新型肺炎はアジア・日本のリスクから世界のリスクへ
2月27日の米国株式市場で、ダウ平均株価は千ドルを超える過去最大の下落幅を記録した。6営業日連続での下落となり、合計の下落幅は10%を超えた。下落の背景にあるのは、新型肺炎の拡大とそれが経済活動に与える悪影響への不安、であることに疑いはない。
米国の株価急落を起点とする世界同時株安は、新型肺炎の拡大がパンデミック(世界的な流行)に発展し、それが世界経済をリセッション(景気後退)に陥らせる可能性を、株式市場が織り込み始めたことを示すものではないか。
新型肺炎は中国を中心とするアジアの問題、というのが米国市場での当初の認識だっただろう。そのため、米国株式市場は先週までは安定を維持していた。他方、日本でのクルーズ船上の新型肺炎対応への不信感や日本での感染急拡大を意識した、いわゆる「日本リスク」が、先週には対ドルで2円を超える円安傾向を為替市場で生じさせた。リスクはアジア、そして日本にある、と考える米国投資家らが、資金を引き揚げたことが円安のきっかけではなかったか。
しかし、足もとのドル円レートは、円安に振れる前の水準まで戻ってきた。これは、米国投資家らが、新型肺炎をアジア、そして日本のリスクという認識から、米国も含めた「世界のリスク」という認識へと改めたことを意味しているのではないか。もはや米国に資金を引き揚げても、リスク回避にはならなくなったのである。
今後さらに、新型肺炎に関してグローバルなリスクが高まるとの見方が金融市場に広まれば、それは日本の金融機関がリスク回避のために資金を海外から国内に引き上げる動きが強まることにつながり、従来の定石通りに、リスクオフの円高進行、となるだろう。
中国の経済活動は徐々に正常化も
数字の信頼性が疑われている面があるとはいえ、新型肺炎が発生した中国では、新規感染者の増加ペース、死者の増加ペースは明確に鈍化してきている。また、工場閉鎖も解除されていき、経済活動は徐々にではあるが正常化しつつあるように見える。この点を踏まえると、事態は決して悲観一色ではないだろう。
それにもかかわらず、米国市場で俄かに新型肺炎に関する悲観論が強まったのは、日本や韓国に続いて、イタリアやイランでも感染者が急増し、パンデミックが意識されたためである。既に指摘したように、アジアのリスクが世界のリスクに転化してきたとの見方が強まったのである。これに加えて、米国内でも市中感染のリスクが高まってきたとの見方が、米国株式市場を悲観的にさせている。
今後、金融市場でパンデミックとリセッションの懸念がさらに強まるか否かは、アジア地域以外での感染者数の拡大ペースや患者の重篤化の程度に依存するだろう。
中国、日本、韓国で見られたように、感染拡大の初期には、新たに検査を受ける人の数が増えて感染者が次々と確認されていくことから、今後アジア地域以外でも、感染者数が幾何級数的に拡大する(ように見える)のは、避けがたいように思える。従って、当面は金融市場に楽観論が浮上することを期待できる状況にはないだろう。
米国経済一本に支えられた世界経済の脆弱性
しかし、いずれアジア地域以外での感染者数の拡大ペースに鈍化傾向が見られれば、市場が安定を取り戻すきっかけとなろう。
今後の南半球での感染拡大の推移も重要なのではないか。足もとでは新たにブラジルで感染者数が一人確認されたものの、南半球での拡大はそれほど広まっていない点が注目される。多くの中国人が渡航するオーストラリアでは、感染数は20人を超えたものの、死者は出ておらず、患者が重篤化する程度は今のところ低いように見える。感染者あるいは重篤患者が北半球に偏る状況が今後も続けば、ウイルスの活動が現在の北半球の気候の下で活性化されており、今後北半球が季節の変化と共に温暖化していく中で、ウイルスの活動も徐々に弱まる、との期待が醸成されやすいのではないか。
他方、金融市場での悲観論が一段と強まるきっかけとなり得るのは、経済活動が徐々に正常化に向かう中国で、それに伴う人の移動や活動が、感染者の拡大ペースを再度高めてしまう事態が生じることなのではないか。
また、現在の世界経済はまさに米国経済のみによって支えられる、いわば「米国一本足」の脆弱な構造である。このことから、今後米国で感染が急速に拡大していけば、米国経済の支えを失い、世界経済が失速するとの観測が一層強まりかねない。
FRB高官の発言に注目する市場
当コラムでも既に指摘したが(「 世界同時株安は終わりの始まりか? 」、2020年2月25日)、足もとでの米国株価の急落は、米連邦準備制度理事会(FRB)の金融政策に対する市場の期待の変化と関係している面がある。
アジア地域を中心に新型肺炎が拡大する中でも、ごく最近までは米国の株式市場が安定を維持していた背景には、米国経済に仮に下振れリスクが生じても、FRBが金融緩和で上手く対応してくれる、という市場の期待、いわば「困った時のFRB頼み」の構図があった。
ところが、市場の期待に政策が影響を受けることを嫌うFRB高官からは、追加緩和に否定的な発言が相次いだのである。そのため、市場のFRB頼みの期待がやや変化し、株価急落につながった面がある。さらに、足もとでの株価下落は、FRBから追加緩和を示唆する発言を引き出すという、「催促相場」という解釈もできるだろう。
株価急落後もなお、FRB高官からは追加緩和に否定的な発言が相次いだことが、連日の株価下落につながっている。金融市場では既に今年3月に0.25%の政策金利引下げが実施されるとの期待が、かなりの確率で織り込まれている。そうした中、FRBから3月の金融緩和を示唆する発言が出るだけでは、もはや株式市場の悲観論を払しょくするのには十分ではないかもしれない。
昨年と同様に、合計で0.75%程度の政策金利引下げの可能性を示唆する発言が、パウエル議長などから出てくれば、株式市場の悲観論は、とりあえず目先のところはかなり緩和されるだろう。
FRB頼みに潜む大きなリスク
それでも、株式市場のFRB頼みにはリスクがある。昨年は、FRBの機動的な金融緩和の実施によって米国経済は安定を維持できた、と考える向きは市場に多いだろう。
しかし、仮に今年も昨年と同様に合計0.75%の利下げが実施されても、昨年ほどの景気浮揚効果は生じないのではないか。昨年は、10年国債利回りが約1.5%と政策金利の引き下げ幅の2倍程度低下したことが、住宅など金利に敏感なセクターを中心に米国経済を下支えしたのである。
ところが、現在の10年国債利回りは既に1.2%台と歴史的低水準にあり、もはや低下余地は大きくない。そのため、主に長期金利の低下を促すことで発揮されるFRBの金融緩和効果は、昨年と比べて限られるだろう。
FRBが金融緩和を実施しても、もはや米国経済、あるいは世界経済を救うことはできないとの観測が浮上してくれば、米国株式市場での悲観論はかなり高まることになるのではないか。まさにパンデミックとリセッションの同時発生リスクが、現実味を高める状況だ。その際には、急速な円高が併せて生じることで、日本の株式市場も相当の打撃を受けることになろう。
新型肺炎の世界的な拡大の規模やその期間、またそれが世界経済に与える影響等については、なお予断を許さない状況である。そのもとで、こうしたシナリオは現時点ではなお悲観的過ぎるだろう。しかし、もはやあり得ないシナリオではなくなってきているということも、しっかりと認識しておくべきだろう。
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