雇用者及び非正規雇用者の削減はともに8%と1割弱に達している。また、設備投資の抑制との回答は20%にも達している。

(実質)賃金の上昇は、生産性向上の成果配分として労使間交渉を経て生じるものであり、最低賃金はそれに合わせて公正性の観点から引き上げられていくべきものだ。賃金を無理に上げるのではなく、まず政府は、企業、雇用者の生産性向上を引き出す措置に最大限注力すべきだ。順序が逆となり、生産性向上がない中で賃金を引き上げれば、雇用の削減、設備投資の抑制など経済の安定や社会厚生の観点から望ましくない影響を生じさせるリスクが生じる。

「骨太の方針」でも、生産性向上を起点として経済の好循環を起こすような骨太の政策措置をしっかりと盛り込んで欲しい。

執筆者情報

  • Facebook
  • Twitter
  • LinkedIn