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はじめに

今回のパウエル議長の講演は、前半では雇用の下方リスクを指摘して、今後の利下げを示唆した。後半では金融政策のレビュー結果を説明し、過去5年間の経済動向を踏まえて、平均インフレ目標や最大雇用に対する非対称的な対応を停止することを説明した。

経済情勢と今後の見通し

パウエル議長は、前年に比べて、インフレ率が目標に大きく近づき、上方リスクが減退した一方、失業率は景気後退以外では異例に1%程度上昇したことで、FRBとしては政策金利の調整を通じて最大雇用の維持に主眼を置く段階にあったと説明した。

本年には、高関税が世界貿易に影響し、移民政策の厳格化が労働力の伸びの急速な減速を招いている点を確認した。長い目でみると、税制や歳出、規制政策も経済成長や生産性に影響するが、全ての内容と影響には高い不透明性があると指摘した。

さらに、関税と移民の政策は需給両面に作用し、循環的な動きと構造的な動きの識別を困難化していると説明し、代表例として労働市場を挙げた。

つまり、直近3ヶ月の平均雇用者増が3.5万人に減速したが、大規模なslackの兆候ではないとし、理由として、失業率や離職者、解雇、未充足求人、賃金上昇などの安定を挙げた。同時に、移民の減少で労働力の伸びが顕著に減速し、労働参加率も軟化したことで、失業率の安定に必要な新規雇用数が低下したとした。

パウエル議長は、需給両方の減速により労働市場が奇妙な均衡にあるとした上で、雇用の下方リスクが上昇しており、それが顕在化すれば解雇の急増や失業率の上昇を招くとの警戒感を示した。

物価についてパウエル議長は、関税引上げの影響が一部の財価格に現れつつあると指摘し、今後もそうした効果は生じるが、タイミングと程度には高い不透明性が残るとした。また、影響が1回限りに止まるのが基本シナリオだが、「一気に(all at one)」に生じるという意味でなく、サプライチェーンを通じた波及や関税率自体の変化によって調整期間が長引く可能性があるとの見方を示した。

一方で、より持続的な影響をもつ可能性もあるとして、労働者の賃上げ要求が賃金と物価の悪循環を招くケースを挙げたが、パウエル議長はその可能性は低いと評価した。もう一つのケースとして、長期のインフレ期待が上昇する可能性も挙げたが、実際の長期インフレ期待は2%目標と整合的であり、FRBがその安定に努める姿勢を確認した。

これらを踏まえて、パウエル議長は、物価の上方リスクと雇用の下方リスクという困難な局面にあるが、政策金利は前年に比べて100bp分中立水準に近づき、失業率が安定する下で政策スタンスの変更を慎重に考えることが可能と述べた。一方で、政策金利が依然として引締め水準にあり、見通しやリスクバランスも変っていることは、政策金利の変更を正当化しうるとの見方を示した。

金融政策のレビューの意義

パウエル議長は、金融政策の基本方針(Statement on Longer-Run Goals and Monetary Policy Strategy)は、デュアルマンデートをどのように達成するかを示すものであり、金融政策の透明性と説明責任、効果的な政策の波及にとって重要との考えを確認した。

その上で、前回のレビューは、低成長と低インフレの下で政策金利がELBの近傍にあったという環境に影響されたと説明した。このため、緩やかな景気後退でも、政策金利は直ちにELBに直面し、高い実質金利が景気と物価を下押しし、低インフレとインフレ期待の低下の悪循環を招いた可能性を指摘した。また、こうした環境は緩やかに変化する世界的な要因に影響され、コロナが生じなければ存続したとの見方も示した。

パウエル議長は、前回のレビューではELBのリスクを抑制するために平均インフレ目標(flexible average inflation targeting)を採用したと説明した。また、コロナ後に高インフレになった際にも、急速な金融引締めがなくても迅速にインフレが減速するとの見方が誤りである点が判明した後には、FRBによる急速な利上げと供給制約の緩和によって、失業の上昇を伴わずにインフレ率が目標へ収斂してきたと評価した。

今回のレビューのポイント

パウエル議長は、今回のレビューでは、物価情勢が大きなショックで変化しうること、政策金利は以前よりはるかに高いが、生産性や人口動態、財政政策などを考慮すると中立金利も上昇したとみられること、ELBのリスクや特定の経済指標の重視がコミュニケーションの混乱を招いたことを考慮したと説明した。

その上で、第1のポイントとして、ELBのリスクへの対応を重視する姿勢を改め、幅広い経済状況の下でデュアルマンデートを追求する姿勢を明記したことを説明した。

第2のポイントとしては、意図的ないし緩やかなインフレ目標のovershootは不適切との判断から、平均インフレ目標を停止し、もとのインフレ目標に回帰した点を挙げた。また、インフレ目標の安定は、ショックに対する物価の上下双方への不安定化を抑制し、物価安定を犠牲にすることなく最大雇用を達成する上で重要との考えを示した。

第3のポイントとしては、最大雇用からの「不足(shortfall)」ではなく「乖離(deviation)」に対応するよう変更した点を挙げた。パウエル議長は、前者の表現が、GFC後に雇用の回復が高い水準で推移したのに、インフレ率が2%を下回り続けたことで、自然失業率をリアルタイムに推計することが困難になった点を反映したものと説明した。

また、FRBには労働市場のタイトさを無視する意図はなかったが、コミュニケーションに問題を生じたとし、「最大雇用は、物価安定の下で持続しうる最大の雇用水準」と定義したことを説明した。

最後の第4のポイントしては、物価と雇用の目標達成が補完的でない場合に、バランスの採れたアプローチを採用する点を挙げ、具体的には双方の目標からの乖離と双方の目標達成に要する時間的ラグを考慮する方針を確認した。

パウエル議長は、上記以外では、2%のインフレ目標の堅持や見通しとリスクバランスに基づくフォワードルッキングな政策運営などの枠組みを含めて、既往の方針を踏襲している点を説明した。また、概ね5年以内に次のレビューを行う考えを表明した。

プロフィール

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    井上 哲也

    金融イノベーション研究部

    

    内外金融市場の調査やこれに関わる政策の企画、邦銀国際部門のモニタリングなどを中心とする20年超に亘る中央銀行での執務経験と、国内外の当局や金融機関、研究機関、金融メディアに構築した人脈を活かして、中央銀行の政策対応(”central banking”)に関する議論に貢献。そのための場として「金融市場パネル」を運営し、議論の成果を内外の有識者と幅広く共有するほか、各種のメディアを通じた情報と意見の発信を行っている。2012年には、姉妹パネルとして「バンキングパネル」と「日中金融円卓会合」も立ち上げ、日本の経験を踏まえた商業銀行機能のあり方や中国への教訓といった領域へとカバレッジを広げている。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。