フレンチテックの台頭
近年、スタートアップ市場において、フランスの存在感が高まっている。フランスでは、2013年11月にスタートアップ振興プロジェクト「La French Tech」を立ち上げ、アクセラレーションプログラムの提供や、スタートアップキャンパス「Station F」の設立などが行われている。赤い雄鶏のロゴをトレンドマークとした「La French Tech」は、国内外の展示会で目にすることも多い。立ち上げ当時は、経済・産業・デジタル大臣であったエマニュエル・マクロン氏が推進したことでも知られている。
2019年9月には、大統領に就任したマクロン氏により、「2025年までに25社のスタートアップを育成する」という目標が宣言され、ユニコーン候補となる企業を120社、中でも注目に値する企業を40社、「French Tech Next40/120」銘柄としてピックアップするようになった。2022年1月には上記の目標を達成し、2025年現在には、NVIDIAとの提携で話題となったMistral AIや、フランス人口のほぼ全てをカバーしている、医療機関のオンライン予約プラットフォーム・Doctolibなどを含め、29社のユニコーンが存在している。フランスはヨーロッパにおいて、イギリスに次ぐスタートアップ大国となっている。
スタートアップと大企業が共鳴する欧州最大のテックイベント「VivaTech」
フランスのスタートアップエコシステムを象徴づける存在として、スタートアップとオープンイノベーションの展示会、「VivaTechnology(VivaTech)」がある。VivaTechは2016年に初開催され、2025年6月の開催で9年目を迎えた。フランスの広告代理店・Publicisと経済新聞社・Les Echoによって主催されており、2025年の来場者数は約180,000人1にものぼった。1967年から開催されているCES(近年はラスベガス開催)の2025年の来場者数は142,465人2であり、1987年から開催されているMWC(近年はバルセロナ開催)の来場者数は約109,000人3であった。開催9年目にして、これらの展示会と同等以上の規模に到達している。
VivaTechの会長で、Publicisの名誉会長であるモーリス・レヴィ氏はVivaTechを「a kind of 'lighthouse'」(一種の灯台)と称し、業界でどのような新しいイノベーションやスタートアップが生まれているのか、それらがどう機能しているのかを人々に知らせる役割を果たしていると述べた4。灯台と称されるVivaTechの特徴には、スタートアップとオープンイノベーションの取り組みを体感できること、英語を公用語としてグローバルへの発信を重視していることの二点が挙げられる。
第一の特徴に関しては、スタートアップの参加数からも伺える。CES2025の出展数は約4,500社、うちスタートアップは約1,400社5であった。一方、VivaTech2025の公式サイトでは、出展数は不明であるものの、14,000社のスタートアップが参加したと記載されている。公式サイトで「Europe’s Biggest Startup and Tech Event」(欧州最大のスタートアップ・テックイベント)と銘打たれている通り、VivaTechは世界中からスタートアップが集まる展示会なのである。
さらに、VivaTechは単にスタートアップの参加数が多いだけでなく、オープンイノベーションを体感できる展示方法になっていることも特徴的である。
一般的な展示会では、出展企業が個別にブースを出す、見本市のような形式が主流である。CESでは、Eureka Parkというスタートアップのための展示会場があり、各社が個別にブースを出している。大企業は、Eureka Parkとは別のメイン会場に出展されており、スタートアップと大企業のコラボレーションを体感できる機会は少ない。
一方のVivaTechでは、スタートアップが個別に出展しているブースも存在するものの、大企業のブースに、スタートアップが連なる形で展示されていることがある。例えば、VivaTech2025のLVMHのブースには15社、Orangeのブースには60社以上のスタートアップが出展していた。LVMHのブースは、一見すると、自社のブランドを展示しているだけに見える。しかし、まるで美術館のようなラグジュアリーな空間の中にも、スタートアップの技術が随所に使われている。
ブースの外観は、2024年のLVMHイノベーションアワードのサステナビリティ&グリーンテック部門を受賞したAectual(リサイクル素材と3Dプリント技術を用いてサステナブルなインテリアを設計・制作するスタートアップ)が制作したものである(図1)。AectualはVivaTech2025に限らず、LVMHの店舗の外観を手掛けている。
図1 AectualがデザインしたLVMHブースの外観(右手)6
©Viva Technology 2025
