はじめに
FRBの金融政策に関しては、トランプ大統領が早期の利下げを主張して批判を繰り返してきたが、先週末に生じた新たな2つの事態は、政策環境の複雑化がもたらすリスクを示唆している。
雇用統計を巡る問題
労働統計局(BLS)が8月1日に公表した7月の雇用統計は、同月の非農業部門雇用者数の増加が7.3万人と、市場予想を下回ったことを示した。
しかし、より重要なのは、5月と6月のデータが大幅に下方修正され(各々12.5万人と13.3万人もの下方修正)、結果として各月の雇用者数の増加がわずか1.9万人と1.4万人になった点である。さらに、7月の雇用者数の増加の殆どが、ヘルスケアと社会支援という景気循環との相関の低い業種の寄与による点も、マクロ的な雇用の急減速という印象を与えた。
こうした顕著な下方修正が生じた主因について、米国内では公立学校の就業者が過大評価であったとの指摘がみられる(なお、 BLSによる年次改訂の影響は次回から反映する)。また、米国市場では、雇用者数等の推計に使用する事業者統計と失業率等の推計に使用する家計統計の非整合性の高まりが指摘されていただけに、両者の既往の乖離の修正という意味合いもある。
それでも、先日のFOMC後のパウエル議長の記者会見で複数の記者が指摘したように、トランプ政権の行政改革に伴う人員の削減によって、BLSの公表する統計の質的低下に関する懸念は強まっていた。
もちろん、BLSの人員削減と今回の事態との直接的な関係は現時点で不明だが、いずれにしても、トランプ大統領が今回の事態を受けてBLS局長の更迭に踏み切った点も含めて、一連の動きによってFRBも金融市場もBLSの統計に対する信認が揺らぐことが懸念される。
この点は、BLSがCPIを含む物価統計も作成している点で、より深刻な問題だ。いくらFRBがPCEをより重視するといっても、解像度や速報性、わかりやすさの点でCPIも重要であるし、実際にFRBも様々な形で言及している。
物価と雇用というFRBの2つの政策目標を測る基本的指標の双方ともに信認を置けないようであれば、FRBは適切な政策判断が困難になるだけでなく、その適切さについて、家計や企業、金融市場と理解を共有することも困難になる。
しかし、より重要なのは、5月と6月のデータが大幅に下方修正され(各々12.5万人と13.3万人もの下方修正)、結果として各月の雇用者数の増加がわずか1.9万人と1.4万人になった点である。さらに、7月の雇用者数の増加の殆どが、ヘルスケアと社会支援という景気循環との相関の低い業種の寄与による点も、マクロ的な雇用の急減速という印象を与えた。
こうした顕著な下方修正が生じた主因について、米国内では公立学校の就業者が過大評価であったとの指摘がみられる(なお、 BLSによる年次改訂の影響は次回から反映する)。また、米国市場では、雇用者数等の推計に使用する事業者統計と失業率等の推計に使用する家計統計の非整合性の高まりが指摘されていただけに、両者の既往の乖離の修正という意味合いもある。
それでも、先日のFOMC後のパウエル議長の記者会見で複数の記者が指摘したように、トランプ政権の行政改革に伴う人員の削減によって、BLSの公表する統計の質的低下に関する懸念は強まっていた。
もちろん、BLSの人員削減と今回の事態との直接的な関係は現時点で不明だが、いずれにしても、トランプ大統領が今回の事態を受けてBLS局長の更迭に踏み切った点も含めて、一連の動きによってFRBも金融市場もBLSの統計に対する信認が揺らぐことが懸念される。
この点は、BLSがCPIを含む物価統計も作成している点で、より深刻な問題だ。いくらFRBがPCEをより重視するといっても、解像度や速報性、わかりやすさの点でCPIも重要であるし、実際にFRBも様々な形で言及している。
物価と雇用というFRBの2つの政策目標を測る基本的指標の双方ともに信認を置けないようであれば、FRBは適切な政策判断が困難になるだけでなく、その適切さについて、家計や企業、金融市場と理解を共有することも困難になる。
