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各国中銀で活用される「ソフトデータ」

日銀がマイナス金利を解除してから2年超が経過し、政策金利は1%まで時間をかけて引き上げられてきた。一般的に、金融政策では政策変更を行ってから物価に波及するまでに1~2年程度のラグがあると考えられている。したがって、単純に政策金利水準が中立金利(0.9%~2.5%とされている(注1))の下限ゾーンに入ったというだけでなく、過去の利上げ影響が物価に表れるフェーズに入ったといえる。

今後は、こうした影響を確認しつつ、1~2年後の経済・物価を見通したうえで金融政策運営が行われることになる。つまり、今後はよりフォワードルッキングな視点が重要になる訳だが、その際に重要な役割を果たすのが、家計や企業の景況感やインフレ期待などを表す「ソフトデータ」だ。「ソフトデータ」は、GDPや物価といったいわゆる「ハードデータ」とは異なり、タイムリーで先行性のある情報であり、実際に、各国・地域の中央銀行では、ハードデータの公表を待たずにソフトデータの結果を受けて政策変更の判断が行われたケースもあった。具体的には、①ソフトデータを将来的なインフレ率の下方乖離のシグナルと捉え、景況感などのマインド指標の悪化を受けて金融緩和を行うケースと、②ソフトデータを将来的なインフレ率の上方乖離のシグナルと捉え、インフレ期待の上昇を受けて金融引締めを行うケースに分けられる。近年の先進国・地域中銀では、金融システム安定対応の意味合いも含めて①のパターンが確認できるが、②は為替相場をはじめ資本フローに影響を与えうる場合に限られる傾向がある(注2)。

最新のソフトデータが示す傾向

では、日本のソフトデータの状況はどうだろうか。7月は四半期に一度公表されるソフトデータの公表月という意味で重要な月である。

まず、「主要銀行貸出動向アンケート調査」(7月17日公表)から、金融機関の貸出態度を確認すると、企業向けの貸出運営スタンスは経済見通しの好転等を背景に積極化したものの、個人向けは2000年の統計開始以来、初めてタイト化超に転じた(図表1)。個人向けでは不動産価格の上昇も一因であると考えられるが、既往の利上げは、金融機関の貸出態度の観点からみる限り、企業向けと個人向けで対照的な影響を及ぼしてきたと考えられる。
 
図表1 主要銀行の貸出運営スタンス

企業のマインドを「短観(注3)」(7月1日公表)で確認すると、資金繰りは「楽である」状態で安定して推移しており、企業側からみた金融環境は引き続き緩和的であるといえる。こうしたもとで、企業のマインドは、中小企業や零細企業の相対的な弱さが引き続き懸念点ではあるものの、総じてみれば、一段の悪化を免れ、3か月前と比較して概ね横ばいないし悪化幅が縮小している(図表2)。「地域経済報告」(7月9日公表)では、イラン情勢の影響が指摘されつつも、AI関連需要が輸出・生産や設備投資を支えている様子が示された。
 
図表2 企業のマインド指標と企業収益


「生活意識に関するアンケート調査(注4)」(7月16日公表)からは、家計の景況感や暮らし向きを示す指標は悪化幅を拡大していることが確認できる。前回の調査期間ではイラン情勢の悪化を折り込み切れていなかったことも影響していると考えられる。月次の「景気ウォッチャー(家計動向)」(7月8日公表)は4月に大きく落ち込んだ後5月に幾分上昇したが、6月は再び小幅に低下した。小売・飲食での低下が主因となっている。総じてみて、家計のマインドは弱めの状態が続いており、先行き、消費や住宅投資などに対する支出が慎重化することがないか注視が必要だ(図表3)。
 
図表3 家計のマインド指標とGDP住宅投資

筆者が特に注目していた中長期インフレ期待は、企業(「短観」)も家計(「生活意識に関するアンケート調査」)も上昇を続け、最新の結果では統計開始以来の高水準に達していることが確認された(図表4)。人口動態を背景とする人手不足が人件費上昇圧力をもたらす中で、ここ数年の大幅な円安と輸入物価の上昇は従来よりも速くかつ強くインフレ率に波及してきた(注5)。こうした環境変化を受け、企業の価格設定行動は積極化している点も指摘されている(注6)。8割の家計は、5年後に物価が上昇すると考える根拠として、「最近物価が上がっていること」を挙げており、日本では、なお現実の物価上昇率の影響力を受ける「適合的な期待形成」が強いことが確認できる(注7)。
 
図表4 企業と家計の中長期予想上昇率(5年先)

ソフトデータの活用には、より中央銀行の説明が重要に

ここでみたソフトデータからは、相対的に堅調な企業部門と軟調な家計部門の対比が明かになった。家計部門には当面の間、弱さが残ると思われるが、インフレ期待は上昇を続けている。こうした状況を踏まえると、引き続き、内需を抑制しすぎない程度にごく緩やかに利上げを継続することがメインシナリオになると考える。

