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はじめに

BOEは6月17日まで開催した定例の金融政策委員会(MPC)で、資産買入れ残高の上限を1000億ポンド上乗せし、合計7450億ポンドとすることを決定した。6月18日に公表された声明文と議事概要によれば、MPCメンバーは、雇用を中心に先行きに関する不透明性が高く、インフレ率も一段と減速する可能性が高い点に懸念を示したようだ。

景気に関する判断

Covid-19による英国経済への影響は深刻であるが、足許の経済指標は、前回(5月)の金融政策報告(MPR)における見通しより若干ながら良好であった。第1四半期の実質GDP成長率は、個人消費の上振れを背景に▲2%と、見通し(▲2.9%)よりも悪化幅が小さく、3~4月の生産の累計縮小幅も見通しを下回った。

この点に関し議事要旨では、英国およびEUを含む海外での大規模な経済対策の効果に加えて、経済活動の自粛期間が見通しより短期に止まったことや、自粛期間の経済活動の低下も見通しほど深刻でなかったことが主たる背景として指摘されている。

また、決済データ等をもとに、5月以降の消費回復も予想比やや早かったことが指摘され、そうした動きがDIY関連や自動車、衣服、ガソリンやテイクアウトの飲食などの領域でみられる点や、オンライン消費が総じて堅調であったことが挙げられている。

加えて、住宅建設や設備投資もMPRの見通し対比で打撃がやや少なかったため、第2四半期の実質GDPの水準が2019年第1四半期に比べて▲20%と、MPR見通し(▲27%)よりも好転するとの見方が示されている。

それでも、MPCメンバーは総じて慎重さを維持したようだ。議事要旨には、ハードデータの収集や推計に限界がある点が示唆されているほか、経済活動の復活の兆しが単にタイミングの点で前倒しされただけである可能性が指摘され、消費者行動が慎重化している結果を示唆するアンケート結果などを踏まえて、その持続可能性に疑問が示されている、

こうした慎重さは、主として雇用の先行きに対する懸念に基づいている。実は、英国の失業率は3.9%と比較的低位に維持されているが、これは、政府の支援策を利用して労働者を解雇せずに一時帰休(furlough)させた企業が多いことに加え、就業活動を断念して労働市場から退出した人々が存在することによる面が大きいことが指摘されている。

その上で、一時帰休の労働者数が想定以上に多いことや、政府の支援策の対象である労働者の半分以上が自営業または中小企業に属し、1/3が宿泊や飲食といった業種に属することなど、脆弱な構造が指摘された。このため、企業と労働者の各々へのアンケート結果も、今後に政府の支援策が終了していく中で、労働者の相当部分が元の職に復帰できないリスクを示唆した。

このような雇用環境が、家計による消費行動の慎重化に繋がる恐れがあることは明らかであろう。議事要旨でも、家計による貯蓄の増加についての議論がみられ、雇用や資金調達の悪化を踏まえた予備的な貯蓄への志向の強まりが指摘されている。

また、この間の貯蓄の増加には、経済活動の自粛に伴う「非自発的な」貯蓄も含まれ、今後にpent-up demandの原資となることも期待できるが、議事要旨には、こうした行動は消費性向の低い高所得層に顕著であるとの慎重な意見が示されている。

物価に関する判断

MPCメンバーは、物価に関しても総じて慎重な見方にあるようだ。実際、5月のCPIインフレ率は0.5%まで減速している。もちろん、原油価格の下落による影響が波及し続けていることによる面が大きいが、議事要旨には足許での原油価格の反発の持続性にも疑問が示されている。5月のコアインフレ率も1.2%に減速しており、総需要の減退による影響の大きさが指摘されている。

この間、週間平均賃金の上昇率も1%まで低下した。しかも議事要旨には、これまでは政府の支援策に加えて、企業独自の取組みによる賃金補填が行われてきた点が指摘され、こうした対応が剥落していくことに加え、通常であれば実施された年俸の改定が見送られたケースが多いことなどを踏まえて、賃金の先行きに対する慎重な見方が示されている。

金融環境に関する判断

これに対し、英国の金融環境についてはMPCメンバーからも前向きな評価がみられるが、その主たる背景は政策対応であるとの見方が示唆されている。

例えば、英国の株価も回復しているが、企業収益の先行きに対する見方は慎重であるとして、リスクプレミアムの縮小による面が大きいことが示唆されている。また、英国債の市場機能がビット・アスク・スプレッド等の面で相当に回復したことや、レポ金利と政策金利の乖離が相当に縮小したことも、各々BOEによる国債買入れや資金供給による面が大きいとみられる。

加えて議事要旨では、政府による様々な企業金融支援策の使用が高水準に達しているとして、所期の効果を挙げているとの前向きな評価が示されている。もっとも、小売や旅行といった業種を中心に投資非適格の企業の一部では資金調達が困難な状況が続いているとの指摘もみられる。

さらに、零細企業の間では、外部借入れの習慣が乏しいことや、債務負担への懸念が強いことなどから、借入れを忌避する動きもみられる点が指摘され、資本性の資金を供給することの重要性を示唆する意見もみられた。

政策決定

今回のMPCは、政策金利は0.1%に据え置き、3月に決定した資産買入れの増加(2000億ポンド)を維持することとした上で、さらに1000億ポンドの上乗せを決定した(8対1の多数)。この結果、残高の上限は7450億ポンドとなり、声明文では本年末頃にこの水準に達するとの見通しを示した。

政策決定の背景は上記の通りであるが、議事要旨では、景気の先行きに対する不透明性が依然として大きく、インフレが一段と減速するリスクがある下で、資金の流れと緩和的な金融環境を維持することが重要である点が確認されるとともに、経済運営に対するリスクマネジメント的な意味合いも指摘されている。

 

プロフィール

  • 井上 哲也のポートレート

    井上 哲也

    金融デジタルビジネスリサーチ部

    シニアチーフリサーチャー

    

    内外金融市場の調査やこれに関わる政策の企画、邦銀国際部門のモニタリングなどを中心とする20年超に亘る中央銀行での執務経験と、国内外の当局や金融機関、研究機関、金融メディアに構築した人脈を活かして、中央銀行の政策対応(”central banking”)に関する議論に貢献。そのための場として「金融市場パネル」を運営し、議論の成果を内外の有識者と幅広く共有するほか、各種のメディアを通じた情報と意見の発信を行っている。2012年には、姉妹パネルとして「バンキングパネル」と「日中金融円卓会合」も立ち上げ、日本の経験を踏まえた商業銀行機能のあり方や中国への教訓といった領域へとカバレッジを広げている。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。