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植田総裁の日本金融学会での講演-中央銀行の財務の意義

2023/10/01

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はじめに

植田総裁は、日本金融学会の秋季大会で「中央銀行の財務と金融政策運営」と題する講演を行った。本稿では、講演が提起したいくつかの論点を検討したい。なお、筆者は、2017年から会計検査院の特別調査職として対日銀検査の支援に従事しているが、本コラムに記載されたすべての意見は筆者個人のものである。

論点1:収益変化のメカニズム

金融緩和の出口において、資産と負債の双方の利回りが変動する時間的な一般的なパターンは、植田総裁が説明した通りである。

ただし、金融緩和期に高い利回りの国債を買い入れていたとすると、それらが金融政策の正常化後に償還された際、再投資する資産より利回りが高い状況が生ずる可能性は残る。その意味で、受取利息の増加(講演本文6ページ)には不確実な面もある。

また、イールドカーブも金融政策の正常化ではスティープ化する蓋然性が高いとしても、アプリオリには不透明な面が残る(講演本文7ページ)。米国の現状に拘わらず、日本の場合は構造的ないし政策的に長期金利が低位に推移する可能性があり、受取利息の回復を抑制しうる。

銀行券の需要見通しも難しい問題だ。植田総裁も指摘したように、需要の金利弾力性だけでなく、社会的ないし文化的な要因も影響しうる(講演本文8ページ)。日本では高額紙幣(1万円札)の発行残高のみが対GDP比で増加を続けており、その意味ではネットの受取利息に貢献しうる。

論点2:財務に関する理論的整理

植田総裁は、中央銀行の収益や資本の減少によってオペレーショナルな意味で政策遂行能力が棄損する訳ではないが、それらに伴う信認の低下を防ぐために財務の健全性への配慮も重要との理解を示した(講演本文10ページ)。

つまり、「悪影響がある」か「悪影響はない」かは二律背反ではないと説明しており、こうした理解は合理的である。その上で、各々が別な主体によって主張されている可能性も重要だ。

「悪影響はない」との主張は中央銀行やそれに近い国際機関のような金融政策の実務に近い主体によって強く共有され、「悪影響はある」との主張は、個人的な印象だが、相対的には研究者や企業のような主体によって強く共有されている印象を受ける。

そうだとすれば、実際に中央銀行の収益や資本の健全性に問題が生じた場合、どちらが「世論」に影響しやすいかは重要なポイントとなりうる。

論点3:海外中央銀行からの意味合い

植田総裁が整理したように、米欧の主要な中央銀行では金融引締めに伴って財務面の影響が顕在化しており、主たる内容は、超過準備への付利に伴う支払利息の増加と、保有資産の価格下落に伴う評価損の発生である(講演本文11ページ)。

前者に関しては、金融政策の正常化に伴う保有資産の削減(いわゆるQT)によって、時間とともに減少するとみられるが、コロナ対策としての資産買入れが巨大であっただけに、そのペースは緩慢なものになっている。ECBが試行したように付利対象の当座預金を見直すとか、所要準備のあり方を再検討するといった対応も必要となる可能性がある。

後者に関しては、日銀も含めて保有国債の評価を償却原価法で行っている限り、顕著な価格下落が生じない限り、期間損益には影響しない。ただし、金融市場の過度な憶測を抑制する上でも、評価損益の状況を適時開示することには大きな意味がある。

なお、日銀に関しても、外国為替やETFのように時価法で評価する資産の場合は、各々引当金というバッファーはあるが、期間損益に直接影響する点に留意する必要がある。 その上で、植田総裁が明示的に取り上げなかった点として、中央銀行の自己資本の意義をどう考えるかという論点は存在する。

主要国での制度の違いは歴史的要因が影響している面が強いほか、実務的には大きなウエイトを持つ引当金に焦点を当てることで良い。ただし、だとすれば、引当金の適正残高は保有資産のリスク量との対比で判断すべきことになる。また、毎期の引当は、直接的に国庫納付に影響する点も踏まえて、裁量性を極力排したルール化が望ましい。

論点4:金融政策運営との関係

植田総裁は、管理通貨制度の下では、通貨の信認は金融政策による物価の安定を通じて維持されるとの考えを強調している(講演本文14ページ)。

こうした理解は説得力がある一方、「必要条件」であって、必ずしも「十分条件」ではない面もある。

平時においては、大規模な資産買入れの結果として中央銀行の収益や財務に問題が生じた場合には、そうした特定の政策に反対の意見を持つ集団による批判の対象となる可能性がある。それが「世論」を形成すれば、通貨自体でなくても金融政策の信認には影響が生じうる。

また、米国やスイスの例を踏まえると、国庫納付金が減少した場合の政治的な影響にも注意すべきである。金融緩和期には多額の国庫納付を行ったとしても、過去の貢献がどの程度の意味を持つかは不透明さが残る。

より重要なのは危機時だ。金融システム全体が不安定化したり、財政危機に陥った局面で、長期金利の高騰や資産価格の下落によって中央銀行も大規模な損失を被った場合、通貨の信認の喪失に拍車をかける恐れがある。

また、将来に亘って通貨の信認が維持されるとの予想が揺らぐと、通貨発行益の価値も不透明となる。通貨発行益は中央銀行が自ら決済手段である通貨を供給しうることに依存しているので、金融市場や家計、企業が自国通貨での決済を拒否すれば、その基盤を失うからである。

通貨発行益が将来に向けて確保できることは、中央銀行の収益や財務が金融政策の運営に影響しないための「最後の一線」としての意味合いを持つ。その維持のために、平時から適切な政策運営に努めるべきという講演のメッセージは、今回の局面に限らず、常に妥当する考え方である。

執筆者情報

  • 井上 哲也

    金融デジタルビジネスリサーチ部

    シニアチーフリサーチャー

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