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はじめに

日銀の内田副総裁は、3月5日に行った講演で、金融政策の多角的レビューを念頭に大規模緩和の効果と副作用を議論した。このうち、財政との関係に関する二つのテーマー「財政ファイナンス」と「財政モラルハザード」-は今後の政策運営にも影響を及ぼしうる内容が含まれているだけに、本稿で内容を検討したい。

財政ファイナンス

「財政ファイナンス」は、定義が論者によって異なるという問題が存在する。内田副総裁は、中央銀行の視点から、「財政状況への配慮によって本来必要な政策を曲げることはない」ことが、「財政ファイナンスではない」ことを指すと説明している。

こうした考え方は金融市場でも広く支持されているが、定義を拡張して、「財政ファイナンス」は「中央銀行の政策が財政資金の調達を円滑化したかどうか」であると捉え直せば、量的・質的金融緩和も「財政ファイナンス」に寄与したと理解することもできる。

例えば、民間投資家による国債保有額は、量的・質的金融緩和の前半には大きく減少し、後半には総じて横ばいとなった。前者は長期金利が低下した中で民間投資家が保有国債の益出しを行ったとみられる一方、後者は新たに発行される国債の利回りが民間投資家にとってリスクとリターンの観点で魅力的でなかったことを示唆しているとみられる。

その意味で、もちろん間接的ではあるが、日銀による国債買入れが利回りの問題を含めてこの間の国債の円滑な消化を支えたことは否定できず、広義の「財政ファイナンス」であったともいえる。

その上で筆者は、広義の「財政ファイナンス」であっても、一定の条件の下では合理性を持ちうると考える。

第一の条件は、内田副総裁も言及しているポリシーミックスが要求される局面である。特に危機的な局面において、財政政策と金融政策が逆方向の運営を行うことは現実的とは言えない。また、そうした局面では、企業や家計の支出が極めて慎重になるため、政府が国債発行を通じてマクロの貯蓄を吸収し、消費や投資の形で再配分することには意味がある。

第二の条件は、金融市場を通じた政策の波及効果が大きい局面である。例えば、日銀が多角的レビューで示したように量的・質的金融政策の波及の6割弱が株価や為替レートを通じるものであったとすれば、中央銀行と政府の協調を金融市場に対してアピールすることの意味は小さくない。この点は、政府の為替政策と中央銀行の金融政策が同じ方向である場合に効果を発揮しやすい点と似ている。

第三の条件は、内田副総裁が述べているように、「財政状況への配慮によって本来必要な政策を曲げることはない」ことが結果的に貫徹されることである。

このように結果責任にまで言及したことは、量的・質的金融緩和の実施当時、政策の意図に焦点を当てる議論が多かったことに比べると、やや踏み込んだ内容になっている。一般論として言えば、中央銀行がこの問題に関してそこまで責任を負うべきかどうかには様々な考え方がありうる。

しかし、次節で取り上げる「財政のモラルハザード」を巡る現在の情勢の下で、金融政策の正常化を円滑に進める上では、内田副総裁が「「出口プロセス」まで含めて、中央銀行が必要な政策を実施することが必要」と強調することにはもっともな面がある。

財政モラルハザード

内田副総裁が「財政モラルハザード」と表現した内容は、金融市場では「財政規律の弛緩」として議論されてきたテーマである。

「財政規律の弛緩」は、「財政ファイナンス」よりもさらに定義が難しい面がある。その大きな理由は、「弛緩」を示す客観的な指標についてコンセンサスが存在しない一方、結果としてのリスクは金融市場や企業、家計の主観的判断-つまり財政への信認の喪失-を契機に顕在化するからである。

しかも、こうした信認の喪失は、財政運営とは直接的な関係を有していないショック-大規模な自然災害や国際金融危機、政局の極端な不安定化など-によって、突然に生じる可能性が高いだけに対応の面で厄介な点がある。

これらの点を踏まえると、中央銀行からみれば、「財政規律の弛緩」は「財政ファイナンス」よりも遠い距離にあり、その意味で内田副総裁が指摘するように、「財政規律の維持」は第一義的には政府の責務であると言える。

もっとも、「財政ファイナンス」と「財政規律の弛緩」が相互に関連している点に着目すれば、別な側面も浮かび上がる。

「財政規律の弛緩」には多様な原因があるとしても、その一つが財政資金を容易に調達しうる金融環境の常態化だとすれば、広義の「財政ファイナンス」は「財政規律の弛緩」の必要条件の一つとなりうる。逆に、広義の「財政ファイナンス」が続いていれば、「財政規律の弛緩」に対する歯止めはその分弱まるはずである。

このように、中央銀行も条件が揃えば「財政規律の弛緩」に対して間接的に関係を有するとした場合、重要なことは、金融経済状況の如何で広義の「財政ファイナンス」を活用すべき局面がありうる点を踏まえた上で、「財政規律の弛緩」との悪循環をどのように断ち切るかという点であるとみられる。

残念ながら、この点を巡る現在の環境は相応に厳しい。なぜなら、量的・質的金融緩和による広義の「財政ファイナンス」が国債の円滑な消化を実現したという「成功体験」がなお記憶に新しく、かつ長期にわたって効果を発揮したからである。

現在から将来に向かって中央銀行が取りうる対応は、内田副総裁が強調したように「「出口プロセス」まで含めて、中央銀行が必要な政策を実施する」ことに尽きるように思われる。加えて、「中央銀行が必要な政策を実施している」ことについて、金融市場や世論から適切な理解を得るように努力することも有用となる。

政策運営の技術面では、「量的引締め」の運営において国債市場の機能回復を優先し、金融市場が「財政規律の弛緩」に対して早期警戒信号をきちんと発信できるようにすることも重要である。その際には、例えば、最も流動性の高い年限の国債利回りが円滑に形成されるよう促す方向での運営が考えられる。

プロフィール

  • 井上 哲也のポートレート

    井上 哲也

    金融デジタルビジネスリサーチ部

    シニアチーフリサーチャー

    

    内外金融市場の調査やこれに関わる政策の企画、邦銀国際部門のモニタリングなどを中心とする20年超に亘る中央銀行での執務経験と、国内外の当局や金融機関、研究機関、金融メディアに構築した人脈を活かして、中央銀行の政策対応(”central banking”)に関する議論に貢献。そのための場として「金融市場パネル」を運営し、議論の成果を内外の有識者と幅広く共有するほか、各種のメディアを通じた情報と意見の発信を行っている。2012年には、姉妹パネルとして「バンキングパネル」と「日中金融円卓会合」も立ち上げ、日本の経験を踏まえた商業銀行機能のあり方や中国への教訓といった領域へとカバレッジを広げている。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。