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はじめに

前回(7月)のECBの政策理事会は金融政策の現状維持を決定しただけでなく、ドラギ総裁の記者会見も約40分で終了したほど注目度が低かった。しかも、公表されたAccount(議事要旨)は、政策理事会メンバーが大きな異論もなく淡々と議論した様子を示唆しており、FOMCの議事要旨のような「隠し玉」もなかった。
しかし、ECBによる金融政策には課題がない訳ではない。そうした観点も含めながら、いつものように内容を検討したい。

景気と物価の情勢判断

経済情勢についてプラート理事は、第1四半期の減速が、昨年後半に好調であった輸出の減速や、一時的ないし供給面での要因によるとの理解を確認し、内需は拡大を続けていたと指摘した。同時に、6月の政策理事会以降に公表された経済指標は、幅広い景気拡大の継続を示していると説明した。

政策理事会メンバーもこうした理解を共有し、直近の指標から見て第2四半期の経済成長率は6月の政策理事会での見通しより低いとみられるが、中期的には力強く幅広い経済成長が期待できるとした。この間、消費は雇用拡大や一部国の拡張的財政に支えられて堅調であるほか、設備投資も緩和的な金融環境や良好な企業収益の恩恵を受けているとした。

なお、貿易摩擦に関しては、クーレ理事が株価を中心とする金融市場への影響を指摘したのに対し、政策理事会メンバーも主としてコンフィデンスに対する影響を挙げたほか、為替レートの減価を含む新興国への影響をむしろ指摘し、ユーロ圏経済への直接的な影響は小さいとの見方を示唆した。

物価に関してプラート理事は、エネルギーや食料品の価格上昇がコア部分の軟調さを打ち消す形で総合インフレ率が堅調になっているとの理解を示す一方、労使交渉によって決まる賃金上昇が強いため雇用者報酬の上昇率が高まったとの分析を示し、インフレ基調の底堅さを示唆した。

政策理事会メンバーもこうした見方に概ね(broad)合意し、総合インフレ率は年末まで現状(2%)程度で推移する一方、基調的インフレ率も依然より上昇するとの見方を示した。また、ECBが実施するエコノミスト向けサーベイの結果を含め、インフレ期待の上昇を歓迎し、インフレ見通しの不確実性が減少したと主張した。

金融環境に関する評価

プラート理事は、(新興国の為替レートの減価を映じた)ユーロの実効レートの上昇や貿易摩擦の不透明性による株価の不安定化に関わらず、金融環境が安定しているとの見方を示した。加えて、ECBのサーベイによれば、事業法人や家計に対する銀行の与信姿勢は緩和を続けており、その理由として、金融機関同士の競争や、景気が堅調な下でのリスク評価の好転などを挙げた。

政策理事会メンバーはこうした見方に合意し、マネーサプライの伸び率が、ECBによる資産買入れの減速と民間与信の拡大という反対方向の要因の下で安定していると指摘した。加えて、後者については金融緩和効果の浸透による面も大きいとした。

なお、クーレ理事は、ドイツ国債のイールドカーブがフラット化したのはタームプレミアムのマイナス化によるとし、要因として貿易摩擦などによる世界経済に関する不確実性を挙げた。加えて、ECBが利上げに関するフォワードガイダンスを導入した結果、金利の先行きの不透明性が低下したことも要因との見方を示した。

政策判断とコミュニケーション

プラート理事は、上記のような見方を踏まえ、金融政策の現状維持を提示した。また、対外的なコミュニケーションについては、ユーロ圏経済が力強く幅広い拡大を続けており、先行きについても、海外には大きなリスクが残るが、ユーロ圏としてはリスクは上下にバランスしている点を強調すべきとの意見を示した。併せて、こうした環境の下でインフレ率は次第に目標に収斂するが、緩和的な金融政策が引続き必要である点を強調すべきとした。

政策理事会メンバーも、ECBが資産買入れを減速していくにも関わらず、景気拡大に伴ってユーロ圏のインフレ率が目標に収斂していくとの見方に幅広く(widely)同意した。また、6月の政策理事会後に実施したコミュニケーションが、金融市場によって良好に理解されていることについても、幅広く(widely)満足を示した。特に、利上げに関するフォワードガイダンスについては、市場の期待のコントロールと政策運営に関する柔軟性とのバランスに関して、前向きの評価を示した。

その上で、政策理事会メンバーは、金融政策と今後の運営方針(利上げに関するフォワードガイダンス、資産買入れの減速と停止に関する予告、再投資に関するフォワードガイダンスの三つ)の全てを、現状のまま維持することに全会一致で支持を示した。対外的なコミュニケーションに関しても、プラート理事の示した方針に幅広く(widely,broadly)合意を示しつつも、インフレ率の目標に対する収斂には不確実性も残るとして、政策理事会として必要に応じて全ての政策手段を発動する用意がある点を確認すべきとの意見も示された。

おわりに

7月の政策理事会の議事要旨は、執行部側の示した理解や提案に対して意味のある反論や異論がほとんど示されなかったことを示唆する。これは、金融政策に関して全会一致の合意が成立しただけにもっともな面はある。また、6月の政策理事会で大きな決定をした直後なので、意見の収斂は当然とも言える。

それでも、今後の政策運営を考えた場合、意見の相違が生じそうな問題は残る。例えば、主要国の財政規律が弛緩することで国債利回りが不安定化した場合、量的緩和の縮小・停止の方針をどうするかという問題がある。モラルハザードのリスクもあるので、公式な場では取り上げにくいのであろうが、当面の焦点となりうる。

また、フォワードガイダンスの意味合いも、政策理事会の議論のように前向きばかりではあり得ない。長期金利を抑制することは景気拡大の維持に寄与する一方、銀行貸出だけでなく資本市場も含めた与信の拡大を支えている。ユーロ圏の場合は事業法人の借り入れが依然として大きいだけに、十分な調整なく次の景気後退を迎えて良いのかという点にも議論の余地がある。

8月FOMCのように「無風」のときこそ中長期的な問題を議論するのも良いように思うし、議事要旨の位置付けに関わるのかもしれないが、いずれにせよECBにはまだ宿題が残っている。

プロフィール

  • 井上 哲也のポートレート

    井上 哲也

    金融デジタルビジネスリサーチ部

    シニアチーフリサーチャー

    

    内外金融市場の調査やこれに関わる政策の企画、邦銀国際部門のモニタリングなどを中心とする20年超に亘る中央銀行での執務経験と、国内外の当局や金融機関、研究機関、金融メディアに構築した人脈を活かして、中央銀行の政策対応(”central banking”)に関する議論に貢献。そのための場として「金融市場パネル」を運営し、議論の成果を内外の有識者と幅広く共有するほか、各種のメディアを通じた情報と意見の発信を行っている。2012年には、姉妹パネルとして「バンキングパネル」と「日中金融円卓会合」も立ち上げ、日本の経験を踏まえた商業銀行機能のあり方や中国への教訓といった領域へとカバレッジを広げている。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。