ブースの中に入ると、ブルガリやモエ・エ・シャンドンなど、LVMHブランドの製品が展示されている。先述の通り、製品を単に展示しているわけではない。ブルガリのネックレスの近くでは、Dev4Side(ソフトウェア・アプリケーション開発ベンダ)と連携して開発したソリューションが紹介されていた。このソリューションでは、ジュエリーのシリアル番号を読み取ると、石の発掘元・品質・希少性などの情報を見ることができる。また、モエ・エ・シャンドンのシャンパンを注いでいる横では、Hiphen(農業画像分析を研究するスタートアップ)と連携し、ブドウの品質を分析するソリューションを開発した事例が紹介されていた。
図2は、VivaTechで展示されていたLVMHの協業先である。VivaTechの来場者たちは、LVMHのブースにて、スタートアップの技術を活かして作り出された新しい顧客体験を体感することができた。
図2 VivaTechで展示されていたLVMHの協業先
図3 OKCCの技術を用いて制作されているヘネシーのパーソナライズパッケージ7
VivaTechは、単にスタートアップの参加数が多いだけでなく、実際にどのように使われるソリューションなのか、大企業とどのように協業しているのかが目に見えて分かる展示会である。まさにVivaTechの会長・レヴィ氏が述べた「a kind of 'lighthouse'」の役割を果たしていると言える。
第二の特徴として、英語を公用語とし、グローバルへの発信を重視していることを挙げた。VivaTechはビジネスデー(3日間)と一般開放デー(1日間)に分かれて開催されるが、ビジネスデーの期間は全て英語でセッションが行われる。
英語を公用語としない国で開催される展示会では、英語翻訳をつけた上で、開催国の言語で話すセッションが少なからずある。日本で開催されているスタートアップの展示会「SusHI Tech Tokyo 2025」でも、英語で実施されるセッションは約8割であった8。しかし、VivaTechのビジネスデーは、完全に英語を公用語としている。スタートアップとオープンイノベーションの取り組みを、グローバルに向けて発信する意識の高さが伺える。
では、これらの特徴を持つVivaTechは、フランスのスタートアップエコシステムにどのような効果をもたらしているのであろうか。
スタートアップエコシステムを創出するには、産官学金の連携が重要である。例えば、官では州政府「La Misson French Tech」を中心に、スタートアップ向けの支援政策の立案や制度設計などが行われているし、産では2017年にスタートアップキャンパス「Station F」が設立され、スタートアップやVCの活動拠点になっている。学では起業家教育に力を入れる方針が取られており、金ではフランスの金融機関・Crédit Agricoleがイノベーション・ラボを開設している。
VivaTechは、これらの取り組みを加速させる効果をもたらしていると言える。国内外の多くの企業・投資家にスタートアップの取り組みを発信することで、資金の呼び込みだけでなく、企業間連携による新たなイノベーションの創出も期待できるであろう。さらに、フランスがスタートアップ大国であることをイメージづけ、起業や企業誘致も進むと考えられる。
グローバルに向けた発信の成果として、フランスのスタートアップは、海外から獲得している資金額が大きいことが挙げられる。2023年にフランスのスタートアップが獲得した資金のうち、42%が海外の投資家から獲得したものであった9。一方の日本では、2023年にスタートアップが獲得した資金のうち、海外の投資家が占める割合は8%であった10。国内外から注目を集めているスタートアップキャンパス「Station F」や、世界中に設立されているフレンチテックの国外拠点「フレンチテック・コミュニティ」などの取り組みが重なり合った結果であるが、年間180,000人が来場するVivaTechもまた、フレンチテックの知名度向上の一翼を担っていると考えられる。
大企業と共に成長するフレンチテック
ここまで、VivaTechの特徴とフレンチテックにもたらす効果を述べてきた。次に、フランスのスタートアップエコシステムの特徴について述べる。
フランスのスタートアップエコシステムの特徴は、フランスの企業や金融機関、政府の支援のもと、まずは国内でユースケースを作り出してから、実績をもとに海外市場へと踏み出せることにある。日仏のスタートアップの架け橋を担うSINEORAの今井 公子氏は、「フランスのスタートアップは、大企業と共に成長してきた」と述べる11。
例として、倉庫自動化ソリューションを手掛けるExotecを挙げる。Exotecは、2015年にフランス北部リールにて創業したのち、2022/01に評価額20億ドル以上に到達し、フランス初の産業用ユニコーンとなった12。Carrefour(フランスの大手スーパーマーケット)、Decathlon(フランス発、欧州最大の総合スポーツメーカー)、GAP、UNIQLOなどの顧客を抱え、2024年時点で12カ国で約7,000台のロボットが稼働している。