FOMCメンバーの動向
同じく8月1日に生じたことは、FRBのクーグラー理事による退任表明である。FRBの公表文によれば、8月8日に退任し、ジョージタウン大学の教授に復職するとのことだ。実際、先日のFOMCに欠席した上に投票も投じなかったことは、こうした事情を考慮したものであった可能性がある。
米国では、クーグラー理事が元の教職に復帰する意向を表明している点で、今回の退任は個人的な事情によるとの見方が強い。また、クーグラー理事の退任に伴う理事の交代は通常の手続きであり、共和党も民主党も過去には意中の人物を理事に任命してきた訳であって、それ自体を取り立てて問題にすべきではない。
それでも、第1期政権の際と違って理事に欠員がなかっただけに、欠員補充を通じて人事権を行使できなかったトランプ政権にはチャンスが到来したことになる。また、クーグラー理事が2023年9月にバイデン政権によって任命された点も、異なる指向の人材の登用をアピールする余地を生むことになる。
それよりも気になるのは、同じ8月1日に、ボウマン副総裁とウォラー理事が、先日のFOMCで反対票を投じ、利下げを主張した点について、その背景や合理性を各々表明したことである。しかも、それをFRBのホームページに掲載した2つの「声明文」として正式に公表するという、少なくとも私には前例が思い浮かばない事態になったことが印象的であった。
これらの両名は、メディアのインタビューや今後の講演等の機会といった通常の手段を通じて意見を表明することが可能である。それでも、こうした異例の手段を敢えて行使したことは、少なくとも、①利下げには合理性があること、②両名が利下げを主張していること、の双方を強くを印象付ける効果を持つ。
パウエル議長が先日の記者会見で説明したように、物価と雇用のリスクバランスや中立金利の評価に関してFOMCメンバーの間で意見の違いがあることは健全だ。また、今回の雇用統計が示したように労働市場が急減速しているのであれば、利下げは必要であり、両名の主張が結果的に正しかったことになる。
しかし、トランプ政権がパウエル議長の更迭には法的ないし経済的なリスクが大きいことを踏まえて、次期議長の選任を早期に開始することを表明し、「FRBの内外」に有力な候補者がいる点を示唆している下では、金融市場が、両名が議長指名を目指した行動に注力していると受け止める可能性は小さくない。
この点に関しては、クーグラー理事の後任として任命される理事にも、同様な行動を示す可能性がある点で、金融市場としては無視しえない事態となりうる。例えば、政策運営を巡る議論の重心がどう推移しているかが把握しにくくなるとか、利下げを巡る意見の違いがファンダメンタルズに対する評価の違いだけによるのかどうか判然としなくなるといった問題が生じうる。
これらの問題は、FRBによる政策変更に伴う効果の波及にとって、決して望ましいことではない。
米国では、クーグラー理事が元の教職に復帰する意向を表明している点で、今回の退任は個人的な事情によるとの見方が強い。また、クーグラー理事の退任に伴う理事の交代は通常の手続きであり、共和党も民主党も過去には意中の人物を理事に任命してきた訳であって、それ自体を取り立てて問題にすべきではない。
それでも、第1期政権の際と違って理事に欠員がなかっただけに、欠員補充を通じて人事権を行使できなかったトランプ政権にはチャンスが到来したことになる。また、クーグラー理事が2023年9月にバイデン政権によって任命された点も、異なる指向の人材の登用をアピールする余地を生むことになる。
それよりも気になるのは、同じ8月1日に、ボウマン副総裁とウォラー理事が、先日のFOMCで反対票を投じ、利下げを主張した点について、その背景や合理性を各々表明したことである。しかも、それをFRBのホームページに掲載した2つの「声明文」として正式に公表するという、少なくとも私には前例が思い浮かばない事態になったことが印象的であった。
