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はじめに

前回(12月)の政策理事会の議事要旨の公表以降、市場では、ECBによるフォワードガイダンスの変更に注目が高まっていた。しかし、ECBは、政策金利と資産買入れ、保有資産の再投資に関するフォワードガイダンスをすべて不変に維持したため、記者会見では多くの質問がこの点に集中した。加えて、対ドルでのユーロ高が一段と進行する中で、米政権によるドル安容認発言を取り上げる向きも目立った。

ユーロ相場について

ドラギ総裁は、多くの記者の質問に回答する形で、このところのユーロ高の背景について、①ユーロ圏経済の良好なファンダメンタルズを反映している、②ECB以外の政策当局がドル安/ユーロ高を正当化するコミュニケーションを行っている、③ECBによる金融緩和の見直しに向けた議論に市場が神経質になっている、といった点として整理した。

このうち、③はECBがコミュニケーションに関する自らの責任を認めたようにも聞こえるが、ドラギ総裁は、金融緩和の見直しはあくまでも物価目標の達成との関連で行われるものであり、為替を目的としたものではない点を補足した。

その上でドラギ総裁は、今回(1月)の政策理事会でも上記の②に関して深い憂慮が示されたことを説明し、主要国による為替レートに関するスタンスは、昨年10月のIMFCで確認された理解-ファンダメンタルズに沿わない急激な変動は望ましくなく、また各国当局は為替を通商政策の目的で使用しない-に即したものであるべき点を確認した。

実際、今回の声明文をみても-フォワードガイダンスが不変に維持された一方-最も大きな変化は、「最近の為替レートのボラティリティが、中期的な物価安定に対する不確実性の源泉となる」との表現が加えられた点であった。

もっとも、ECBによるこうしたコミュニケーションにも拘らず、今回のユーロ高には三つの留意点がある。

第一に、ユーロドル相場の上昇ペースは確かに早かったが、ユーロの実効レートでみるとそこまで深刻ではない点である。第二に、ユーロ圏にとっての主要な貿易相手国の景気が総じて良好なので、ユーロ高の影響が所得効果の面から相応にオフセットされうる点である。そして第三には、ユーロ高による輸入物価を通じたインフレ抑制効果の一部は、このところのエネルギー価格の上昇によってオフセットされうる点である。

米政権がユーロ圏のこうした事情を見透かした上でコミュニケーションを行っているのかどうか定かではない。しかし、少なくとも市場はこうした事実に気付いているはずであり、だからこそ、ドラギ総裁による上記のトーンでの発言に拘らず、ユーロドル相場の上昇に歯止めがかからないという面があろう。

フォワードガイダンスについて

冒頭に述べたように、今回(1月)の政策理事会に向けての市場の注目点はフォワードガイダンスの変更如何にあっただけに、記者会見でも為替問題と同様に多くの質問が集中した。

ドラギ総裁が強調したのは、こうした思惑を強めることになった前回(12月)の政策理事会の議事要旨の趣旨が誤解されたとの主張である。つまり、ドラギ総裁は、前回(12月)の政策理事会では、いずれかの時点でフォワードガイダンスを変更する必要があることについてはコンセンサスが成立したが、それをいつ行うかについて具体的な議論は行っていないし、コンセンサスも存在しないと説明した。加えて、前回(12月)の政策理事会以降には、景気は確かに上振れしたが、物価に関しては目標の達成に関する確信が得られたわけではない点を強調し、フォワードガイダンスを含む現在の金融緩和の維持が必要との判断を確認した。

こうした説明に対し、数名の記者からは、本年9月以降も資産買入れを継続する可能性に関する質問が示された。ドラギ総裁は、今回の政策理事会でもこの点について具体的な意見の集約を図っていない点を強調するとともに、各々の政策理事会メンバーは様々な選択肢を比較考量しているはずと説明した。

さらに数名の記者は、ドラギ総裁のこのような説明を捉え、今後の政策運営に関して、政策理事会メンバーの意見が大きく分かれているのではないかとの懸念を示した。

これに対しドラギ総裁は、前回(12月)の政策理事会以降になされたECB幹部の様々な発言も、①インフレ目標の達成にコミットする、②資産買入れの縮小・停止の十分後に利上げを開始し、さらにそのかなり後に保有資産の再投資を見直すというsequencingを遵守する、といった点では共通した考え方の下でなされており、意見の相違も通常の範囲内であると主張した。

その上で、ドラギ総裁は、一部の記者による直截な質問に答える形で、少なくとも現時点での金融経済情勢を前提とすれば、2018年中に利上げを開始する可能性は極めて小さいという、やや踏み込んだ発言を行った。一方で、利上げの開始を資産買入れの終了のかなり後(well past) とする表現について、ブンデスバンクのバイトマン総裁による6ヶ月程度との解釈は正しいかとの質問に対しては、ドラギ総裁は明確な回答を避けた。

このように、ドラギ総裁は今回の記者会見において、市場に生じた金融政策の早期の「正常化」に対する思惑を修正するよう努めた印象がある。しかし、政策理事会での議論が、物価目標の達成により確信が持てるようになれば、そのときにはフォワードガイダンスの修正から「正常化」に着手することでコンセンサスが成立していることも事実上認めたことになった。

上記のような為替の不確実性はあるとしても、ECBは景気に関してはむしろ上方リスクを見ていることに変わりがなく、技術的にも今年の春以降にはエネルギー価格の(下向きの)水準効果が剥落していくことを踏まえれば、フォワードガイダンスの変更も、いずれにせよ次回(3月)の政策理事会では行われるであろうと市場が理解するのも当然であろう。

その意味では、ドラギ総裁が今回の記者会見で努力したコミュニケーションの修正も、政策理事会メンバーとの関係では不可欠であったのであろうが、少なくとも市場との間では若干の空しさが感じられる面もあった。

プロフィール

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    井上 哲也

    金融デジタルビジネスリサーチ部

    シニアチーフリサーチャー

    

    内外金融市場の調査やこれに関わる政策の企画、邦銀国際部門のモニタリングなどを中心とする20年超に亘る中央銀行での執務経験と、国内外の当局や金融機関、研究機関、金融メディアに構築した人脈を活かして、中央銀行の政策対応(”central banking”)に関する議論に貢献。そのための場として「金融市場パネル」を運営し、議論の成果を内外の有識者と幅広く共有するほか、各種のメディアを通じた情報と意見の発信を行っている。2012年には、姉妹パネルとして「バンキングパネル」と「日中金融円卓会合」も立ち上げ、日本の経験を踏まえた商業銀行機能のあり方や中国への教訓といった領域へとカバレッジを広げている。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。