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はじめに

日本銀行は今回の金融政策決定会合(MPM)で政策金利の据え置きを決定した。本コラムでは、声明文と植田総裁の会見から、当面の焦点である4月会合での政策決定のポイントを検討する。

中東情勢の経済と物価への影響

今回の声明文は、中東情勢による現時点での影響として、国際金融資本市場の不安定化と原油価格の上昇を指摘している。このうち市場が安定を回復することは、2024年7月の経験を踏まえても、4月に政策変更を判断する上で重要な前提になる。

その上で、原油価格の上昇は、植田総裁が再三強調したように、日本のようなエネルギー輸入国にとって、交易条件の悪化を通じた経済の下押しと、国内物価の上振れの双方をもたらしうる。これらの相対的な重要さは、第一義的には原油価格の上昇の程度や持続性に依存する。

ただし、政府が家計や企業に追加的な支援を講じれば、経済の下押しは相応に抑制しうる一方、高値でのエネルギー需要を下支えする結果、物価への波及をむしろ強める可能性もある。加えて、国内物価への影響は、植田総裁が説明したようにインフレ期待ないし企業の価格設定行動にも影響を受けるが、これらの要素が中東情勢の不安定化以前から上向きの動きを示していたことも事実である。

これに対し、これまで物価上昇圧力の源泉とされてきた円相場は、 FRBが利上げ姿勢を後退させ、日銀が政策金利の現状維持を決定しても、反応は抑制的である。しかしこれは、原油高上昇による経常収支の悪化の方が重要な円安要因と意識されるようになったことを反映している可能性があり、今や円安もエネルギー価格の高騰と連動しかねない状況になったと言える。

これらの点を踏まえると、植田総裁が「復習している」と説明した過去2回のオイルショックにははるかに及ばないとしても、2022年のコロナ禍後に比べれば、インフレの「火種」が国内にも相応に存在していると考えることができる。

経済活動の基調

植田総裁は、少なくとも現時点では緩やかな景気回復という基本シナリオが維持されているとの見方を示した。その上で当然ながら、シナリオの実現確度はやや低下しており、次回(4月)の「展望レポート」でリスクの程度や蓋然性も含めて包括的な評価を行う考えを示した。

景気回復の主たる原動力は、米国による関税引上げの下でも企業収益が堅調に推移し、設備投資の増勢も維持されている点にある。中東情勢の影響は、最初はエネルギー価格の上昇による収益の圧迫と先行きの不透明性によるマインドの慎重化に現れるとみられるが、日銀は次回の短観調査やそれに関するヒアリング等を通じてそれらを調査するとみられる。

物価と消費の双方の観点から春闘の結果も重要だ。大企業の間で高水準の回答がみられる一方、植田総裁も説明したように中小企業にどの程度波及するかに不透明性は残るが、この点も4月会合までには状況がより明確になるはずである。

このように、日銀は、4月会合の時点までには経済活動の重要な要素の動向を相応に把握しうるが、現時点で基本シナリオを顕著に下方修正するような材料は見当たらない。ただし、テールリスクとして、植田総裁が示唆したように、中東情勢の影響が「価格」のみならず「量」に波及する事態がある。

具体的には、原油だけでなく石油関連物資の供給が長期に亘って停滞し、産業チェーンを通じて広範な物資の生産や供給が下押しされる事態である。ただし、そうなったとしても、金融緩和によって需要を下支えすることは需給のひっ迫をより深刻化する点で逆効果であり、財政政策ないし産業政策による対応が適切である。

コミュニケーションの改善

植田総裁は、金融政策判断の拠り所である「基調的インフレ」が多様な指標による総合判断に拠らざるを得ない点を確認した上で、わかりにくさが残る点も認め、基調的インフレに関する指標を新たに公表する考えを示した。また、具体例として、政府の経済政策による効果を除いた物価指標を挙げた。

この点は、筆者がロイターへの2月寄稿で取り上げた問題であり、政府の経済対策による効果は基本的には1年後には剥落するので、「基調的インフレ」から除いて考えることが適切である。しかも、2月時点で筆者が想定した例である食料品に対する消費税の時限的免除に加えて、今や、エネルギー価格の高騰に対する経済対策が標榜されるなど、「基調的インフレ」は一層不透明になってくる。

その上で、新たな指標の作成には2つの留意点がある。第一に、エネルギー価格の上昇は石油関連物資の価格上昇だけでなく、物流や飲食、娯楽などのサービス価格にも波及しうる点である。企業の価格設定行動の変化を踏まえると、新たな指標はこの点にも配慮する必要がある。

第二に、記者会見で取り上げられたように、総合インフレから除外する品目が増えると、家計のインフレ実感と乖離する可能性である。この点に関しては、「基調的インフレ」は長い目でみたトレンドと位置付ける一方、家計のインフレ期待は別のサーベイを通じてチェックすることが考えられる。

利上げの展望

中東情勢は日々大きく展開し、日本のようなエネルギーの海外依存の大きな国は上下双方のテールリスクも大きい点で、4月の会合に関して政策変更のバイアスを示すことは適切でないだけでなく、そもそも困難である。また、先行きに影響する要素の多くが国際政治に関わるだけに、日銀だけでなく主要国の中央銀行がシナリオ分析を行うことにも制約がかかる。

日銀にとって幸いなことは、初期条件が潜在成長率を上回る経済成長と2%目標への緩やかな収束傾向にある「基調的インフレ」の組み合わせにある点だ。

このため、経済の下方リスクと物価の上方リスクとのリスクマネジメント的な考え方が基本になるはずであり、4月の「展望レポート」も、中心シナリオより主たるリスク要因とその強さや持続性に関する判断が焦点となる。植田総裁の本日の会見での説明は、少なくとも現時点までの情報による判断が、インフレリスクをやや重視するものであった印象を受けた。

プロフィール

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    井上 哲也

    金融イノベーション研究部

    

    内外金融市場の調査やこれに関わる政策の企画、邦銀国際部門のモニタリングなどを中心とする20年超に亘る中央銀行での執務経験と、国内外の当局や金融機関、研究機関、金融メディアに構築した人脈を活かして、中央銀行の政策対応(”central banking”)に関する議論に貢献。そのための場として「金融市場パネル」を運営し、議論の成果を内外の有識者と幅広く共有するほか、各種のメディアを通じた情報と意見の発信を行っている。2012年には、姉妹パネルとして「バンキングパネル」と「日中金融円卓会合」も立ち上げ、日本の経験を踏まえた商業銀行機能のあり方や中国への教訓といった領域へとカバレッジを広げている。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。