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はじめに

デジタルユーロの導入に対しては、PSPのコスト負担の軽減が大きな論点になっている。本コラムは、本テーマの最終稿として、欧州議会(欧州理事会とともに導入法案の決定者)からの照会に対するECBの回答(A view on recent assessments of digital euro investment costs for the euro banking sector)の内容をレビューする。

タイトルが示すように、本回答はコンサル企業や業界団体による推計手法や想定の妥当性を検討し、ECBによる修正を加味した結果を示している。ただし、監督データや域内国のインフラに関する独自調査が加味されている点で、推計結果自体だけでなく、それ以外にも興味深い意味合いを含んでいる。

分析の枠組み

ECBは本件回答は、①支払サービスにおけるシナジーとコスト分担の評価、②過去のプロジェクトにおけるそれらの成果の考慮、 ③外挿による包括的な投資コストの推計からなると説明し、 NCBs や ECBの銀行監督部門の知見、外部コンサル企業(Roland Berger)による調査も利用したことを説明した。

また、分析の焦点をシナジーとコスト分担に置くとし、特に銀行グルループ内(前稿でみたIPS等)では既にIT投資等において共同化が支配的な対応であると強調した。また、既存の推計はデジタルユーロの設計を踏まえた修正が必要であることや、本件推計はユーロ圏の銀行全体をカバーすることも付言した。

ECBは、デジタルユーロが利用者や店舗に価値をもたらす一方で、開発や運営のコストを最小化することにコミットする点を確認し、既存の標準やインフラの最大限の再利用を図る考えを示した。一方で、投資コストの精密で唯一の推計を行うのに必要な包括的で細分化されたデータの取得には機密保持等の観点で限界がある点も認めた。このためECBは、幅広い業態の銀行との個別面談等によっても情報を収集したとしている。

その上で、参照した資料として、European Credit Sector Agencies(ECSA:構成団体は注4<5ページ>)の委託によるPWCの推計(内容は後述)を挙げたほか、ECBが、銀行業界ないし各銀行が行った非公表の推計の作成者とも議論し、その成果を本回答の分析に活用したと説明した。

シナジーとコスト分担の分析手法

ECBは、デジタルユーロの導入後も、銀行はチャネルや口座管理、コンプライアンスや事務の面で、共通のソリューションを活用するとの見方を示し、ERPBにおいてECBとステークホルダーが合意した「digital euro as a service」にも整合的であると説明した。

その上で、シナジーやコスト分担を銀行グループ内と市場全体に分けて分析するとし、前者ではIPSの参加銀行を代理変数として扱うとしたほか、後者は大手IT企業ないし支払サービスの提供者、あるいは複数銀行による共同事業者を活用することによる効果を推計するとした。一方で、銀行内のシナジー(AML/CFTに関する仕組みの再利用等による)は今回の分析では除外しており、その適切な反映は投資コストの一層の抑制に資すると期待した。

ECBは、銀行によるoutsourcingがカードとA2Aの双方で極めて一般的であると指摘し、前者については取引の処理や情報の伝達、カードの発行等の委託、後者については、銀行間での共同事業、情報伝達のインフラ、認証の確認といった領域で行われている点を確認した。

その上で、今回の分析は計量分析と業界の質的な知見を加味したものであると説明し、前者はECBの統計を含む公表データ、後者はRoland Bergerによる匿名インタビューによるとした(後者の概要は図表1<9ページ>)。

そこで、銀行グループ内のシナジーは、①各銀行が単独対応した場合のコスト(PWC推計<資産規模別>を個別行に適用)と、 ②共同対応した場合のコスト(PWC推計<同>を仮想的な共同銀行に適用)の差によって推計する方針を示した。

また、この手法は市場全体のシナジーとの二重計上を生じないと主張し、①PWCは少数のサンプルの平均値によって(資産規模ごとの)コストを推計、②ECBによる銀行グループのシナジーの推計は仮想的な共同銀行による投資コストの下限を示す、 ③PWCは市場全体のシナジーを考慮していない、といった点を挙げた。

一方、市場全体のシナジーは、①外部ベンダーの集中度、多国間ベンダーのプレゼンス、フルサービスを提供するベンダーの存在の各項目について、各国別に0~1の0.25刻みのスコアを付与し、②outsourcingの水準について、各国別に市場データから別途のスコアを作成、③さらに過去の銀行間での事業等の成功例も同様にスコア化し、それらの合計が上限50%になるように指標を作成した(=50%×合計スコア÷5)(図表2<11ページ>)。

