関税交渉を伴う日米二国間での貿易協議で合意か
茂木経済再生相と米通商代表部(USTR)のライトハイザー代表は、9月25日朝(日本時間、同日夜)、8月に続き2回目の閣僚級の日米貿易協議(FFR)を行った。26日に予定されている安倍首相とトランプ大統領との首脳会談の準備会合との位置づけだ。茂木氏は終了後の記者会見で「両国の貿易を促進する枠組みについて、基本的な認識は一致した」と述べたが、協議の詳細については語っていない。ここでいう枠組みは、関税交渉を伴う日米二国間での貿易協議のことであり、日米首脳会談で正式に開始することが合意されると見られる。
この協議の枠組みは、形式的には日本側から提案するものだが、米国側の強い意向に日本側が抗しきれなくなり、受け入れざるを得なくなったというのが実態だろう。従来、日本政府は、日米協議は投資分野なども含むより広範囲な協議とすることで、自動車、農産物など個別品目での協議となることを回避する戦略、あるいはトランプ政権に環太平洋パートナーシップ(TPP)協定という多国間の枠組みに復帰することを呼び掛けることで、日本側に不利な条件となりやすい2国間交渉を回避する戦略であったが、いよいよ、米政府が望む形での協議を強いられる局面となってきた。
ライトハイザー代表は、対日貿易赤字の8割弱を占める自動車の貿易不均衡是正と日本の牛肉及び農産物の関税率引き下げという要求を、既に茂木経済再生相に伝えている可能性がある。他方で、茂木経済再生相は、トランプ政権が11月の中間選挙までに結論を出すとしている、自動車・自動車部品に対する最大25%の追加関税導入について、その撤回を呼び掛けたものとみられる。日本の自動車産業に与える悪影響が大きいためだ。
日本は自動車・自動車部品への追加関税導入の撤回を米政府に要求
しかし、すべての国を対象にトランプ政権が検討している自動車・自動車部品への追加関税は、日米2国間交渉のテーマとしてはなじまない。他方、日本政府は、仮に同追加関税が導入された場合でも、日本をその対象から外すように主張している可能性がある。この措置は、米通商拡大法232条に基づき、輸入自動車・自動車部品が米国の安全保障上の脅威となっているとの建前から検討されている。日本は、日本からの自動車・自動車部品は米国の安全保障上の脅威となっていない点、日本は米国の同盟国である点、日本は米国内での自動車の現地生産、投資を積極的に実施してきた点を強調し、日本を対象から外すように働きかけていると見られる。しかし、その主張が通らないことは、同じく米通商拡大法232条に基づいて実施された鉄鋼・アルミへの追加関税で、日本製品の多くが対象外とならなかったことで既に明らかだろう。そもそも、自由貿易推進を強く掲げる主日本が、日本だけ追加関税の例外にするようにトランプ政権に働きかけること自体おかしいことだ。
ただし、自動車・自動車部品へ追加関税を導入するか否かを決定する前には、米政府は日本政府に対して、自動車分野での具体的な要求は控える可能性も考えられる。その場合、米政府の当面の攻撃対象となるのは、牛肉と農産物だろう。牛肉については、米国産輸入品には38.5%の関税がかかっており、20%台の関税率である豪州産の輸入牛肉に対して競争力が低下している。米国政府は速やかにその関税率を引き下げるよう、日本政府に要求するだろう。
トランプ政権は牛肉、農産物での関税率引き下げを要求
また、米国政府は平均で7.3%と高めの農水産物の関税率引き下げを日本政府に要求してくるだろう。日本政府は、TPP協定で当初米国と合意していた5.0%程度までの関税率引き下げは受け入れるが、それを超える関税率引き下げは頑として受け入れない構えだ。
しかしこうした日本側の主張は、トランプ政権には全く受け入れられないだろう。TPPは前政権による誤った合意であり、そのもとで米国は非常に不利な条件を受け入れさせられたと考えるトランプ政権は、米国が離脱する前のTPPでの合意をベースにする交渉には応じないだろう。
最終的には、農水産物の大幅な関税率引き下げを回避するために、日本政府は自動車分野で譲歩を迫られることになるのではないか。特に、自動車・自動車部品への追加関税導入が撤回される、あるいは10%などの定率となる場合には、それに加えて、対米自動車輸出の自主的な数量規制、米国での現地生産の拡大などをトランプ政権は日本に求めてくる可能性があるだろう。仮に、現在の対米自動車輸出が、自主規制や現地生産へのシフトによって半減する場合には、それは日本のGDPを直接的に0.5%程度押し下げ、波及効果も考慮すればさらに大きな悪影響を日本経済に生じさせる可能性があることが大いに懸念されるところだ。
プロフィール
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木内 登英のポートレート 木内 登英
金融ITイノベーション事業本部
エグゼクティブ・エコノミスト
1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。
※組織名、職名は現在と異なる場合があります。