新しい資本主義の軌道修正と骨太の方針:財政規律の後退に懸念
「貯蓄から投資へ」の方針を明記へ
政府は5月31日に骨太の方針(経済財政運営と改革の基本方針)案を発表する。6月7日の閣議決定を目指す。今回の骨太方針は、岸田政権としては初めて作成するものとなる。
「新しい資本主義」というスローガンのもとに打ち出してきた岸田政権の経済政策は、当初は企業に厳しいものであった。成長と分配の好循環を掲げながらも、岸田政権の政策姿勢は、いままで所得再配分に重点が置かれてきた感が強い。企業に賃上げを強く促す所得再配分政策は、企業の収益見通しを厳しくさせ、設備投資にも逆風となることで、経済の潜在力を損ねてしまうリスクを抱える。
さらに、岸田政権が発足当初から掲げていた金融所得課税制度の見直し(税率引き上げ)や企業の自社株買いの規制などは、株式市場の大きな懸念となってきた。
しかし、5月上旬の英国金融街シティでの講演で、岸田首相は「資産所得倍増計画」、「貯蓄から投資へ」などの方針を打ち出し、「株式市場を敵に回す」姿勢から「株式市場を味方につける」戦略に一気に転換したのである。これらは、個人資産をよりリスクマネー化することで経済を活性化させる政策であり、評価できるものだ(コラム、「岸田政権の「資産所得倍増計画」と「貯蓄から投資へ」」、2022年5月31日)。貯蓄から投資へと個人マネーをシフトさせるために、NISA(少額投資非課税制度)やiDeCo(個人型確定拠出年金制度)の拡充策が、骨太方針に盛り込まれる方向だ。
骨太方針ではより成長戦略重視の姿勢に
また、岸田政権が成長政略をより重視し始めたことも、骨太方針から読み取れるだろう。骨太方針には、新しい資本主義に向けた対応として、重点投資が盛り込まれる見通しだ。重点投資とは、(1)人への投資、(2)科学技術・イノベーションへの投資、(3)スタートアップへの投資、(4)グリーントランスフォーメーション(GX)への投資、(5)デジタルトランスフォーメーション(DX)への投資、である。
人への投資に政府は賃上げを含めている。賃上げが投資に当たるかどうかは疑問であるが、それ以外にこの「人への投資」には、高度なデジタル技能を備えた人材を育成する職業訓練や、社会人が大学などで学び直す「リカレント教育」の拡充などが検討されている。これらは、労働者がより成長分野へと移っていくことを助け、日本経済の労働生産性全体の向上、潜在成長率の向上に資する政策であり、大いに期待したいところだ(コラム、「修正が進む看板政策『新しい資本主義』と骨太方針」、2022年5月18日)。
社会保障制度会改革、GX経済移行国債の問題
他方、今回の骨太の方針で懸念されるのは、財政環境の悪化に歯止めをかける具体的な施策が盛り込まれない方向であることだ。
骨太の方針には、政府の全世代型社会保障構築会議がまとめた中間整理が反映される。高齢者人口は2040年頃に3,900万人超のピークを迎え、年金や医療などの社会保障にかかる費用が大きく膨らむ。他方で、社会保障制度の支え手となる生産年齢人口は、現在の7,500万人から、2040年には6,000万人以下に減ると推計される。高齢者については、収入や資産額に応じて医療費の窓口負担を高くするなど、支払い能力のある人に応分の負担を求める改革は待ったなしの状況だ。また年金、医療、介護の給付抑制も制度の信頼性、持続性を高めるためには必要だ。
しかし中間整理では、そうした具体策は明示されなかった。骨太の方針でも同様だろう。7月の参院選を前に、国民に痛みを強いる政策は打ち出しにくいタイミングではあるが、それは必要な施策であり問題の先送りは許されない。
また、既に挙げた成長に資する重点投資についても、しっかりと財源を確保することが重要であり、安易に国債増発で賄うことは避けるべきだ。デジタルトランスフォーメーション(DX)への投資については、政府支出分をGX経済移行国債で賄う方向だ。環境対策の恩恵は気候変動リスクの低下などを通じて将来世代も及ぶことから、国債発行で賄い、将来世代にも負担を求めることに一定の妥当性はある。
ただし、GX経済移行国債として通常の国債と分けることの妥当性は乏しいだろう。それによって、国債発行の増加を目立たなくする狙いがあるのであれば、それは問題だ(コラム、「政府が検討するGX経済移行国債発行の課題」、2022年5月23日)。
2025年度黒字化目標の再検証に大きな懸念
参院選後に想定される巨額の経済対策に加えて、防衛費の増額など、先行き、財政拡張的な政策が一段と強まっていくリスクがある。この点から今回の骨太方針で注目しておきたいのは、国と地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス)を2025年度に黒字化するという財政健全化目標の再検証を盛り込む見通しとなったことである。
2025年度に黒字化するという財政健全化目標の堅持は、その妥当性を検証した上で1月に正式に決められたばかりだ。それを、ウクライナ情勢など国内外の情勢を踏まえ、再検証する方針が今回盛り込まれる方向である。
背景には、財政健全化と財政拡張を巡る自民党内での対立がある。財政健全化目標を維持する一方、再検証を明記することは、まさに両者の妥協の産物である。今後の経済対策、「新しい資本主義」の実現に向けた政府支出拡大、防衛費の上積みなどを踏まえて、プライマリーバランスの2025年度黒字化目標を先送りすべきとの意見が、自民党内に高まっているのである。骨太方針に盛り込まれる2025年度黒字化目標の再検証という記述は、結局、目標先送りの布石となる可能性があるだろう。
岸田政権が所得再配分政策から、成長戦略重視に方針転換をしたことは歓迎したい。他方で、自民党内で高まる財政拡張の主張を抑えることも政権には求められるのではないか。「新しい資本主義」の実現に向けた各種施策は、歳出と歳入の一体改革を進めることで、しっかりとその財源を確保してから実施することが重要だ。いたずらに、新規国債発行でそれらの施策を賄えば、成長戦略としての有効性を自ら損ねてしまうことになってしまうだろう。新規国債発行の増加は、将来世代の需要を前借りし、奪ってしまうものだからだ。
それは将来にわたる成長期待を低下させ、企業の投資、雇用、賃上げをより慎重にさせることで、日本経済の潜在力を押し下げてしまうのである。
(参考資料)
「社会保障会議 負担増も具体的に論じたい」、2022年5月30日、読売新聞速報ニュース
「「25年度黒字化」再検証/骨太明記へ/積極財政派に配慮」、2022年5月27日、河北新報