はじめに
ECBの10月の政策理事会は、金融緩和の現状維持を決定した。もっとも声明文には、次回(12月)会合では新たな見通しによって景気の先行きとリスクの再評価を行った上で、政策手段の再調整(recalibration)を行うという異例の前書きが付されている。当然ながら、会見ではその内容に質疑が集中した。
異例の前書き
最初に、声明文の前書きの内容をより詳しく見ておくと、冒頭で今後のリスクが下方に傾いているとの判断を明示した上で、理事会は、Covid-19の感染者の展開やワクチンの導入状況と、為替相場を含む今後の情報を詳しく検討するとしている(一見奇妙なことに為替がここに入っている理由は後で議論する)。
続いて前書きは、12月に改訂される執行部見通しによって、景気の先行きとリスクの徹底的な再評価が可能になるとし、理事会はこれをもとに政策手段の再調整を行うとした。その際には、今後の経済の展開に対応するとともに、景気回復を支持するための緩和的な金融環境を維持し、インフレの先行きに対するCovid-19のマイナスの影響に対抗することを目的にするとした。
最後に前書きは、こうした再調整が対照的なインフレ目標に向けた持続的な収斂の動きに寄与すると説明した。
ラガルド総裁は、質疑の中で、今回の理事会ではこれらの内容に関して全会一致の合意を得たと説明した。また、経済見通しに関しては、各国政府によるCovid-19の抑制策による経済への影響や追加的な財政出動の内容も考慮するとした。なお、為替がワクチンの導入などと併記されている理由については、今後の景気回復に重要な影響を持つが、ECBが直接にはコントロールしえない点で同じ意味合いを有するとの理解を示した。
経済情勢の判断
具体的な政策手段に関する議論の前に、その前提となる経済情勢判断に関する議論を見ておきたい。
ラガルド総裁は、冒頭説明の中で、製造業には回復の動きもみられるが、サービス業は既に9月から明確に減速しており、消費者マインドの慎重化やバランスシートの脆弱な企業による設備投資の後退によって、雇用と財・サービスの双方にslackが生じているとの厳しい見方を示した。
記者から第4四半期の実質GDP成長率が再びマイナスに転ずる懸念が示されたのに対しては、ラガルド総裁も第3四半期の成長率が高めに出るだけに落ち込みが大きい点は認めつつも、11月以降の感染状況と感染抑制策の影響には依然として不透明性が高いと回答した。
数名の記者は、総合インフレ率が足許で小幅なマイナスになっている点をとらえ、デフレのリスクを質した。ラガルド総裁は、その主因は既往のエネルギー価格の下落とドイツの付加価値税減税、旅行パックの値引き等にあり、2021年初までは総合インフレ率のマイナスが続く可能性が高い点を認めつつ、これらの要因の剥落に伴ってインフレ率は徐々に上昇するとの見方を確認した。
従って、需要の減退と物価下落とがスパイラル的に生ずるデフレとは異なるとしてデフレ懸念を否定した。もっとも、低インフレの下で、Covid-19の第二波の感染拡大が総需要の減退を招くようになれば、物価には決して望ましい状況とは言えない。また、ECBが個別要因を強調する状況も良い兆しではないように見える。
再調整の内容
記者会見では多くの記者が再調整のより具体的内容を探る質問を行った。これに対しラガルド総裁は、今回(10月)の政策理事会では、直ちに追加緩和を行うべきという提案はなく、緩和手段に関する具体的な議論もなかったと説明した。
また複数の記者がPEPPの見直し内容を質したのに対し 、 ラガルド総裁は、再調整はすべての政策手段が対象であり、各々の規模、実施期間、条件の全てを再検討するとともに、複数の政策手段の組み合わせも含めて、最適な対応を探る方針を再三にわたって強調した。
その上でPEPPに関しては、従来の資産買入れ(APP)に比べて、アセットクラスや期間と場所に関して柔軟性が高いという特徴を確認するとともに、CP買入れの機動的な運営や国債買入れの国別配分における出資比率からの一時的乖離を例示することで柔軟な運営が可能である点を確認した。
この点に関しては、別の記者からも本年春のような臨時理事会の開催はありうるのかという興味深い質問もあり、ラガルド総裁も、 Covid-19対策としてリモートでの会議が一般化しただけに、短い事前予告でも理事会を機動的に開催しうる状況にあると指摘した。
TLTRO IIIに関しては、一部の記者が、今後に不良債権が増加するリスクが高まる中で政策効果を発揮できるのかとの懸念を示した。ラガルド総裁は、TLTRO IIIによって銀行が極めて有利な条件で資金を調達しうるようになったために、企業や家計に対する貸出条件も緩和されたとの評価を示し、貸出金利の低下と貸出残高の増加がその証拠であると説明した。
また、貸出増加のモメンタムが足許で低下しつつある点に関しては、企業の予備的な資金需要の一巡と、設備投資意欲の低下による資金需要の減退による面も大きいとの理解を示す一方、貸出サーベイの結果が銀行による貸出姿勢の一層の慎重化を示唆している点は今後も監視するとした。
景気減速が深刻化した場合も、有効な緩和手段があるのかとの疑念に対しては、ラガルド総裁は感染第一波の際にもPEPPのような新規手段の導入もできたし、TLTRO IIIのように既存手段の条件見直しによる強化もできた点を強調し、12月の再調整の際にもこうした対応が可能との考えを示唆した。
12月の追加緩和に関しては、理事会メンバーによる全会一致での決定は難しいのではないかとの指摘も記者から示された。これに対しラガルド総裁は直接の回答は避けつつ、従来と同じく「幅広い合意」があれば十分との理解を確認した。
ラガルド総裁の最初の1年
昨年11月初に就任したラガルド総裁は最初の一年をほぼ終えた。記者の質問に対し、時間の経過は予想より早かったとしつつ、職務を楽しんでいると回答したが、いずれにせよ、就任時には予想もしなかった政策課題に直面していることは確かである。
プロフィール
※組織名、職名は現在と異なる場合があります。