Exotecは、以下の流れでユニコーンにまで成長した。まず、2017年にフランスの大手ECサイト・Cdiscountの物流センターに初めて導入された。Cdiscountは、フランス国内でAmazonに次ぐ2位のシェアを占めている。さらに、2018年にはヘルスケア・レジャー小売のLogilec、2019年には大手スーパーマーケット・Carrefour(国内シェア1位)など、フランス企業が続けて同社システムを採用している。いずれもフランス国内で影響力の大きい企業である。
Exotecが海外進出を始めたのは、これらの実績ができた2019年からである。2019年に東京オフィスを開設、2020年にアトランタオフィス、2021年にミュンヘンオフィス、2024年にソウルオフィスを開設している。Exotecの海外展開を支援したのは、フランスの金融機関であるBNPバリパであった。BNPバリパは、外国銀行口座の開設や外貨収益のヘッジによるリスク低減などの業務を担当した13。Exotecの実績作りから海外進出まで、フランスの企業や金融機関が関わっているのである。
ExotecはBtoBのソリューションであるが、もちろんBtoCのソリューションにおいても、フランス国内での実績は厚い。例えば、自動車の相乗りサービス・BlaBlaCarは現在22カ国に展開されているが、2021年時点でフランス国内のアクティブユーザー数は2,000万人に到達し、18歳から35歳までの人口の60%が登録していると公表されている14。医療機関のオンライン予約プラットフォーム・Doctolib(BtoBtoCソリューション)も、フランス国内で5,000万人のユーザーがいると公表している15。5,000万人は、全年代人口の70%以上に相当する。
フランスのスタートアップは、海外発信・進出に強いだけでなく、フランス国内でも確固たる顧客基盤を築いているのである。VivaTechを、大企業とスタートアップがどのように協業しているのかが目に見えて分かる展示会と称したが、フランスのスタートアップが大企業や国民と共に成長してきたことの表れと言える。フランスに学ぶ、日本のイノベーションを加速させるヒント
最後に、フランスから日本が学ぶべき点について述べる。フランスと日本は、いずれも英語を母国語とせず、米国や中国といったイノベーション先進国を追う立場にあるという共通点がある。一方で、2025年時点でフランスのユニコーン数は29社、日本のユニコーン数は8社と差がついている16。フランスから日本が学べることは多いであろう。
日本のイノベーションを加速させるには、日本の大企業と国民がスタートアップの顧客となり、スタートアップを育てていく仕組みが必要である。大企業が自らの戦略的課題を解決するために、スタートアップの顧客となる手法は「ベンチャークライアントモデル」と呼ばれている。ドイツのBMWで生み出された概念だが、フランスでも同モデルが浸透している。先の例で挙げたLVMHは、ジュエリーの発掘元・品質・希少性などを明確に保証したいという課題感から、その課題を解決する技術を持ったDev4Sideと連携したのである。フランスでは、LVMHと同様にベンチャークライアントモデルを採用している企業が多く、VivaTechでも多くの事例が紹介されていた。
一方の日本でも、KDDI、日立ソリューションズ、OKI、FUJI、三菱地所などが同モデルを採用しつつある17。しかし、日本では、VivaTechやStation Fのように、身近なところでスタートアップと大企業の協業を体感できる場は少ない。今後、スタートアップの技術やオープンイノベーションが身近に感じられるようになれば、資金の呼び込みや更なる企業間連携の促進、あるいは起業家の誕生に繋がるかもしれない。このような観点からも、日本にはVivaTechのような、スタートアップと大企業の協業を可視化し、社会全体にイノベーションの重要性を示す「a kind of 'lighthouse'」となる場が求められていると言える。
参考文献:林 薫子・上田 敬・今井 公子『フレンチテック 伝統からイノベーションへ。変化するフランスとスタートアップ』
- 1VivaTech公式HP https://vivatechnology.com/
- 2CES2025「ATTENDANCE AUDIT SUMMARY」 https://www.ces.tech/media/53eghnx5/ces-2025-attendee-audit-summary.pdf
- 3ara「The Mobile attracts 109,000 visitors and recovers record attendance levels」 https://en.ara.cat/economy/the-mobile-attracts-109-000-visitors-and-recovers-record-attendance-levels_1_5306664.html
- 4MAEIL BUSINESS NEWSPAPER https://www.mk.co.kr/en/it/11350078
