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日本銀行が2%の物価目標導入を余儀なくされるまで

2023/02/01

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政権交代で一気に追い込まれていった日銀

1月31日に公表された日本銀行の金融政策決定会合議事録(2012年7月~12月)は、政府など外部からの強い圧力のもと、日本銀行が2013年1月に2%の物価安定目標の導入に追い込まれていった経緯、日本銀行内での苦悩に満ちた議論を明らかにするものとなった(コラム「2012年下期の日銀決定会合議事録が公表される:異次元緩和につながる政策姿勢の変遷と政治の影響を検証できるか」、2023年1月30日)。

政策委員の間では物価目標の導入の是非やその水準などについて温度差があったが、本音のところでは、総じて物価目標の導入には否定的であったと考えられる。ところが2012年12月の会合では、政府などから導入を強く求められていた物価目標について、「次回金融政策決定会合において、金融政策運営に当たり目指す中長期的な物価の安定について検討を行うこと」を、突如約束したのである。

2012年12月16日に自民党が衆院選挙に圧勝して政権を奪回したことを受けて、政府から日本銀行に対する圧力は、一種のクライマックスを迎えた。安倍首相は総選挙の翌日にさっそく、「日銀は、選挙結果を受けて適切な判断を」と発言し、12月19・20日の金融政策決定会合で、日本銀行に回答を出すように強く圧力をかけた。

抵抗を続ければ、日銀法の改正によって日本銀行総裁の解任権が新たに盛り込まれる等、その独立性が一段と制限されることを日本銀行は強く恐れたのだろう。これが、次回会合で物価目標の導入を決めることを示唆した、12月会合の決定につながったのである。

安倍首相は2012年12月23日の民放のテレビ番組で、『次の(日銀の金融政策決定)会合で、残念ながら物価目標の設定が見送られれば、日銀法を改正して、アコード(政策協定)を結んでインフレ・ターゲットを推進する』という趣旨の発言をした」とされる。

本来は政治からの独立性を高めるはずの中央銀行の物価目標

世界の中央銀行の多くは、物価の安定を使命(マンデート)の一つとしている。さらに、目指すべき物価の安定の状態を具体的な数値で表現した「物価目標」を掲げる中央銀行が、1990年代以降に増えていった。当初は、主に上振れている物価上昇率を下げる効果を狙って、物価目標を新たに設定する中央銀行が多かったのである。

物価目標を設定し、その達成を目指す物価目標政策を導入することの利点の一つは、政治からの独立性を強化できることだ。中央銀行の金融政策は、常に政府から介入を受けるリスクに晒されている。景気情勢が悪化する局面では、政府は中央銀行に対して金融緩和を望むことが多い。それはしばしば、露骨な政治的圧力となり、中央銀行の独立性を損ねることになるのである。

しかし、中央銀行が客観的な数値目標である物価目標を掲げ、それを達成することを目指すことを対外的に明らかにしておけば、実際の物価上昇率が目標値を上回っていることを理由に、政府からの金融緩和要求を撥ねつけることができる。

さらに、物価目標を掲げることは、金融政策を判断するうえでの客観的な基準を示すことにもなり、それによって金融政策運営の透明性を高めることができる、という利点もある。

日本の場合、物価目標の導入は政府の介入を助長するリスク

日本銀行は、長らく物価目標政策の導入を外部から強く求められていた。多くの中央銀行が、上振れた物価上昇率を抑えていく局面で物価目標を導入したのに対して、日本銀行は、物価上昇率を押し上げる狙いで、その導入を求められたのである。日本銀行が明確に物価目標を掲げ、それを何が何でも達成するという強い姿勢を見せることで、金融市場や企業、家計の物価上昇期待を高め、デフレのリスクを軽減できる、といった精神論のような主張も多くなされていた。

さらに、日本銀行が明確な物価目標を掲げれば、政策が成功しているか失敗しているかが明らかになる。日本銀行にもっと政策の結果に責任を持たせるべきだ、と考える向きも、日本銀行の物価目標導入を支持したのである。

しかし日本銀行は、政策金利がゼロ近傍にまで下がる中、金融緩和政策のみで物価上昇率を大きく高めることは難しい、と考えていた。そうした中、日本銀行が明確な物価目標を掲げれば、それが達成されないことを理由に、政府からより極端な金融緩和の実施を求められることは目に見えていたのである。多くの中央銀行は、物価目標政策の導入は政府からの介入を回避することに役立つと考えたが、日本銀行の場合にはそれとは全く逆に、政治介入のリスクをより高めることになることが分かっていた。だから、日本銀行は物価目標の導入に慎重な姿勢を続けたのである。

さらに、物価が安定するもとで資産価格の大幅な上昇を容認してしまった80年代後半から90年代初めにかけてのバブルの生成と崩壊の経験から、金融政策が物価の水準に強い影響を受けることへの懸念も日本銀行は持っていた。

結局2%の物価目標の導入に追い込まれる

しかし、外部から強い圧力に押されて、結局、日本銀行は次第に物価目標の導入へと追い込まれていくのである。2006年3月には、物価目標とは異なり、政策委員が中長期的にみて物価が安定していると理解する物価上昇率を示すものとして、「中長期的な物価安定の理解」が導入された。2012年2月には、日本銀行として中長期的に持続可能な物価の安定と整合的と判断する物価上昇率を示すものとして、「中長期的な物価安定の目途」が導入された。それは、消費者物価の前年比上昇率で2%以下のプラスの領域にあると判断しており、当面は1%を目途とすることとした。

そして、2013年1月にはついに、2%の物価目標の導入へと追い込まれていったのである。

(参考資料)
「金融政策の全論点―日銀審議委員5年間の記録」、木内登英、東洋経済新報社、2018年
「日銀の出口戦略Q&A」、木内登英、銀行研修社、2022年

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