SDGsと共に形成された「グリーン・エコノミー」
私たちが日々直面するビジネスの現場や社会課題の議論において、「〇〇エコノミー(経済圏)」という言葉を見聞きしない日はない。デジタル・エコノミー、シェアリング・エコノミー、サーキュラー・エコノミーなどの新しい経済圏の誕生を告げるキーワードは、常に市場の関心を集める。しかし、こうした新たなエコノミーがそもそもどのようなメカニズムで形成されるのか、その根底にある構造を深く意識する機会は少ないのではないだろうか。
エコノミー(経済圏)の形成プロセスは、大別すると二つのアプローチに分けることができる。一つは、現場の技術革新や消費者ニーズの変化、あるいは企業の自発的なイノベーションから自然発生的に生まれる「ボトムアップ型」の形成である。スマートフォンの普及がアプリの経済圏を生んだように、市場経済のダイナミズムそのものが原動力となるケースだ。そしてもう一つが、国際的な目標設定やルールメイキングによって、市場の枠組みそのものが上段からデザインされる「トップダウン型」の形成である。現代のグローバル資本主義において、このトップダウンによる市場形成の最も強力な推進力となっているのが、国際目標やそれに紐づく国際協定・枠組み、そして各国の政策目標・国内法へと連なるルールの構造である。
その最たる例であり、現代社会に最も大きな影響を与えた国際目標が、2015年に国連で採択された「SDGs(持続可能な開発目標)」ではないだろうか。このSDGsがいかにして新たな市場を創り出したのか。そのダイナミズムを解き明かすために、社会が抱える多様なアジェンダ(課題)を俯瞰する構造から紐解いてみたい。
「環境外部性」を内部化するルールの力
まず、以下の図1が示す通り、人類が直面する社会課題は、大きく「主に市場の中にあるアジェンダ」と「主に市場の外にあるアジェンダ」に分類することができる。
図1 SDGsとグリーン・エコノミー

出所)各種公開情報を基にNRI作成
例えば、「働きがいと経済成長」や「産業と技術革新」「まちづくり」等のアジェンダは、人々の雇用や所得、あるいは企業の生産活動といった形で、従来から経済活動や労働市場と密接に結びついてきた。これらは長らく市場メカニズムの「内部」で扱われてきたテーマであり、適切なインセンティブがあれば民間投資が自発的に向かう領域である。
一方で、「気候変動対策」や「海洋と生態系」「陸域と生態系」等の環境保護に関するアジェンダはどうだろうか。これらは長きにわたり、市場経済の「外部」にあって、市場経済の活動に伴う悪影響を被っている領域であり、経済学においては「負の外部性」の代表例として「環境外部性」等と呼ばれてきた。企業活動がどれほど二酸化炭素を排出し、自然環境に負荷を与えようとも、それが直接的な財務上のコストやペナルティとして跳ね返ってくる仕組みが、かつての市場には十分に存在していなかった。そのため、環境への配慮はあくまで「企業の社会的責任(CSR)」や「慈善活動」の領域に留まっていたのである。
しかし、SDGsという世界共通の目標がトップダウンで設定され、パリ協定などの強力な国際協定と並行して推進されたことで、グローバルビジネスにおいて考慮すべき範囲は大きく広がった。企業活動に伴う温室効果ガスの排出や生物多様性の損失といった「環境外部性」が、カーボンプライシングの導入、非財務情報の開示枠組み(TCFD/TNFD)の策定と開示規制への組み込み、あるいはサプライチェーン全体での人権・環境デューデリジェンスのような新たなルールを通じて、強制的に市場の「内部」へと取り込まれたのである。この「環境外部性の内部化」というプロセスの結果、環境課題への対応は企業のボランティアの枠を完全に超え、明確な経済的価値を持つ巨大な市場、すなわち「Green Economy(グリーン・エコノミー)」として確立されるに至った。ルールが資本の流れるプールを強制的に作り替え、投資家や企業を動かすこととなったのである。
ポストSDGsで想定される新たなエコノミー
このように、国際目標は単なる倫理的な指針ではなく、新しいエコノミー(経済圏)を生み出し、資金の流れを変える強力なルールメイキングの装置として機能する。現在、SDGsはその達成期限である2030年を目前に控えている。それに伴い、国連や専門機関ではすでに、2031年から始まる「ポストSDGs(Beyond 2030 Agenda)」に向けた将来アジェンダに関する議論が本格化している。次なる国際目標は、どのようなアジェンダを新たに市場の内部へと引き入れるのだろうか。以下の図2は、その未来予測図である。
図2 Beyond 2030 Agendaと新たなエコノミー

出所)各種公開情報を基にNRI作成
ポストSDGsの世界では、現行のSDGsがカバーしきれなかった、あるいは当時想定されていなかった全く新しい次元の課題が浮上している。人間の活動範囲が地球上の物理的空間から、デジタル・AI空間、さらには宇宙へと劇的に拡張し、同時に人類社会が経験したことのない高齢化や人口減少局面に突入するのに伴い、適応すべき課題の範囲も広がっているためだ。図2の「主に市場の外にあるアジェンダ」に目を向けると、そこには「Well-being」や「人権」といった人々の幸福の質に関わるテーマや、「高齢化」「抗老化」といったライフサイクルに関するテーマが並んでいる。さらに、「Culture(文化)」、「民主主義」、「地球市民」、「将来世代への配慮」、「深海利用」に至るまで、多岐にわたる概念が散りばめられている。
これらは現在、主に市場経済の「外部」に位置づけられているが、次期国際目標の策定という強力なトップダウンの引力によって、公共セクターの変革を伴いながら、次々と市場化(内部化)していくと予測される。例えば、急速な高齢化やウェルビーイングの追求に応えるために「Care Economy(ケア・エコノミー)」や「Life Economies(ライフ・エコノミーズ)」という新たな経済圏が検討され始めている。文化や人権のようなテーマは「Orange Economy(オレンジ・エコノミー)」として経済的価値を帯び始め、宇宙開発に伴う宇宙ゴミ問題すらも「Space Debris Economy(スペースデブリ・エコノミー)」として未知の市場を形成する可能性が示唆されている。
国際目標の変遷を読み解くことは、すなわち未来の市場の形を予測することに他ならない。日本企業とも親和性が高いこれらの領域において、次なるエコノミー形成がいかに進むのか、今まさに本格的な検討を始めるべき転換点にあると言えるだろう。
プロフィール
-
谷山 智彦のポートレート 谷山 智彦
政策・戦略研究室
2002年慶應義塾大学総合政策学部卒業、2004年同大学大学院修士課程修了、2010年大阪大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)。2004年に野村総合研究所に入社後、主に不動産・インフラ分野に関する調査研究及びコンサルティング業務に従事。2017年11月よりビットリアルティ株式会社(現:KDX STパートナーズ株式会社)の取締役に就任し、2020年3月より同社取締役副社長として不動産分野におけるデジタル戦略を推進。2023年4月より未来創発センターに所属し、2025年4月よりシニアチーフリサーチャー(現職)。
-
磯谷 允亨のポートレート 磯谷 允亨
エネルギー産業コンサルティング部
2023年、東京大学経済学部経営学科卒業。同年、野村総合研究所入社。
入社以来、コンサルティング事業本部にてGX(グリーントランスフォーメーション)領域を中心に、戦略立案、ルール形成支援、新規事業立案等のコンサルティング業務に従事。
※組織名、職名は現在と異なる場合があります。