ECBは、上限を50%と設定した理由について、銀行間での共同事業ではこの程度の共通化が一般的である(コアの台帳や顧客情報、資金繰り等は本体に残す)ことや、過去の共同事業でも対象業務に関して最大50%程度のコスト削減が多い点を考慮したとしている。

最後に、推計結果の評価に関して、①基本シナリオでは銀行グループ内のコスト削減率が90~98%、市場全体のコスト削減率が30%、②低いシナリオでは銀行グループ内のコスト削減率72~78%、市場全体のコスト削減率が25%、③高いシナリオでは基銀行グループ内のコスト削減率が90~98%、市場全体のコスト削減率が40%というクライテリアを設定した。

推計結果

ECBは、PWCによる(資産規模ごとの)コスト削減率を銀行グループに適用した場合、コスト削減率が平均で95%に達するとの推計を示し、業界の専門家によって適切さを確認されたと説明した。

一方で、市場全体は、上記の要素を反映して国別には相応にばらつきがあり、ユーロ圏平均は30%であるとした。さらに、域内国21か国が、30%以下の国々(6か国)、30%前後の国々(8か国<イタリアを除く4大国を含む>)、30%超の国々(7か国<イタリアを含む>)に分布しているとした(図表5<15ページ>)。

その上で、PWCによる銀行当りの平均的なコスト(4年間合計)に関する推計結果(後述)については、デジタルユーロの特性を反映して以下の点で修正が必要と主張した。

第一にカードの発行コストであり、PSPは既にカードの発行能力を自ら保有するかoutsourceしているので、PWCの推計から6百万ユーロの下方修正が適切とした。第二に決済端末の更新コストであり、PIN等を使用する旧端末は5年以内に消滅する、決済端末の更新サイクルは5~7年である、モバイル決済ではアプリ等の更新で対応可能であるといった点を挙げて、7百万ユーロの下方修正が適当とした。

第三にATMの更新コストであり、新型のATM(興味深いことに西欧では25%に対し、東欧では50%)が既にNFC/QRコードに対応している、大規模なATMの更新は不要である、ATMの約20%が外部ベンダーによって運営されているといった点を挙げて、5.1百万ユーロの下方修正が適切とした。

第四に、デジタルユーロではECB自身が配布のコストを賄うので、 2百万ユーロの削減も可能とした。

ECBは、これらを合計すると、PWCが銀行当りの平均的なコストとして示した124百万ユーロ(4年間)のうち20.1百万ユーロ分だけ下方修正されると主張した。

一方、銀行の資産規模別には、PWCは(9か国の19銀行がサンプル)、①総資産1兆ユーロ兆の銀行は182百万ユーロ、②同1000億ユーロ~1兆ユーロの銀行は106百万ユーロ、③同300億ユーロ~1000億ユーロの銀行は29百万ユーロ、④300億ユーロ未満の資産の銀行は9百万ユーロとの推計結果を示している。

これに対し、ECBは上記の4点による下方修正を加味した場合、 ①総資産1兆ユーロ超の銀行は152百万ユーロ、②同1000億ユーロ~1兆ユーロの銀行は89百万ユーロ、③同300億ユーロ~1000億ユーロの銀行は24百万ユーロ、④300億ユーロ未満の資産の銀行は8百万ユーロへと減少するとの推計を示した。

その上で、ECBは各階層の推計結果によって全体を外挿する上で、2025行(うち大手(SI)は115)を対象にするとともに、監督データを使ってIPSの参加銀行は共同でのITインフラを利用すると仮定した(例えば、オーストリアでは294行、ドイツでは694行を一つの共同銀行として扱う)。なお、サンプルにはリテールの支払サービスを行うCredit Institution(デジタルユーロの導入法案で取扱いの義務化が想定されている先)のみを含めた。

これらの前提を踏まえ、ECBは、先にみたシナジーとコスト分担に関する基本シナリオ(銀行グループ内のコスト削減率が90~98%、市場全体のコスト削減率が30%)を適用した場合、ユーロ圏全体での銀行のコスト負担は4年間で57.7億ユーロ、年平均で14.4億ユーロになるとの試算を示した。

これはPWCによるユーロ圏全体への外挿結果(PWCが認識する銀行数を乗じた一方、シナジーも若干考慮したとされているが詳細は非公表)である4年間で180億ユーロを大きく下回る。一方で、ECBは2023年に欧州委員会(PSD2による)が行った推計(4年間で上限53.9億ユーロ:サンプル数1125)と概ね一致すると説明した(図表8<21ページ>)。

