在職老齢年金制度見直しで修正案
政府は来年初めの通常国会に年金・介護制度改革の法案を提出することを目指し、改革案の作成作業を急ピッチで進めている。年金改革の柱の一つとなっているのが、労働を通じて一定の収入がある高齢者の厚生年金を減らす、現在の「在職老齢年金制度」の見直しだ。現状では65歳以上なら月47万円、60~64歳なら月28万円を超えると、厚生年金の支給額が減額される。厚労省は減額対象の基準を月収51万円超とする方向で調整している。
在職老齢年金制度見直しの背景にあるのは、同制度が高齢者の勤労意欲を削いでいる、との認識だ。就業年齢の延長は人手不足対策となり、経済成長を促すことになる。さらに、年金財政の改善にもつながる。
厚労省は当初、在職老齢年金制度の廃止を検討していたが、高所得者優遇との批判を受けて、減額が適用される基準を月収62万円に引き上げる案を10月に示していた。しかしそれでも、批判が収まらないことを懸念した与党が、厚労省に修正を求めた模様だ。
新たな基準は、現役男性の賞与を含めた平均的月収である43.9万円に、働きながら厚生年金を受給する人の厚生年金受給の平均額7.1万円を足して算出されている。そのもとでは、高齢者が現役並み以上に稼いだ場合には、年金は減らされることになる。基準額を51万円に設定すると、年金減額対象者が減ることで、年間の年金支給額は約1千億円増えるとされる。その分年金財政は悪化し、将来の受給額が減少する可能性がある。
高齢者の勤労意欲を高める効果は明らかでない
他方、この措置によって高齢者の勤労意欲が高まり、退職年齢が引き上げられれば、年金財政は悪化しない可能性もある。しかし、在職老齢年金制度見直しが高齢者の勤労意欲を高める効果については、十分に検証されていないのが現状だ。
政府が9月20日に開いた全世代型社会保障検討会議の初会合で、有識者メンバーとして出席した中西宏明経団連会長は、「経営者から見ると(在職老齢年金制度が)意欲を減退させることはない」などと発言したという。10月4日に首相官邸のホームページで公開された議事録には、この発言が不掲載となっている点が現在問題となっている。それはともかく、企業経営者は在職老齢年金制度見直しが高齢者の勤労意欲を高める効果について懐疑的であることが確認された。
在職老齢年金制度のもとで、労働時間を縮小した方が、給与総額と厚生年金の受給額の合計額が増える、というケースが生じるのであれば、確かに同制度の見直しや廃止は高齢者の勤労意欲を高め得るだろう。しかし実際の制度の仕組みはそうはなっていない。
また学術研究でもその効果に懐疑的な結果が出ている。慶応大学の山田篤裕教授が今年5月に発表した分析結果では、在職老齢年金制度によって、男性では62~64歳で約10%、女性では60~61歳で約20%、それぞれ就業率を押し下げる効果が多少認められたとしている。しかし、65~69歳では、男女ともに就業抑制効果を明確に確認することはできなかったという。山田教授は、「現状では、65歳以上について就業抑制効果があるという科学的根拠はない」と語っている(注)。
厚生労働省は、長期的には制度見直しの効果は高まるとしているが、それも不確実だ。年金制度改革は喫緊の課題ではあるが、その効果が明確でない中で、年金財政を悪化させる可能性が高いと見られる制度見直しを実施するのは、やや拙速なのではないか。年金制度改革の案としては、パートら短時間労働者への厚生年金の適用拡大も検討されており、それが実現すれば在職老齢年金制度見直しの財源とすることも可能だ。
年金財政の改善が最も必要な今の環境の下で、財源を確保しないまま、それを悪化させてしまう制度変更の議論が先行して進められている点には違和感がある。
(注)「[スキャナー]在職老齢年金 働くシニア 年金減額見直し」、2019年11月10日、東京読売新聞
プロフィール
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木内 登英のポートレート 木内 登英
金融ITイノベーション事業本部
エグゼクティブ・エコノミスト
1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。
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