量子コンピューティング技術をビジネスで活用するための要点
はじめに
量子コンピューティング技術とは、量子コンピュータを使って計算を行うために必要な計算手法やソフトウェアなどの技術全体を指します。現在国内外で研究が盛んに行われていますが、量子コンピューティング技術を構成するどの技術要素もまだ発展途上です。しかし、将来的には従来型のコンピュータの処理能力を凌駕する計算が可能となると期待されています。
そこでNRIはお客様へ量子コンピューティング技術をスムーズに提供できるよう、将来を見据えて技術獲得を進めるとともに、具体的なビジネス課題に対して適用するためのプロセスを整理しています。
このコラムでは量子コンピューティング技術の現状に触れた上で、NRIにおける技術獲得の取り組みとビジネスに適用する上で考慮するべきポイントを紹介します。
執筆者プロフィール
渡辺 和泉:
数理最適化アルゴリズムを活用した最適化ソリューション「Fiboat(フィボート)」の事業推進、ならびに関連する先進技術の調査・検証に従事。
2022年10月、国立大学法人東北大学「量子コンピューティング共同研究講座」の特任准教授(客員)に就任し、産学連携に取り組む。
量子コンピュータとは
量子コンピュータは量子力学に基づく現象を利用した並列計算を行うことができます。この特徴を適切に利用すれば、既存のコンピュータで解くことが難しい幾つかの問題を解くことができると期待されています。
量子コンピュータは様々なタイプのハードウェアが開発されていますが、大別すると組合せ最適化問題に特化したアニーリング方式と汎用的な計算が可能なゲート方式の2つの方式に分けることができます。
量子コンピュータの詳細については、こちらのページで解説しておりますのでご参照ください。
量子コンピューティング技術の現状
アニーリング方式の量子コンピュータは、組合せ最適化問題への検証に用いられた事例が複数報告されています。例えば、リスクが低くリターンを得やすい金融資産のポートフォリオの作成、渋滞を回避するための交通シミュレーション、望ましい物性を得るための化合物の組成の計算などが検証されています。しかし、アニーリング方式の量子コンピュータで実現できる最適化計算は、厳密解を求めることを目的としておらず、近似的に良い解を求める計算を行っているため、現状は従来型のコンピュータの性能を超えたと明確に断言することが困難です。
ゲート方式は、アニーリング方式と比べて自由に計算回路を定義することができるため、理論上は汎用的な計算を実行することができます。組合せ最適化以外に、高速な検索や素因数分解などの計算が可能であり、昨今特に注目されています。しかし、今のところはビジネス上の課題を解くことができるほどの性能を持つゲート方式の量子コンピュータのハードウェアは、世の中に存在していません。
このように、量子コンピューティング技術はまだ研究開発の域を脱していませんが、技術は少しずつ進歩しています。日本では内閣府のムーンショット目標の一つ(注1)に掲げられるなど、世界各国で産学官の連携による研究開発が盛んに行われています。
また、私たちが量子コンピューティング技術に触れるための環境も大きく進展しています。例えば、IBM、アマゾン、マイクロソフト、グーグルなどが提供するクラウドサービスを通じて量子コンピュータを利用することが可能になりました。さらに量子コンピュータ向けのソフトウェア開発キットがオープンソースで提供されるなど、必要な道具は揃いつつあります。
NRIにおける技術獲得の取り組み
NRIは、量子コンピューティング技術が身近に利用できるようになりつつある今こそ技術獲得の好機と捉え、この技術をビジネスへ適用するにあたって必要なノウハウの蓄積と人材育成を進めています。
技術獲得では、最新の技術動向を注視しつつ、ビジネス活用に必要な技術やスキルをポートフォリオとしてまとめています。このポートフォリオでは、ビジネス上の課題解決のための技術活用のプロセスも考慮して、量子コンピューティング技術を構成する個々の技術要素を整理しています。
また、2022年度には、量子コンピューティング技術の獲得の一環として、NRIが運用しているデータセンターの電力消費量削減に向けた設備運転計画の最適化に、アニーリング方式の量子コンピュータを用いた検証を行いました。その際、課題探索、問題の構造化、実装の3つのプロセスが必要であることを確認し、それぞれのプロセスにおいてノウハウが必要であるとの示唆を得ました。
1つ目の課題探索では、ビジネス上解決することが望まれる課題で、かつ、現在利用可能な量子コンピューティング技術で解ける課題を探索する必要があります。この課題の探索は非常に重要ですが、簡単に見つけられるものではなく、業務的な知識と技術的な知識の双方が求められます。今回の取り組みでは、データセンターの運用に関わっている社員にヒアリングを重ねたほか、専門書から設備の運用方法などを習得することで業務知識を高めながら課題を探索しました。また、技術面では、どれくらいの変数規模の問題になりそうなのか、「重ね合わせ」や「量子もつれ」などの量子特有の現象を有効活用できそうなのか、様々なアプローチで探索しました。
2つ目の構造化では、関連するデータを分析した結果を用いて、最適化する対象とその因子の関係性を明確に特定する必要があります。このプロセスではデータサイエンス的なアプローチでデータを紐解いて整理することで洞察を得るスキルが求められます。さらに、構造化の後に行う量子コンピュータが解釈できる数式で表現することによる数理モデル化も重要です。したがって、最適化問題を数式で表現するための数理最適化など学問的な素養も必要となります。今回の取り組みでは、データセンターの電力消費量に影響を与えている設備を特定し、その運転特性を示すデータを加味しながら数理モデルを数式で表現しました。
3つ目の実装では、量子コンピューティング技術を使って実際に計算を実行するためのプログラムを記述する必要があります。実装にあたり、課題に応じて実行パラメータの調整や効率良く解を求める手法が必要となります。これらは量子コンピュータの動作原理を理解していなければ適用することは困難です。そのため、取り組む課題と量子コンピュータの双方に対する深い理解が求められます。今回の取り組みでも、計算結果が安定して適切な解となるよう各パラメータをチューニングしながら計算を行いました。
具体的な課題の解決に向けてこれらのプロセスを踏むことで、より実践的なノウハウを蓄積することができました。
今後の展望
現状は発展途上ではあるものの、量子コンピューティング技術は大きなビジネスインパクトを与える可能性を秘めています。NRIでは現実の課題をテーマにした実践的な取り組みを通じて、この技術をビジネスに活用するためには「課題探索」「構造化」「実装」の3つのプロセスで高い専門性が必要であるということを確認し、ノウハウを蓄積しました。
ビジネスにおける現実の課題解決に量子コンピュータを有効に使うことができるレベルまで処理能力が向上したときに、この一連の取り組みで得た知見を活用しながらお客様へ技術提供ができるよう、今後もポートフォリオに基づいて技術獲得を継続していきます。これまで、検証事例が比較的多いアニーリング方式の量子コンピュータを用いて、電力消費量削減に関連するテーマに取り組みました。今後は、ゲート方式やその他新方式の量子コンピュータに関連する技術獲得や、また別のビジネス課題に対する技術適用なども目指します。
この技術領域は、研究機関や学術関係者の研究なしには技術の進歩を成し得ない領域です。そのため、ビジネスの立場から研究開発のサイクルを促進させるような動きをすることで、持続的な研究開発に貢献したいと考えています。
- (注1)
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