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はじめに

ECBの4月の政策理事会では、ロシアによるウクライナ侵攻や中国のゼロコロナ政策がインフレ圧力を一層高めている点に懸念が共有された一方、金融政策の正常化のペースについては意見の相違がみられた。

経済情勢の評価

レーン理事は、ウクライナ侵攻に伴うエネルギーや食品の価格上昇と先行きの不透明化が、家計や企業のマインドの悪化を招いている点に懸念を示した。また、雇用はサービス消費の回復や政府部門の寄与もあって拡大を続け、域内国の財政支出も経済活動を支えているが、全体としては景気の下方リスクが上昇したと評価した。

理事会メンバーも先行きの不透明性と下方リスクの高まりに同意した。もっとも、景気回復は遅延しうるが頓挫する可能性は低いとの見方を示し、企業はコスト上昇に直面しているが受注は減少していないとのサーベイ結果や、民間エコノミストが2023年の成長率見通しを変化させていない点に言及した。

その上で、ウクライナ侵攻の影響の焦点は家計の消費行動にあり、企業の設備投資への波及も含めて注視すべきとの理解を示した。この点については、インフレの加速による実質購買力の減少が低所得層を中心に影響を与える点に懸念を示した一方、財政支出やマクロ的にみた超過貯蓄(年間可処分所得の12%に相当)による下支えに期待を示した。

物価情勢の評価

レーン理事は、3月のHICPインフレ率(前年比+7.5%)では、エネルギー価格の寄与が引続き顕著(4%超)である一方、足許では原油よりも電力やガスの価格上昇が加速しているほか、食品価格の上昇も5%に達した点を指摘した。また、供給制約や経済活動の再開もあって、幅広い財やサービスの価格上昇に波及している点に注意を示した。

もっとも、契約賃金の上昇率は緩やかに止まり、本年の賃金全体の上昇率も「生産性の上昇率とHICPインフレ率の合計」を顕著に下回るとの見方を示した。また、ECBによるサーベイ(SPFとSMA)によれば、本年の予想インフレ率は2023年にかけて2%を超えているが、2024年には物価目標の上下いずれかにあるとの(主観的)確率が拮抗している点を説明した。

これらを踏まえ、レーン理事はインフレ率が当面は極めて高い状態で推移するとし、エネルギー価格と供給制約の推移が引続き重要との見方を確認した。また、これらの要素の持続性は不確実であるものの、インフレの上方リスクは高まったと指摘した。

理事会メンバーはレーン理事の説明に同意した一方、ウクライナ侵攻に伴う景気減速がインフレ圧力を短期的に抑制する可能性は低いとの理解を示した。その理由として、生産者物価の上昇が顕著であり、中国のゼロコロナ政策による供給制約の悪化が展望されるなど、川上の物価上昇圧力が高い点を指摘した。

さらに、①エネルギー価格の顕著な上昇の下では、過去よりも価格転嫁が生じやすい、②労働者は今後の契約賃金の更改で実質購買力の回復を求める可能性が高い、③エネルギー供給の不安定化や域内国政府による経済安全保障政策に対して、企業はグリーン化や生産の「reshoring」を進める、といった構造的な要因によっても、物価上昇圧力が一層高まるとの見方も示された。

これに対し、エネルギー価格の高騰は中期的な需要減退と整合的でなく、インフレ率がどの程度早く2%に収斂するかが重要との指摘もあった。加えて、ユーロ圏のGDPギャップはマイナスであり、賃金やインフレ期待の上昇はECBの政策目標とむしろ整合的との指摘や、エネルギー価格の高騰や供給制約の影響は原則的には一時的に止まるとの理解も示された。

賃金に関しては、本年の契約賃金の上昇率が1.5~2.5%に止まり、労働者は雇用確保を優先するとの見方が示された一方、賃金交渉には時間を要し、サーベイ結果も踏まえると、インフレ率の高騰に賃金上昇が追随するのは時間の問題との反論もなされた。その上で、二次的効果のリスクに幅広く(broadly)同意したが、Philips Curveの形状変化が生じない限り深刻化しないとの意見と、来年以降に顕在化するまで待つのでは手遅れとの意見の双方が示された。

さらに、市場ベースの中長期のインフレ期待に2%目標からの乖離の兆しがある点や、企業や家計のサーベイも物価上昇懸念の高まりを示唆す点に懸念が示された。もっとも、市場ベースのインフレ期待もリスクプレミアムを除けば2%目標と整合的であり、インフレ率の高騰に比べてインフレ期待が抑制的なのは金融政策への信認を示唆するとの反論も示された。

これらを踏まえ、理事会メンバーは特に短期的にインフレの上方リスクが強まったと評価し、インフレ期待や賃金の予想以上の上昇と供給制約の継続的な悪化を要素として挙げた。

金融政策の運営

レーン理事は、先行きの不透明性を強く意識し、経済指標によるインフレ見通しへの意味合いを注視する考えを示した上で、次回(6月)会合では、新たな執行部見通しも含めて経済や物価への影響を包括的に評価することが可能と説明した。また、足許の経済指標によれば、第3四半期にAPPを終えることが妥当としつつ、三原則(optionality, gradualism, flexibility)の堅持を確認した。

理事会メンバーは、金融政策の漸進的な正常化方針の維持に幅広く(widely)合意したほか、APPを第3四半期の後半より早い時期に終了するとの見方にも幅広く(broadly)同意した。

もっとも、数名(some)のメンバーは、政策金利をより早期に中立水準に戻す必要があり、このためAPPも速やかに終了し、市場との対話も変更すべきと主張した。その理由として、インフレ期待の更なる上昇や二次的効果の発生、信認の毀損のリスクを挙げた。

これに対し他のメンバーは、中期のインフレ期待は2%にアンカーされ、インフレに関する不透明性や金融市場の安定維持の面から、漸進的な正常化方針を変更する必要はないと反論した。また、ユーロ圏の中立金利は依然としてマイナスであり、これを上回る利上げは正常化の最後の段階にすべきと主張した。

最終的に理事会メンバーは、上記の三原則を維持しつつ、6月会合ではAPPの運営を決定するだけでなく、利上げに関するフォワードガイダンスの達成状況を議論することで合意した。

 

プロフィール

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    井上 哲也

    金融デジタルビジネスリサーチ部

    シニアチーフリサーチャー

    

    内外金融市場の調査やこれに関わる政策の企画、邦銀国際部門のモニタリングなどを中心とする20年超に亘る中央銀行での執務経験と、国内外の当局や金融機関、研究機関、金融メディアに構築した人脈を活かして、中央銀行の政策対応(”central banking”)に関する議論に貢献。そのための場として「金融市場パネル」を運営し、議論の成果を内外の有識者と幅広く共有するほか、各種のメディアを通じた情報と意見の発信を行っている。2012年には、姉妹パネルとして「バンキングパネル」と「日中金融円卓会合」も立ち上げ、日本の経験を踏まえた商業銀行機能のあり方や中国への教訓といった領域へとカバレッジを広げている。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。