はじめに
欧州中央銀行(ECB)による今年のSintra会合(いわばジャクソンホール会合のECB版)の冒頭講演で、ラガルド総裁は、当日(現地6月30日)に結果を公表した金融政策戦略の評価を取り上げた。
昨晩に配信した「金融市場ノート」で今回の評価の概要はカバーしたが、ラガルド総裁の講演は位置づけや主要な結論をより丁寧に説明するものであったため、改めて内容を検討したい。
昨晩に配信した「金融市場ノート」で今回の評価の概要はカバーしたが、ラガルド総裁の講演は位置づけや主要な結論をより丁寧に説明するものであったため、改めて内容を検討したい。
今回の評価の問題意識
ラガルド総裁は、前回のレビューは低インフレの長期化という過去の経験に囚われすぎた点を反省しつつ、その後に、コロナ禍後の経済構造のシフト、ロシアのウクライナ侵攻、地政学リスクによる国際貿易の変化、労働市場の構造変化といった予期せざる状況に直面したと説明した。
もっとも、ラガルド総裁は、こうした状況でも、対称的なインフレ目標の運営がインフレ期待の安定に寄与したほか、中期的な政策運営がショックに対する柔軟性を生んだとして、前回(2020~21年)の戦略的レビューの2本柱は有効であったと評価した。
また、これらを変更する必要がないという意味で、今回はレビューではなく評価と称していると説明した上で、今回の評価では、①新たな経済環境、②リスク分布の評価、③政策反応関数の調整の3点が焦点であったと説明した。
もっとも、ラガルド総裁は、こうした状況でも、対称的なインフレ目標の運営がインフレ期待の安定に寄与したほか、中期的な政策運営がショックに対する柔軟性を生んだとして、前回(2020~21年)の戦略的レビューの2本柱は有効であったと評価した。
また、これらを変更する必要がないという意味で、今回はレビューではなく評価と称していると説明した上で、今回の評価では、①新たな経済環境、②リスク分布の評価、③政策反応関数の調整の3点が焦点であったと説明した。
新たな経済環境
ラガルド総裁は、新たな経済環境の特徴が不透明性にあり、結果としてインフレがより不安定になることが、今回の評価の第一の結論であるとした。
具体的内容として、第一に、供給ショックの頻度が上昇している点を挙げ、ショックによるインフレへの影響が過去20年に比べて相当に強まったとした。第二に、供給ショックに対して企業が将来の損失を抑制するため、頻繁に価格を調整するようになったとした。第三に、インフレに関する上下双方の非直線性が生じうるとした。
第三の点はレーン理事が先の記者会見で取り上げたが、ラガルド総裁はより詳細な説明を行った。
まず、金利がELBに接近するような継続的な低インフレ下では、インフレ期待の低下が自己実現的な低インフレの罠を招きうるとした。一方、高インフレの下では、企業がより迅速に上方ショックに対応するだけでなく、賃金の調整に時間を要する結果、インフレの高止まりが長期化し、インフレ期待の上方乖離が生じうるとした。
ただし、賃金の調整が過去の生活費上昇の補填に止まるとすれば、それがインフレ期待の上昇を招くかどうかには不透明な面も残る。ECBにとっては、供給ショックによる価格上昇が続くと、企業も家計もインフレ率を適切に認識することが困難になることがより大きな問題であると思われる。
具体的内容として、第一に、供給ショックの頻度が上昇している点を挙げ、ショックによるインフレへの影響が過去20年に比べて相当に強まったとした。第二に、供給ショックに対して企業が将来の損失を抑制するため、頻繁に価格を調整するようになったとした。第三に、インフレに関する上下双方の非直線性が生じうるとした。
第三の点はレーン理事が先の記者会見で取り上げたが、ラガルド総裁はより詳細な説明を行った。
まず、金利がELBに接近するような継続的な低インフレ下では、インフレ期待の低下が自己実現的な低インフレの罠を招きうるとした。一方、高インフレの下では、企業がより迅速に上方ショックに対応するだけでなく、賃金の調整に時間を要する結果、インフレの高止まりが長期化し、インフレ期待の上方乖離が生じうるとした。
ただし、賃金の調整が過去の生活費上昇の補填に止まるとすれば、それがインフレ期待の上昇を招くかどうかには不透明な面も残る。ECBにとっては、供給ショックによる価格上昇が続くと、企業も家計もインフレ率を適切に認識することが困難になることがより大きな問題であると思われる。
リスク分布の評価
ラガルド総裁は、経済環境が不安定化する下で、どのようにして経済の評価を頑健なものとするかが課題であると指摘した。その上で、大きなショックはフィードバック効果や非直線的な影響を含め、より幅広い結果を招きうる点を考慮すると、ベースラインの見通しに加えてリスクシナリオを考慮することがより必要とした。
この点を踏まえてラガルド総裁は、金融政策の運営では、システマティックだがケースに応じたアプローチを通じてリスクと不透明性を考慮すべきというのが、今回の評価の第二の結論であると説明した。
ラガルド総裁は、先の記者会見と同じく、ECBは長年にわたってシナリオ分析や感応度分析を行ってきたと説明し、例えばロシアによるウクライナ侵攻に伴うエネルギー価格への影響に関して、2022年春時点のシナリオ分析が7%を超えるインフレを予想していたことを指摘した。
もっとも、シナリオ分析を公表していれば政策運営とこれに関するコミュニケーションを円滑にできたかもしれない事例として、コロナワクチンの接種スピードや経済活動の再開後の財とサービスの部門間での需給の変化に関する分析を取り上げた。