- 5CES2025「CES 2025: The Global Stage for Innovation, Connecting the World, Creating the Future」 https://www.ces.tech/press-releases/ces-2025-the-global-stage-for-innovation-connecting-the-world-creating-the-future
- 6VivaTech「Photo Gallery」https://vivatechnology.com/media/photos
- 7LVMHのブースにて筆者撮影
- 8東京都HP「SusHi Tech Tokyo 2025の詳細をお知らせします!」https://www.metro.tokyo.lg.jp/information/press/2025/04/2025043005
- 9La Misson French Tech「Data on the start-up ecosystem」https://lafrenchtech.gouv.fr/en/data-on-the-start-up-ecosystem/
- 10経済産業省イノベーション・観光局「我が国のイノベーション・エコシステムの現状と課題」https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/sangyo_gijutsu/innovation/pdf/005_03_00.pdf
- 11今井 公子氏ヒアリングより
以下略歴
2000年、早稲田大学にて国際経営学修士(MBA)を取得。東京で日系・外資系の大手企業に勤務後、2010年に渡仏し、現在はパリ在住。
この20年間、東京とパリを拠点に、グローバル企業でデジタルトランスフォーメーションとイノベーション推進の最前線に立ち続ける。ダッソー・システムズでは、アジア出身女性として初めてワールドワイドの間接販売チャネル責任者に就任し、その後、戦略企画部門のVice Presidentとしてグローバル戦略を牽引。2019年に独立し、クロスボーダーの事業連携や海外進出を支援するコンサルティング会社「SINEORA(シンノラ)」を設立・経営。
同年より、日本企業に向けてフランスを含む欧州スタートアップ・エコシステムやフレンチテックの仕組み、Viva Technology(ビバテクノロジー)を紹介。現在はビバテクノロジー日本公式アンバサダーも務める。フランスおよび欧州のスタートアップ・投資家・支援機関との強固なネットワークを持ち、現地エコシステムへの深い知見と広く深い人脈を強みに活動している。
これまでに50社以上の日本発スタートアップの海外展開をメンタリングし、その中には欧州の大手企業との取引実現に直接貢献した事例も含まれる。ビジネスエンジェルとしても活動しており、ディープテック、インパクト投資、ヘルステック分野を中心に十数社へ出資。これまでに1社がEXITを果たしている。 - 12EXOTEC「Exotec raises $335 million to become France's first industrial unicorn」https://www.exotec.com/en-gb/news/exotec-leves-335-million-dollars-and-becomes-frances-first-industrial-unicorn/
- 13BNPバリパ「How Exotec’s robots are transforming the warehouse industry」https://group.bnpparibas/en/news/how-exotecs-robots-are-transforming-the-warehouse-industry
- 14BlaBlaCar「BlaBlaCar franchit la barre des 100 millions de membres」https://newsroom.blablacar.fr/news/blablacar-franchit-la-barre-des-100-millions-de-membres
- 15Doctolib「IMPACT Report 2024」https://media.doctolib.com/image/upload/mkg/file/impact_report_en_digital.pdf
- 16CB Insights「The Complete List Of Unicorn Companies」
- 17一般財団法人ベンチャーエンタープライズセンター「ベンチャー白書 2024」
プロフィール
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片寄 良菜のポートレート 片寄 良菜
ICT・コンテンツ産業コンサルティング部
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