これらの両名は、メディアのインタビューや今後の講演等の機会といった通常の手段を通じて意見を表明することが可能である。それでも、こうした異例の手段を敢えて行使したことは、少なくとも、①利下げには合理性があること、②両名が利下げを主張していること、の双方を強くを印象付ける効果を持つ。
パウエル議長が先日の記者会見で説明したように、物価と雇用のリスクバランスや中立金利の評価に関してFOMCメンバーの間で意見の違いがあることは健全だ。また、今回の雇用統計が示したように労働市場が急減速しているのであれば、利下げは必要であり、両名の主張が結果的に正しかったことになる。
しかし、トランプ政権がパウエル議長の更迭には法的ないし経済的なリスクが大きいことを踏まえて、次期議長の選任を早期に開始することを表明し、「FRBの内外」に有力な候補者がいる点を示唆している下では、金融市場が、両名が議長指名を目指した行動に注力していると受け止める可能性は小さくない。
この点に関しては、クーグラー理事の後任として任命される理事にも、同様な行動を示す可能性がある点で、金融市場としては無視しえない事態となりうる。例えば、政策運営を巡る議論の重心がどう推移しているかが把握しにくくなるとか、利下げを巡る意見の違いがファンダメンタルズに対する評価の違いだけによるのかどうか判然としなくなるといった問題が生じうる。
これらの問題は、FRBによる政策変更に伴う効果の波及にとって、決して望ましいことではない。
当面の展望
次回(9月)のFOMCが利下げに踏み切っても、ボウマン副議長とウォラー理事はより迅速な利下げを求め続けるであろうし、クーグラー理事の後任者も加わる結果、FOMCの政策決定に3票の反対が示される状況が常態化することが考えられる。
こうした状況でも、パウエル議長は多数決で自らの意向を政策運営に反映させることは可能であるし、金融市場も次第に慣れてことは考えられるが、上記のようにFRBと金融市場との対話は一層困難となりうる。
さらに、金融市場がFRBは「ハト派」バイアスを有すると理解すれば、中短期金利には下方圧力が生じても、長期から超長期の金利にはインフレのリスクプレミアムによる上方圧力が生じ、イールドカーブのスティープ化を招く。これは、国債費の増額を通じて財政収支を一層悪化させる効果も持つ。金融市場のこうした反応が、事態の一層の悪化を防ぐ手がかりとなりうる。
こうした状況でも、パウエル議長は多数決で自らの意向を政策運営に反映させることは可能であるし、金融市場も次第に慣れてことは考えられるが、上記のようにFRBと金融市場との対話は一層困難となりうる。
さらに、金融市場がFRBは「ハト派」バイアスを有すると理解すれば、中短期金利には下方圧力が生じても、長期から超長期の金利にはインフレのリスクプレミアムによる上方圧力が生じ、イールドカーブのスティープ化を招く。これは、国債費の増額を通じて財政収支を一層悪化させる効果も持つ。金融市場のこうした反応が、事態の一層の悪化を防ぐ手がかりとなりうる。
プロフィール
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井上 哲也のポートレート 井上 哲也
金融イノベーション研究部
内外金融市場の調査やこれに関わる政策の企画、邦銀国際部門のモニタリングなどを中心とする20年超に亘る中央銀行での執務経験と、国内外の当局や金融機関、研究機関、金融メディアに構築した人脈を活かして、中央銀行の政策対応(”central banking”)に関する議論に貢献。そのための場として「金融市場パネル」を運営し、議論の成果を内外の有識者と幅広く共有するほか、各種のメディアを通じた情報と意見の発信を行っている。2012年には、姉妹パネルとして「バンキングパネル」と「日中金融円卓会合」も立ち上げ、日本の経験を踏まえた商業銀行機能のあり方や中国への教訓といった領域へとカバレッジを広げている。
※組織名、職名は現在と異なる場合があります。