こうした議論はコミュニケーション政策にむしろ大きく関わる。また、ECBがリスクに対する保険的な観点での政策運営を行うことは適切であるとしても、理事会メンバーが各々のリスクについてどのようなウエイトを置いているか、その分布はどのようなものかを企業や家計、金融市場と共有することも課題である。
この点を踏まえてラガルド総裁は、金融政策の運営では、システマティックだがケースに応じたアプローチを通じてリスクと不透明性を考慮すべきというのが、今回の評価の第二の結論であると説明した。
ラガルド総裁は、先の記者会見と同じく、ECBは長年にわたってシナリオ分析や感応度分析を行ってきたと説明し、例えばロシアによるウクライナ侵攻に伴うエネルギー価格への影響に関して、2022年春時点のシナリオ分析が7%を超えるインフレを予想していたことを指摘した。
もっとも、シナリオ分析を公表していれば政策運営とこれに関するコミュニケーションを円滑にできたかもしれない事例として、コロナワクチンの接種スピードや経済活動の再開後の財とサービスの部門間での需給の変化に関する分析を取り上げた。
こうした議論はコミュニケーション政策にむしろ大きく関わる。また、ECBがリスクに対する保険的な観点での政策運営を行うことは適切であるとしても、理事会メンバーが各々のリスクについてどのようなウエイトを置いているか、その分布はどのようなものかを企業や家計、金融市場と共有することも課題である。
政策反応関数の調整
ラガルド総裁は、前回のレビューでは政策金利がELBに接近した下で強力ないし持続的な政策対応が必要とした点を確認した。その上で、近年の高インフレにおける非直線性を踏まえて、政策対応の強力さと持続性の双方の面で、上下に対称な政策反応関数が必要というのが、今回の評価の第三の結論であるとした。
ラガルド総裁は、政策金利がELBに接近するリスクがある状況では、早期に強力な対応を講ずることが、ELBに直面する時間を短くする一方、企業による高頻度の値上げと賃金上昇の時間的ラグがフィードバックのリスクを生ずる場合は、最初から強力な対応を講ずることがインフレ期待の安定のカギとなるとした。
一方で前回のレビューでは政策金利がELBに接近した場合には、副作用の抑制の観点で、政策の持続性が強力さを代替しうるとの理解を得た点も確認した。その上で、金融引締めの際には強力な利上げとその後の迅速な利下げが一般的であり、そのコストや副作用も増加したとの理解を示した。
ラガルド総裁は、政策運営において強力さから持続性に焦点を移すことが最適である可能性を指摘し、計量分析も持続性の方が経済や金融安定のコストが小さいとの結果を示しているとした。そして、ECBの政策反応関数は「インフレ率の目標からの上下双方の大きくかつ持続的な乖離に対し、適切に強力ないし持続的な政策を講じる」と表現できると説明した。
こうした議論は、当面の意味合いとしては政策金利の現状維持の可能性が考えられるが、より興味深いのは、UMPが必要になった際に量的緩和よりフォワードガイダンスが選好される可能性である。この点は先の記者会見でレーン理事が慎重な見方を示したが、量的緩和のハードルは上がったかという記者の質問は相応に的確だったようにも感じられる。
ラガルド総裁は、政策金利がELBに接近するリスクがある状況では、早期に強力な対応を講ずることが、ELBに直面する時間を短くする一方、企業による高頻度の値上げと賃金上昇の時間的ラグがフィードバックのリスクを生ずる場合は、最初から強力な対応を講ずることがインフレ期待の安定のカギとなるとした。
一方で前回のレビューでは政策金利がELBに接近した場合には、副作用の抑制の観点で、政策の持続性が強力さを代替しうるとの理解を得た点も確認した。その上で、金融引締めの際には強力な利上げとその後の迅速な利下げが一般的であり、そのコストや副作用も増加したとの理解を示した。
ラガルド総裁は、政策運営において強力さから持続性に焦点を移すことが最適である可能性を指摘し、計量分析も持続性の方が経済や金融安定のコストが小さいとの結果を示しているとした。そして、ECBの政策反応関数は「インフレ率の目標からの上下双方の大きくかつ持続的な乖離に対し、適切に強力ないし持続的な政策を講じる」と表現できると説明した。
こうした議論は、当面の意味合いとしては政策金利の現状維持の可能性が考えられるが、より興味深いのは、UMPが必要になった際に量的緩和よりフォワードガイダンスが選好される可能性である。この点は先の記者会見でレーン理事が慎重な見方を示したが、量的緩和のハードルは上がったかという記者の質問は相応に的確だったようにも感じられる。
プロフィール
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井上 哲也のポートレート 井上 哲也
金融イノベーション研究部
内外金融市場の調査やこれに関わる政策の企画、邦銀国際部門のモニタリングなどを中心とする20年超に亘る中央銀行での執務経験と、国内外の当局や金融機関、研究機関、金融メディアに構築した人脈を活かして、中央銀行の政策対応(”central banking”)に関する議論に貢献。そのための場として「金融市場パネル」を運営し、議論の成果を内外の有識者と幅広く共有するほか、各種のメディアを通じた情報と意見の発信を行っている。2012年には、姉妹パネルとして「バンキングパネル」と「日中金融円卓会合」も立ち上げ、日本の経験を踏まえた商業銀行機能のあり方や中国への教訓といった領域へとカバレッジを広げている。
※組織名、職名は現在と異なる場合があります。