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はじめに

ECBの6月理事会では、高インフレの持続とインフレ期待の不安定化のリスクが強く意識されるとともに、金融政策の正常化におけるgradualism(漸進性)を巡って意見が対立した。

経済情勢の判断

レーン理事は、執行部の立場から、景気回復の減速を確認した。つまり、個人消費は実質購買力の低下の下でマインドが悪化し、住宅投資は供給制約の影響を受け、工業生産もウクライナ侵攻後に停滞気味になったと評価した。

もっとも、観光は顕著に回復しているほか、域内国の財政支出の増加(GDPの約1%)も景気を支え、雇用は強い拡大を続けている点を確認した。このため、不透明性の高さを認めつつも、ユーロ圏経済は本年後半には堅調な回復パスを辿るとの見通しを示した。

理事会メンバーは、労働市場の堅調さに幅広く(widely)同意した。一方で、潜在成長率の低下を織り込んでいない点を問題視し、需給ギャップがより早く改善する可能性を指摘したほか、家計が超過貯蓄を温存するとの仮定にも疑問を示した。その上で、リスクが下方に傾いている点にも幅広く(broadly)合意した。

物価情勢の判断

レーン理事は、インフレの加速とインフレ圧力の拡大を確認した。財価格はエネルギーと供給制約が各々0.8ppと1.0ppの加速に寄与した一方、グリーン化の影響も示唆した。サービス価格は対面サービスとエネルギー感応度の高い部門の上昇を指摘した。

契約賃金は第一四半期に顕著に上昇したが、ECBの推計による域内4大国の上昇率は本年から来年にかけて+3%→+2.6%であり、サーベイ結果も抑制的と説明した。一方、unit profitが低下しているが、サーベイ調査は殆どの産業が販売価格の上昇を見込み、建設、製造、商業などで顕著であるとした。

インフレ期待は、ECBのサーベイ(SMA)によれば2024年に2%で安定し、市場も当面の高インフレとその後の減速を見込んでいるとした。もっとも、長期のインフレ期待が前回(4月)の政策理事会後にリスクプレミアムの上昇を背景に2%を超えたと付言した。

理事会メンバーもこうした評価と賃金動向の重要性に幅広く(broadly)同意した。ただし、契約賃金の上昇は一時的要因による面が強いためを二次的効果の効果ではないという意見と、タイトな労働需給が高賃金の要求を招くとの意見が示されたほか、域内国の最低賃金の改訂を含むindexationの復活も指摘された。さらに、実体経済との関係では、unit labor costの上昇は抑制されているとの指摘があった一方、賃金上昇率が生産性上昇率とインフレ率の合計を上回る見込みにある点への懸念も示した。

その上で理事会メンバーは、執行部の見通しが再び大幅に上方修正された点を問題視し、インフレ見通しが最終的に目標に収斂するのは、ショックが一時的との仮定や計量モデルの特性(mean-reversion)に基づき、ショックの連続性や持続性、非直線的な反応の可能性を無視しているとの指摘があった。

さらに、見通し期間の最後(2024年)にもコアインフレ率が高止まりする点は中期的なインフレ圧力の高止まりを示唆するとか、 HICPに対する帰属家賃の追加がインフレをさらに加速するといった懸念も示した。これに対しては、ショックが持続すれば政策対応も続くこと、ECBの政策目標はあくまでも総合インフレ率であること、執行部の見通しは外部機関と大きく変わらないことなども反論として示された。

理事会メンバーは、インフレ圧力についても、エネルギーや食品の価格は今後も上昇ないし高止まるほか、グリーン化がより持続的な上昇要因として作用するとし、2024年に総合インフレ率がコアインフレ率を下回る見通しに疑問を示した。さらに、焦点を絞った一時的なものでない財政支出や経済活動の再開に伴うサービス需要の増加も供給制約を悪化しうるとの指摘があった。

一方、市場ベースのインフレ期待が目標近傍で安定している点には幅広く(widely)合意したが、インフレ期待が実際のインフレ率に適応することで上昇するリスクを指摘した。その上で先に見た潜在成長率の過大評価の可能性も含め、インフレの先行きについては上方リスクが大きいとの理解を共有した。

金融政策の運営

これらの議論を踏まえて、6月政策理事会では7月1日でAPPによる資産買入れを終了することを決定した。

また、レーン理事は、次回(7月)の理事会での25bp利上げの予告を提案し、①高い不透明性の下で市場の調整を促進、②長期のインフレ期待は2%目標に収斂、③市場金利の下でインフレ見通しも2024年に目標へ収斂、④インフレ見通しが悪化した場合は大幅な利上げを行うことを示唆といった点を説明した。

さらに、9月の理事会では、初回利上げへの反応と新たな経済見通しを踏まえて、より大幅な利上げの余地を残すことが、マイナス金利政策の迅速な解除と多様なリスクの下でのoptionality (選択肢)の維持に繋がるとした。

理事会メンバーは、2%目標達成の姿勢を示すことの重要性に同意した一方、度重なるインフレ見通しの過小評価によって信認に疑問が生じたとの意見と、インフレ期待が安定し、二次的効果は顕在化しておらず、そうした問題はないとの意見が示された。

また、政策運営の原則のうちgradualism(漸進性)が焦点となり、 optionality(選択肢)との整合性への疑問や、過度に緩やかで慎重な利上げという誤解のリスクが指摘された。早期かつ前倒しでの政策対応で、後に急激な利上げを避けることが趣旨との指摘や、現在は「Brainardの原則」は該当しないとの指摘もなされた。

しかし、この原則を放棄すると突然の政策対応への懸念によって市場の急激な反応を招くとの指摘や、景気見通しにリスクがある下でECBによる中期の物価目標と整合的との指摘もなされ、 25bpを超える利上げを排除しない条件で維持することを決めた。

その上で理事会メンバーは、7月会合での25bpの利上げ予告を支持し、①11年振りの利上げとして慎重さが必要、②市場の安定維持が重要、③景気の下方リスクも残存等の理由を挙げた。

また、利上げの条件が既に満たされた点も踏まえ、9月会合での大幅な利上げの可能性を示唆すべきとの意見にも合意したほか、その後も経済指標とインフレ見通しに沿って漸進的で持続的な政策金利の調整が必要とした。一方、中立金利は観測不能かつ曖昧な概念として政策運営での有用性を疑問視した一方、将来的には政策金利のパスを示唆することの有用性も確認した。

 

プロフィール

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    井上 哲也

    金融デジタルビジネスリサーチ部

    シニアチーフリサーチャー

    

    内外金融市場の調査やこれに関わる政策の企画、邦銀国際部門のモニタリングなどを中心とする20年超に亘る中央銀行での執務経験と、国内外の当局や金融機関、研究機関、金融メディアに構築した人脈を活かして、中央銀行の政策対応(”central banking”)に関する議論に貢献。そのための場として「金融市場パネル」を運営し、議論の成果を内外の有識者と幅広く共有するほか、各種のメディアを通じた情報と意見の発信を行っている。2012年には、姉妹パネルとして「バンキングパネル」と「日中金融円卓会合」も立ち上げ、日本の経験を踏まえた商業銀行機能のあり方や中国への教訓といった領域へとカバレッジを広げている。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。