&N 未来創発ラボ

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はじめに

FRBは、今回(2月)のMonetary Policy Report(半期に1回、連邦議会に提出)で既往の物価や経済の見通しを概ね確認した。一方で、添付されたBoxには興味深い論点が示されている。そこで、本稿では3つのBoxの内容を踏まえつつ、将来の政策運営への意味合いを検討したい。

雇用や所得の格差の縮小

最初のBoxが取り上げたのは、コロナ禍からの回復過程で雇用や所得の格差が縮小した事実である。

このうち雇用については、雇用率(民間雇用者数の労働年齢人口に対する比率)を参照し、黒人ないしアフリカ系米国人と白人とのギャップが過去50年で最小になったことや、女性の雇用率がコロナ前を上回った点を指摘した。

また、Prime-age(25~54歳)については、非大都市地域での雇用率の上昇が顕著であったとか、農村地域では大学卒未満の学歴の人々の雇用率の増加が都市部より大きかった事実も示した。

所得については、低賃金労働者を含む歴史的に不利な状況にあった人々において、実質賃金の上昇が極めて力強かったと指摘した。また、2022年以降は非白人労働者の賃金上昇率が白人を上回っていたことや、高校卒ないしそれ以下の学歴の人々の賃金上昇率が相対的に高かった点も指摘した。

しかし、このBoxは、雇用や所得の格差の縮小がいずれも2024年末にかけて停滞ないし逆転し始めたことも併せて指摘した。その理由について、詳しい議論は示していないが、労働市場全体の軟化が影響したとの見方を示唆した。また、現時点で人種や性別、学歴の点で大きな格差が残っていることも確認した。

FRBがこのBoxを添付した意図は明確ではないが、仮に、労働市場のこれ以上の軟化は望まないという意識の表れであれば、 イエレン前議長が主張した「高圧経済」の考え方(タイトな労働市場を維持することは人的資本の維持や強化に資する)と似ており、今後の利下げ余地を開くことに繋がりうる。

しかし、格差の縮小は、コロナ禍からの回復に特有な事情(対人サービスに対する需要の急回復、リモートワークの拡大など)による面も大きいとみられ、そうした効果が一巡すれば、労働市場全体の状況に関わらず収斂するものであったと考えることもできる。

労働生産性の上昇

2番目のBoxが取り上げたのは、足元での労働生産性の上昇率の高さである。具体的には、前回の景気循環(2007年~2019年)が平均1.5%であったのに対し、2019~2024年には1.8%であったと指摘した。

資本側の背景としては、起業数の水準がコロナ禍を機に非連続的に上昇し、その後も高水準を続けている点を挙げた。また、高水準の起業がIT関連業種に集中している点に言及しつつ、新たな企業は新技術の採用ないし既存技術のより効率的な利用、さらには新製品の創出によって投資収益率が高い点を理由として指摘した。

一方、労働側の背景としては、コロナ禍後の人手不足に対して、一部の企業が資本集約的な技術を採用したことや、転職数が増加した中で人的資本がより効率的業種や職種に再配分された可能性を指摘した。

しかし、Boxはこうした要素が持続的かどうかについては慎重な見方を示し、コロナ禍後の新たなビジネスの成長性には不透明性が残ることや、資本集約的なビジネスモデルの転換や転職による人的資源の再配分が一時的に止まる可能性を示唆した。

このBoxはAI技術の採用にも言及しているが、現時点で影響は不確実としている。この点に関しては、IT関連の起業の増加の一部がAIの技術革新を背景にしているとすれば、AIは足元の労働生産性の上昇率を押し上げていることになる。また、AIの実装まで含めて考えると、資本集約的なビジネスモデルや転職による人的資源の再配分を一層加速する可能性もある。

ただし、後者の要素は、少なくともその調整過程ではマクロの労働投入の増加率を押し下げる可能性もある。その意味では、労働生産性の改善と労働投入の減速が打ち消しあう形で、潜在成長率へのプラスの貢献が抑制されることも考えられる。

バランスシートの運営

4番目のBoxは、FRBによるバランスシートの運営を取り上げている。

このうち資産側では、保有する国債やMBS等の再投資の制限(QT)を通じて、2022年6月以降に約1.9兆ドルを圧縮したほか、 SVBの破綻等を機に導入した資金供給プログラム(BTFP)の減少もあって、合計で同期間に約2.1兆ドルの削減がなされたと説明した。

負債側では、O/NレポがQT開始以降に約1.8兆ドル減少し、その主たる理由について、MMFがTBや民間レポなどより利回りの高い資産の運用にシフトしたためと説明した。その上で、預金金融機関が保有する準備預金は約3.2兆ドルで、同期間に殆ど変化していないことを示した。

負債の他の主要項目が殆ど変化していない中で、資産と負債の減少のギャップを埋めたのは、「その他負債および資本」の約0.2兆ドルの減少であり、その大半は当座預金への付利を主因とする累積赤字(繰延資産)である。

このBoxはこうした事実関係の説明に止め、今後の運営方針には触れていない。

しかし、5番目のBoxが取り上げたように、FRBは「金融政策の戦略、手段、コミュニケーション」の定期的レビュー(5年に1回)に着手する。しかも、今回のレビューの焦点が、「長期的な政策目標と政策戦略」とコミュニケーション手段であると説明している一方、2%の物価目標自体は対象にしないと述べている。だとすれば、潤沢な準備預金(ample reserve)を前提とした政策運営の内容がレビューの対象となる可能性は排除できない。

Box4が示すように、O/Nレポの残高は既に0.2兆ドルを大きく下回り、減少の余地は乏しい。一方で、銀行券残高と政府預金には相応に増加の余地があるため、FRBがQTを停止しても、当座預金には減少圧力が残ることが考えられる。FRBは、これらの影響も含めて、QT停止後の新たな均衡を探る必要がある。

プロフィール

  • 井上 哲也のポートレート

    井上 哲也

    金融デジタルビジネスリサーチ部

    シニアチーフリサーチャー

    

    内外金融市場の調査やこれに関わる政策の企画、邦銀国際部門のモニタリングなどを中心とする20年超に亘る中央銀行での執務経験と、国内外の当局や金融機関、研究機関、金融メディアに構築した人脈を活かして、中央銀行の政策対応(”central banking”)に関する議論に貢献。そのための場として「金融市場パネル」を運営し、議論の成果を内外の有識者と幅広く共有するほか、各種のメディアを通じた情報と意見の発信を行っている。2012年には、姉妹パネルとして「バンキングパネル」と「日中金融円卓会合」も立ち上げ、日本の経験を踏まえた商業銀行機能のあり方や中国への教訓といった領域へとカバレッジを広げている。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。