&N 未来創発ラボ

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はじめに

今回(3月)は、現在の正副総裁による最後の金融政策決定会合であるだけに、記者会見ではこの5年間の政策効果を振り返る質問も少なくなかった。その上で、もちろん今回は、先日の黒田総裁による国会での発言に注目が集まった直後であるだけに、日銀による金融政策の今後の「正常化」に関する質問も多かった。

「量的・質的金融緩和」の成果

黒田総裁は、記者の質問に答える形で、「量的・質的金融緩和」がわが国の景気を拡大させた実績に自信を示した。つまり、企業は歴史的高水準の収益を享受し、家計も完全雇用と緩やかな賃金上昇によって、その状況は顕著に好転した。この間、インフレ率は依然として低位に止まっているが、需給バランスの好転とインフレ期待の緩やかな好転によって、先行きに対する見方は大きく改善したと説明した。

「量的・質的金融緩和」をレビューする中で、黒田総裁は興味深いことにコミュニケーション政策を取り上げた。つまり、数週間前に開催された米欧中央銀行の首脳とのパネルディスカッションに言及し、金融政策に関するコミュニケーションは財政政策よりも難しいとの見方を示した。なぜなら、経済主体にとって、金融政策の効果は金融環境のように間接的な形で認識されるからである。

その一方で黒田総裁は、一部の記者が懸念を示した「財政ファイナンス」のリスクを強く否定した。つまり、財政ファイナンスとは、政府が中央銀行に資金調達を依存する状況である一方、日銀による現在の国債買入れはあくまでも金融政策の目的に沿って実施されているからである。

黒田総裁によるこうした説明は合理的である。もっとも、わが国における財政規律を考えると、中長期的には、記者だけでなく市場関係者の間でも財政面に関する懸念が払拭できていないように感ずる。

金融政策の「正常化」

金融政策の「正常化」については、今月初の黒田総裁による国会での発言が大きな注目を集めたことが記憶に新しい。ただし実際には、黒田総裁は2019年ごろには「正常化」を検討しているはずという趣旨の発言をしたとみられる。

だとすれば、日銀が2019年頃としているインフレ目標の達成に照らしても整合的であるはずだが、特に海外では2019年に「正常化」に踏み切ると解釈されたようだ。この点に関しては、「量的・質的金融緩和」の下で、日銀が金融政策の「正常化」に具体的に着手するには、実際のインフレ率が安定的にインフレ目標をクリアする必要がある点に注意する必要がある。

いずれにしても、黒田総裁には上記の発言の「真意」を説明する機会が既に少なからずあり、その結果、少なくとも国内の市場関係者はそうした説明に納得したようだ。それでも、今回の会見では、記者からは、インフレ期待の改善に伴って(実質金利の面で)金融緩和効果が強まっているはずとして、「量的・質的金融緩和」の見直しを質す向きもみられた。

これに対し黒田総裁は、こうしたメカニズムの存在を認めつつも、その結果として「量的・質的金融緩和」を調整する可能性は否定した。その理由については、日銀にとってインフレ目標の早期の達成が最重要課題であるため、強化された金融緩和効果を最大限活用すべきだからであるとした。

一方、他の数名の記者は、日銀が資産買入れに関するいわゆるstealth taperingを既に開始したのではないかという、お馴染みの懸念を提示した。黒田総裁にとって、この質問への回答自体はそう難しくはないはずである。

ただ、この点をきちんと理解してもらうためには、2016年秋の「総括的検証」の際に、「量的・質的金融緩和」の下での政策手段の軸が、資金量から金利へと事実上シフトしていることを理解してもらう必要がある。その意味では、この点は日銀と市場との間のコミュニケーションにおけるポイントとなり続けること考えられる。

最後に黒田総裁は、「正常化」に関するコミュニケーションについて、従来と同じく慎重なスタンスを維持した。つまり、インフレ率の改善の早い段階から「正常化」に言及することは、日銀によるインフレ目標へのコミットメントに対する信認に影響し、結局は「量的・質的金融緩和」の効果を低下させるとの考え方である。

20周年

2018年は現在の日本銀行法が施行されてから20年目に当たるだけに、数名の記者は日銀の独立性といった、よりファンダメンタルな論点も提示した。(本稿の読者であれば、本年の「金融市場パネル」のコンファレンスのテーマでもあることをご存知であろう)。

この点に関してある記者は、金融政策に関する日銀の独立性が、政策手段の面での独立性であるかどうかを質した。実際、次の副総裁の一人として選任されている若田部氏は、国会においてそうした趣旨の発言を行ったとされる。これに対し黒田総裁は、日銀は自発的にインフレ目標の枠組みを採用し、2%の目標を自ら選択した点を説明した上で、日銀の独立性は政策手段に限定されないとの理解を示した。

さらに別の記者からは、正副総裁が金融政策に関して同じ意見を持つべきかどうかという、より興味深い質問も提示された。黒田総裁は、日本銀行法に基づき、正副総裁は各々独立の立場で政策判断を下すことが規定されている点を説明した上で、政策の執行などにおいてはお互いに協力することが望まれるとの理解を示した。

モチベーション

今回の記者会見は、黒田総裁が内閣(実質的には首相)からの続投要請を引き受けた理由が、初めて明らかになる機会となった。黒田総裁は、最初の任期中に景気は回復したが、物価が依然として目標を下回り続けているだけに、その実現に向けた取り組みを続けたいとの考えを示した。

もちろん、現在の日本経済は、「量的・質的金融緩和」が導入された2013年4月に比べて、インフレ目標の達成に相対的に近づいているのであろう。ただ、今後相応の期間の中で実際にインフレ目標を達成しうるかどうかについては、依然として見方が分かれている訳である。

プロフィール

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    井上 哲也

    金融デジタルビジネスリサーチ部

    シニアチーフリサーチャー

    

    内外金融市場の調査やこれに関わる政策の企画、邦銀国際部門のモニタリングなどを中心とする20年超に亘る中央銀行での執務経験と、国内外の当局や金融機関、研究機関、金融メディアに構築した人脈を活かして、中央銀行の政策対応(”central banking”)に関する議論に貢献。そのための場として「金融市場パネル」を運営し、議論の成果を内外の有識者と幅広く共有するほか、各種のメディアを通じた情報と意見の発信を行っている。2012年には、姉妹パネルとして「バンキングパネル」と「日中金融円卓会合」も立ち上げ、日本の経験を踏まえた商業銀行機能のあり方や中国への教訓といった領域へとカバレッジを広げている。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。