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はじめに

ECBの10月政策理事会では、当面の景気と物価について厳しい見方が共有され、次回(12月)会合での政策手段の運営見直し(recalibration)に対するコンセンサスが形成された。

経済情勢の評価

レーン理事は、執行部の立場から、ユーロ圏の景気回復が夏以降にモメンタムを失い、今後も製造業は底堅いもののサービス業は家計支出が抑制される中で軟調に推移し、設備投資も総需要の減速や企業収益の低下などにより抑制されるとの見方を示した。主な背景は、Covid-19感染者の増加と域内国政府による経済活動の抑制であり、財輸出のみに明るい兆しがみられるとした。

理事会メンバーもこうした評価に概ね(generally)同意し、9月時点でCovid-19感染の再拡大を想定していたものの、足許の動きは想定以上と評価した。また、春に比べて経済活動の抑制は地域や部門の面で限定的であるため、製造業や建設業への影響は小さいとしても、娯楽や観光等には再び深刻な打撃になるとの指摘もみられた。

加えて、今後も経済活動の抑制が断続的に行われる結果、景気回復が振れを伴う可能性や、企業や家計が蓄積した資金のバッファーの十分さに関する不透明性、より多くの企業が閉鎖される可能性等のために、本年のような急速な回復が再現しない恐れも指摘された。

さらに、長期の視点からは、Covid-19の総需要と総供給の双方に対する影響によって経済成長率を下押しする恐れや、企業や家計、政府のバランスシートの脆弱性のために、景気後退が金融面から深刻化することへの懸念も示された。

雇用についても、レーン理事は、労働集約的な部門で状況が悪化し、多くの領域がリスクに直面しているとの見方を示すとともに、失業率が雇用調整圧力を過小評価している可能性を示唆した。もっとも賃金は、労働時間短縮の影響を受けにくい契約賃金でみると、低下は抑制されているとした。

その上で物価については、9月のコアHICPインフレ率が0.2%と既往ボトムを更新した点を説明し、広範な工業製品やサービスにおける価格上昇率の低下を示唆した一方、長期のインフレ期待には大きな変化はないとの評価を示した。

政策理事会メンバーも、こうした評価に幅広く(broadly)同意するとともに、総需要の停滞や賃金上昇の抑制、ユーロ高といった要因のため、総合インフレ率は当面はマイナス圏で推移するとの見方を示した。

また、足許でのインフレ率低下が異例なパターンでの小売セールや一部国での減税といった一時的要因に左右された面が指摘された一方、HICPバスケットの35%で価格低下が生じるなど低インフレの長期化を懸念する指摘もあり、インフレ率の今後の推移は9月時点の悲観シナリオに近いとの厳しい見方も示された。

金融システムの評価

シュナーベル理事は、執行部の立場から、足許の金融市場が米国の政治的な不透明性の後退や経済対策への期待と、ユーロ圏を含むCovid-19感染者の増加や経済活動の抑制への懸念という相反する要素に左右されていると整理した。もっとも、本年春とは異なり、大規模な「質への逃避」はみられず、ユーロ圏の国債利回りのスプレッドもむしろ縮小した点に注意を促した。

その上でシュナーベル理事は、市場では、①米国株価の上昇によるリスクセンチメントの好転、②ECBによる追加緩和への期待、③ 最初のEU債(SUREプログラムの資金調達)の成功が理由として挙げられていると説明した。

レーン理事も、ユーロ圏の金融環境が極めて緩和的に維持されている点を確認し、社債利回りのスプレッドも一段と縮小した点を指摘した。もっとも、銀行貸出は、銀行による与信姿勢の慎重化と予備的動機や設備投資に係る資金需要の減退の双方の理由によって、足許で減速している点を確認した。

さらに、高水準の銀行貸出と社債発行によって事業法人の負債が高水準となった点にも言及し、手元資金の積み上げによってネットの負債は抑制されているものの、バランスシートの脆弱性が設備投資の抑制に繋がる恐れを示した。

理事会メンバーも、シュナーベル理事やレーン理事の評価を幅広く(widely)共有し、ECBの政策対応が緩和的な金融環境の維持に寄与しているとの見方を示した一方、資産価格の調整リスクも指摘した。また、銀行の与信姿勢が第4四半期にかけてさらに慎重化するとの懸念を示した一方、従来と同じく、域内国政府による債務保証が貸出を下支えするとの見方もあった。

また、Covid-19感染の増加が不良債権の増加を招くことで、銀行の金融仲介を通じた政策効果の波及に影響を及ぼす恐れも取り上げられ、構造的な低収益や利鞘の縮小が銀行の課題である点が確認された。

政策判断

今回(11月)の政策理事会は、金融緩和の現状維持を決定したが、レーン理事は経済の先行きに関するリスクが明確に下向きである点を強調した上で、執行部の新たな見通しや域内国の財政政策等の情報が得られる次回(12月)の会合で、全ての政策手段の運営について再評価を行うことを提案した。

理事会メンバーは、金融緩和の現状維持を支持するとともに、景気のモメンタムの低下や基調的インフレ率の減速、リスクバランスの悪化等を踏まえて、次回(12月)での再評価に幅広く(widely)合意した。同時に、必要であればいつでも政策対応を講ずる用意がある点や、市場が不安定化した場合にはPEPPの柔軟な運営を行うことが可能である点も確認した。

政策対応の効果に関しては、この間のPEPPやTLTRO IIIが所期の効果を挙げたとの評価が示された一方で、今後の「非直線性」や副作用についても議論がなされ、資産買入れの強化が本年前半のような金融環境や実体経済への効果を挙げるとは限らないとの見方も示された。

最後に財政との関係では、レーン理事と理事会メンバーともに、金融緩和による財政資金の調達コストの抑制を通じた協力の意義を挙げた。もっとも理事会メンバーからは、その結果として必要以上の財政支出を招来し、結果として財政の維持可能性を悪化させる恐れも指摘された。

 

プロフィール

  • 井上 哲也のポートレート

    井上 哲也

    金融デジタルビジネスリサーチ部

    シニアチーフリサーチャー

    

    内外金融市場の調査やこれに関わる政策の企画、邦銀国際部門のモニタリングなどを中心とする20年超に亘る中央銀行での執務経験と、国内外の当局や金融機関、研究機関、金融メディアに構築した人脈を活かして、中央銀行の政策対応(”central banking”)に関する議論に貢献。そのための場として「金融市場パネル」を運営し、議論の成果を内外の有識者と幅広く共有するほか、各種のメディアを通じた情報と意見の発信を行っている。2012年には、姉妹パネルとして「バンキングパネル」と「日中金融円卓会合」も立ち上げ、日本の経験を踏まえた商業銀行機能のあり方や中国への教訓といった領域へとカバレッジを広げている。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。