さらに、コスト削減の高シナリオでは50.7億ユーロ、低シナリオでは84.9億ユーロに達するが、PWC以外の銀行業界等による推計(非公表だがECBが聴取したもの)は相対的にかなり低い(前者は61~65億ユーロ、後者は35~37億ユーロに各々分布)と指摘し、本分析の適切さを示唆した。

加えて、ECBは、本分析ではデジタルユーロの設計上の特性を映じたPSPのメリットを考慮していないと付言し、その主な要素として、①既存の支払手段と同様な報酬、②scheme feeと決済手数料の免除、③共通のacceptance標準の利用による新たなサービスの可能性を挙げた。

最後に、ECBは、本分析はシナジーやコスト分担といった主要な要素を加味した自己完結的な内容であるが、これらの要素が実現するための証拠に即した議論の出発点でもあるとした。このため、本分析はERPBにおける建設的で有用な議論のために提示し、今後も銀行業界との密接な議論を続けることの重要性を強調した。

(参考)市場全体のシナジーに関するスコア

市場全体のシナジーを算出する際のスコアは、各国の支払サービスの構造特性を反映して、相応のばらつきを示している。

外部ベンダーの集中度は、フィンランドが1、オランダ、ポルトガル、オーストリア、リトアニア、ラトビアが0.75と高スコアになった。ただし、重要な役割を担うのは各国内のベンダーか多国籍のベンダーかの二つに分かれる(補論A!の図表2<27ページ>)。

多国籍ベンダーのプレゼンスは、ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、フィンランド、オーストリア、ルクセンブルグが0.75と高スコアになった。ただし、ドイツやオランダのように欧州系のベンダーが中心のケースと、米国系のベンダーの役割が大きい国に分かれる(同図表3<29ページ~30ページ>)。

フルサービスを提供するベンダーの存在については、スコアは比較的低く、イタリアとフィンランドだけが0.75となった。イタリアではIPS以外の銀行にも共同事業が対応し、フィンランドでは大手ベンダーの連携が存在する(同図表4<31~32ページ>)。

outsourcingの水準もスコアは総じて低く、リトアニアとラトビアが0.75、ポルトガルが0.7で、4大国ではイタリアのみが0.6とやや高い。ドイツは0.4で、主としてカードの発行やacquiring、 ATM等に止まるほか、フランスは0.3で、主として中小銀行によるコンプライアンスや(他の発行者の)支払手段との連携等に限られる(同図表5<37~38ページ>)。

インプリケーション

デジタルユーロの導入に伴うコスト負担は、PSPによる最大の懸念事項であっただけに、ECBも慎重に検討を進めた上で、ようやくイメージを示した訳である。

分析手法は、PWCの枠組みにをベースに、デジタルユーロの特性と監督データによるカバレッジや解像度の強化を図ったものであり、PSPとの対話を進める上で論点を明確化するメリットが期待できる。また、ECBが挙げた3つの修正要因も概ね現実的と言える。

保有限度が3000ユーロの場合のコスト(4年間)が53.9億ユーロという推計結果は、チポローネ理事は欧州議会に提出した書簡(10月10日)によれば、大手銀行(SI)による年間のIT更新予算の3.4%に過ぎない。しかし、デジタルユーロの公共政策としての意義は、ECB自身のコスト(開発費13億ユーロ、運営費年間3.2億ユーロ)やインフラ側のコストも含めた上で判断されるべきである。

個人的には、上にカバーした域内国のインフラやベンダーの特性の違いが興味深かった。競争しつつ共存することは望ましいが、域内国間での情報の受渡や処理にコストを生じているようであれば、以前にみた共通のacceptance layerのようなものの有用性は存在する。

同時にユーロ圏の銀行数が急速に減少し、かつ銀行間の業務の共同化が進んでいる点も印象的だった。このため、ECBはAML/CFTも含むコスト分担の方向を確信しているのであろう。

プロフィール

  • 井上 哲也のポートレート

    井上 哲也

    金融イノベーション研究部

    

    内外金融市場の調査やこれに関わる政策の企画、邦銀国際部門のモニタリングなどを中心とする20年超に亘る中央銀行での執務経験と、国内外の当局や金融機関、研究機関、金融メディアに構築した人脈を活かして、中央銀行の政策対応(”central banking”)に関する議論に貢献。そのための場として「金融市場パネル」を運営し、議論の成果を内外の有識者と幅広く共有するほか、各種のメディアを通じた情報と意見の発信を行っている。2012年には、姉妹パネルとして「バンキングパネル」と「日中金融円卓会合」も立ち上げ、日本の経験を踏まえた商業銀行機能のあり方や中国への教訓といった領域へとカバレッジを広げている。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。