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協議中は自動車追加関税適用を回避

9月26日に開かれた日米首脳会談では、事前に予想されていた通り、両国が関税率の交渉を含む貿易協議を正式に始めることで合意した。現時点で確かなことは、その一点のみだと言える。

会談後の記者会見で安倍首相は、①日米間で協議が継続している間は、米国政府が現在検討をしている自動車・自動車部品に対する最大25%の追加関税を日本に対して適用しないことをトランプ大統領に直接確認した、②日本の農産物については、かつて環太平洋パートナーシップ(TPP)協定で米国が合意した水準を上回って関税率を引き下げることはない、という日本政府の立場を米国政府が尊重することが共同声明に明記された、③日米間で合意を目指すのは日米物品貿易協定(TAG)の締結であり、これは日米自由貿易協定(FTA)とは全く異なるもの、等と説明した。

しかし、このような説明は、外交上の合意でしばしば見られるように、両国が自国民向けにそれぞれ都合の良い解釈をして発表する、といった要素を多分に含むものなのではないか。①の自動車・自動車部品の関税については、米国側が声明文で正式に合意したのは、安倍首相自らが言及した「協議が行われている間は合意の精神に反する行動をとらない」といったあいまいな方針だけであろう。仮に、米国政府がそのように別途言明したとしても、それは交渉の過程で追加関税の適用をちらつかせ、日本側から多くの譲歩を引き出す戦略であることも考えられる。これは、今年3月にトランプ政権が鉄鋼・アルミ関税導入を決めた際に、貿易交渉が進行していた韓国、カナダ、メキシコを除外したのと同じ戦略だ。

食い違う日米それぞれの説明

②の農産物の関税率についても、「日本政府の立場を米国政府が尊重する」と共同声明に記されただけであり、日本政府の主張を受け入れることを米国政府側が正式に表明した訳ではないだろう。前政権が合意したものである上、米国は既に離脱したかつてのTPPでの合意を、トランプ政権が尊重することは考えにくい。

さらに、③の日米物品貿易協定(TAG)については、日米FTA交渉という言葉を使いたくない日本側が生み出した名称のように思われる。日米FTAのもとでは、農産物分野でTPP以上の関税率引き下げを求められるとの警戒心が日本国内では強いためだ。日米FTA交渉を開始するとなれば、安倍政権に対する批判も高まるだろう。安倍首相は、日米物品貿易協定(TAG)は日米FTAとは全く異なると説明しているが、何が違うのかは明確でない。ここでも、国内向けの説明の要素が強いのではないか。ライトハイザー米通商代表部(USTR)代表は、日本に対して完全なFTA締結を目指すと明言しており、安倍首相の説明と大きく食い違っている。

トランプ大統領は日米首脳会談に関する記者会見の冒頭で、「(貿易を巡る日米関係は)これ以上悪くなりようがないので、米国にとって良くなる一方だ」と、やはり中間選挙を控えて、国内向けに今回の合意の成果をアピールしている。この発言からも、トランプ政権が引き続き、対日貿易赤字などに大きな不満を持っており、その是正に向けて日本に対応措置を強く要求する、という意志が感じられる。好戦的な姿勢は全く変わっていないと見るべきだろう。日本にとっては非常に厳しい、米国との貿易協議が本格的に始まったのである。

日米欧でWTO改革案を共同提案へ

日米貿易協議とは別に、日米欧の通商閣僚は、世界貿易機関(WTO)の改革案を11月に共同提案することで合意した。米国のWTO離脱を防ぎ、WTOが理念とする多国間での自由貿易の理念に米国をなんとかつなぎとめておきたいとの日欧の意向が背景にあろう。

改革の柱は、自国の特定産業を優遇する不公正な補助金をWTOに報告しない場合の罰則を導入することだという。これが、中国をターゲットにしていることは明らかだ。しかし、貿易に直接関わらない補助金に対しても報告義務を課すのであるとすれば、それはWTOの枠組みを超えて、内政干渉の領域に入るリスクがあるのではないか。米国が中国政府による巨額の補助金を警戒しているのは、それを通じて、中国の先端産業における競争力が一気に高まることにある。しかし、それは、WTOの改正を通じて対応する問題ではないだろう。

そもそも、制裁関税を乱発することで、WTOの枠組みを最も軽視しているのが米国政府である。その米国政府に、WTO改革案で日欧が協力するのもややおかしな話でもある。そこまでしても、日欧はトランプ政権との決定的な関係悪化を回避し、貿易問題では硬軟交えて米国に対応しいていく戦略だ。

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。