ただし、ソフトデータには、一時的なショックや回答者の偏りなどに起因する「ノイズ」の多さや、回答者のバイアスや分散の大きさなど測定の難しさ等のほか、ハードデータと乖離した場合の解釈の難しさといった課題もある。例えば、インフレ期待の場合、インフレ期待が上昇する一方で、ハードデータである消費者物価の上昇率は鈍化している(図表5)。ハードデータの動きとの乖離が見られる中、インフレ期待がこの先どのように推移するかは解釈や説明が難しい。
 
図表5 物価

こうしたソフトデータの抱える課題を補うために、中央銀行は複数のソフトデータを総合的に参照した上で、ソフトデータの予測力やシグナルとしての有用性を平易かつ透明性をもって説明することが重要だ。また、実際にハードデータで裏付けができるか確認しつつ、必要に応じて迅速に反転する可逆性を予め明らかにしておくことも必要だ。中央銀行が公表する見通しやシナリオに影響があるのであれば、それを明かにすることも有用である。これらはすなわち、中央銀行の政策が何を見ながら、いつ、どのステークホルダーの何を動かすために運営されているのか、という点を明かにしつつ期待に働きかけるためのコミュニケーションともいえる。

なお、「生活意識に関するアンケート調査」では、家計を対象に日本銀行のコミュニケーションについても調査が行われている。日本銀行の説明が「わかりにくい」と回答した家計の割合は、2006年6月60.5%→2016年6月56.1%→2026年6月49.3%と、この20年で着実に減少している。他方、物価安定目標の認知度は、導入して初めて調査が行われた2013年9月に36.9%であったのに対し、直近の2026年6月は21.1%となっている。期待に働きかける上では、まず目標の認知度を高めることも必要だ。

次回7月会合では、最新の物価と経済の見通しが公表される。日銀のコミュニケーションに何らかの変化が生じるか、より一層注目していきたい。
 

(注1)日本銀行は、自然利子率について、2023/1Q 時点で▲1.0%程度~+0.5%程度と示していたが、2025/3Q 時点の再推計によって、▲0.9%程度~+0.5%程度の範囲と修正。中立金利は、これに、物価安定目標の2%を加えた水準として示している。
企画局「自然利子率の動向と金融緩和度合いの評価」(2026年3月)、日銀レビュー、2026-J-5

(注2)具体的には、①の例として、2016年6月のイングランド銀行、2019年7~10月のFRB、2025年3~4月のECBでの利下げ・量的緩和があり、日銀が同様に動いた例としては2020年3月のパンデミック対応が挙げられる。②の例として、2016年2月のメキシコ中銀の緊急利上げのほか、2010年~2011年の南米諸国やスウェーデン各国中銀の利上げが挙げられる。

(注3)同調査の実施期間は、2026年5月28日~6月30日

(注4)同調査の実施期間は、2026年5月7日~6月9日。

(注5)八木智之、倉知善行、高橋優豊、山田琴音、河田皓史「コストプッシュ圧力の消費視野物価へのパススルー」(2022年9月)、日本銀行ワーキングペーパーシリーズ、No.22-J-16
日本銀行「経済・物価情勢の展望」(BOX3)輸入物価上昇の国内物価へのパススルー(2026年1月)

(注6)日本銀行「地域経済報告―さくらレポート―(別冊シリーズ) 地域の消費関連企業の価格設定行動の変化と2026年度の価格改定方針」(2026年5月)

(注7)日本銀行は、予想物価上昇率が、中央銀行の物価安定目標による「フォワード・ルッキングな期待形成」と、現実の物価上昇率の影響を受ける「適合的な期待形成」の2つの要素によって形成される、と説明している。
西野孝佑、山本弘樹、北原潤、永幡崇「「量的・質的金融緩和」の3年間における予想物価上昇率の変化」(2016年10月)、日銀レビュー、2016-J-17

プロフィール

  • 石川 純子のポートレート

    石川 純子

    金融イノベーション研究部

    

    大学卒業後、日本銀行で米英や新興国の金融経済やマクロ政策に関する調査と日銀自身による政策決定に資する資料作成に携わった後、米国コロンビア大学大学院で公共政策学の修士を取得。NRIに入社後はこうした経験と知見を活かしつつ、金融環境が激変する下での中央銀行や監督当局による政策対応やデジタル通貨の運営を考える「金融市場パネル」や「通貨と銀行の将来を考える研究会」の企画・運営に順次携わるほか、専門的知見を有する英国・欧州に重点を置きながら、マクロ政策運営について意見を発信。サステイナブル金融についても、主として政策や規制の面から課題や対応に関する調査へとスコープを拡大中。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。