&N 未来創発ラボ

野村総合研究所と
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はじめに

前回(3月)の政策理事会は、2019年の経済見通しを大きく下方修正したことが市場に衝撃を与えたが、メンバーによる議論の焦点は、むしろ政策対応の強度の方にあったようだ。

景気と物価の評価

プラート理事は、足許の海外経済が製造業を中心に一段と減速していることを確認した。同時に、ユーロ圏の輸出も減速したが、内容的にはむしろ域内貿易額の減少が顕著である一方、域外への輸出では米国や中国向けだけでなく、トルコや英国向けの減速が目立つと説明した。

この間、設備投資の伸びは低位ながら維持されたものの、外需の低迷を反映して当面の回復は難しいとの見方を示唆した。これに対して消費は、雇用や賃金の増加といったファンダメンタルズは維持されているが、原油価格の上昇を背景に非耐久財消費が減速した点を指摘した。

なお、クーレ理事は、前回(1月)の政策理事会の時点に比べて、クレジットスプレッドや株価の面で金融環境が緩和した点を確認し、堅調な社債発行などの点でECBによる資産買入れの停止は大きな影響を与えていないとの理解を示した。ただし、ユーロ圏での株価回復は、収益見通しの改善ではなく、投資家のリスクテイク姿勢の変化を反映した面が大きいとの理解も示した。

執行部による景気判断に対し、政策理事会メンバーも概ね(broadly)合意した。その上で、先行きの不安要素として、米中間だけでなく米欧間を含む貿易摩擦を巡る不透明性や、英国の無秩序なEU離脱のリスク、新興国経済の不安定性を挙げた。加えて、長めの「soft patch」の後には潜在成長率付近に服するのが中心シナリオである点を確認しつつも、回復時期に関する不透明性が高まったことを認めた。

先行きでの景気回復期待を支える要素としては、ドイツの自動車産業の環境対策のような一時的要因が減衰すること、良好な金融環境や雇用・所得環境の下支えがあること、海外経済の回復も見込まれることなどを指摘した。加えて、域内国のうちで余力を有する国は財政刺激を行うべきことを示唆した。

物価についても、政策理事会メンバーは執行部の判断を概ね(broadly)支持し、上記のような景気見通しの下方修正に伴って、インフレ目標の達成時期は後ズレするが、労働コストの上昇圧力は一層高まるとの見方を維持した。さらに、企業のマージン削減による吸収には限界があるとして、これまで抑制的であった賃金から物価への波及も徐々に強まるとの見方を維持した。

金融環境に関しては、政策理事会メンバーも銀行の貸出条件が緩和的に維持されていることを確認しつつ、今後はタイト化の兆しもあることを認識した。さらに、低金利環境の継続に伴って利鞘が縮小しているとして、長い目で見て金融仲介や金融システムの安定に負の影響を持つ可能性について懸念が示された一方、そうした影響はイールドカーブの領域によって異なるほか、銀行の収益性へのインパクトも、個々のビジネスモデルや資産・負債の構造によって異なるとの指摘もなされた。

政策判断

プラート理事は、ユーロ圏経済の成長を支える要因は維持されるとしつつ、不確実性が残存し続けていることが経済見通しの下方修正に繋がっていることと、基調的インフレ率が抑制されていることを確認した。

そこで、物価が目標に向けた動きを維持するよう、(1) 利上げの開始時期に関するフォワードガイダンスを2019年末へ延長する、(2) 保有資産の再投資に関するフォワードガイダンスを維持する、(3) TLTROIIIを2019年9月から導入する、という内容からなる政策変更を提案した。このうち(3)は、2021年3月まで四半期ごとに実施し、各オペの利回りはMROに連動させ、期間は2年で、 2019年2月末の貸出残高の30%を利用額の上限とすることも合わせて提案した。

これに対し、政策理事会メンバーも広く(widely)に合意したが、利上げの開始時期に関するフォワードガイダンスについては、興味深いことに、多くの(a number of)メンバーが2020年3月末まで延長すべきと主張した。理由としては、政策効果が強まることに加えて、市場の見方に一致することや、経済見通しの大幅な下方修正とより整合的であることが挙げられた。

これに対し2019年末までの延長を主張したメンバーからは、景気回復パスへの回帰という中心シナリオに整合的である点や、今後の経済指標が好転する可能性もある中で長期に亘るコミットメントを行うことの問題、(今回導入するものも含めて)様々な政策手段が金融仲介に与える効果を見極める必要性などが指摘された。

政策理事会直後の記者会見でドラギ総裁が強調したように、結局は意見の相違も調整され、フォワードガイダンスの延長は2019年末に決定された。しかし同時に、経済状況が予想より悪化した場合に追加的な緩和を行うことを排除するものではない点と、フォワードガイダンスのstate-contingentな性質によって、(利上げ開始時期に関する期待の後ズレによる)緩和効果が期待できる点も併せて確認された。

TLTROIII の導入に関しても 、政策理事会メンバーは概ね(broadly)同意した。ただ、意図に関しては良好な貸出環境を維持し、政策効果の円滑な波及を支えるといった考えが示され、従来のTLTROとは異なる状況にあるとの見方も示唆された。

実際、TLTROIIの満期の到来や金融規制の影響、一部の銀行の資金調達条件の悪化を考慮して、銀行の資金調達に対するストレスの上昇を回避することが、この措置の意義であるとの議論がなされ、pre-emptiveな性格を有するbackstopであるとして、対象を絞った(targeted)な措置とすべきことが強調されている。

最後に、こうした政策対応に関する市場とのコミュニケーションについても、いつものようにPraet理事がガイドラインを確認している。今回は9項目にも達し、しかもそれらは声明文に表現されているので、本稿では個別の説明は省略する。

ただし、政策理事会メンバーによる議論には、景気の軟化に対して政策変数を「調整」したものであって、政策の方向性(「正常化」)の反転と理解されるべきではないという、興味深い主張もみられる。もちろん、そうした見方を市場が共有しているかどうかは、また別の問題である。

プロフィール

  • 井上 哲也のポートレート

    井上 哲也

    金融デジタルビジネスリサーチ部

    シニアチーフリサーチャー

    

    内外金融市場の調査やこれに関わる政策の企画、邦銀国際部門のモニタリングなどを中心とする20年超に亘る中央銀行での執務経験と、国内外の当局や金融機関、研究機関、金融メディアに構築した人脈を活かして、中央銀行の政策対応(”central banking”)に関する議論に貢献。そのための場として「金融市場パネル」を運営し、議論の成果を内外の有識者と幅広く共有するほか、各種のメディアを通じた情報と意見の発信を行っている。2012年には、姉妹パネルとして「バンキングパネル」と「日中金融円卓会合」も立ち上げ、日本の経験を踏まえた商業銀行機能のあり方や中国への教訓といった領域へとカバレッジを広げている。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。