株式市場は歴史的下落に
2月28日(金)の米国市場で、株価は大幅続落となった。週間では主要3指数が揃って10%超の下落である。 これは、グローバル金融危機(リーマンショック)以来の下落幅だ。株価が大幅下落の基調に転じたわずか数日前の2月19日には、ダウ平均株価は史上最高値を記録していたのである。この間の動きは、まさに急転直下、天国から地獄の様相だ。ダウ・ジョーンズ社によると、S&P500指数が過去最高値を更新してから調整局面入りするまでの今回の期間は、少なくとも1980年以降では最短だという。
こうした点を踏まえると、今回の急速な株価下落は、過度の楽観的期待に支えられたそれ以前の株価上昇の調整、という要素が強そうだ。年明け後、新型肺炎が拡大する中でも、株価が堅調であっただけでなく、昨年も米中貿易戦争の影響も加わり米国経済が勢いを落とす中で、株式市場が堅調を維持していた。
こうした、やや長く続いた過度の楽観的期待の調整が、足もとで一気に生じた感がある。そして、市場の楽観論を支えたのは、米連邦準備制度理事会(FRB)の金融政策姿勢であった。
新型肺炎の拡大が米国及び世界経済に与える影響が市場で懸念される中、FRB高官らが追加緩和に否定的な発言を繰り返したことが、結果的には株価調整の引き金となった面がある。
株価下落でFRBの金融緩和に慎重な姿勢は一変
2月26日には、リチャード・クラリダFRB副議長は、新型肺炎の流行について、数か月以内の利下げ再開が必要になるかどうか判断するのはなお時期尚早、との慎重な見方を示していた。
ところが株価続落を受けて、FRBの姿勢はわずか数日の間に一変したように見える。2月28日にFRBは、パウエル議長の名で、追加緩和の可能性を示唆する以下の緊急声明を発表したのである。
「米国経済のファンダメンタルズは引き続き強い。しかし、コロナウイルスが経済活動にリスクをもたらしている。FRBは、その動きと経済見通しへの影響を慎重に見守る。我々は我々の持つ手段を使い、経済を支えるために適切に行動する(act as appropriate to support the economy)」。
FRBが市場に政策意図を伝え、市場の期待に影響を与えようとする場合には、米連邦公開市場委員会(FOMC)の声明文、FRB議長の記者会見、議会証言、講演会といった機会を利用するのが普通であり、今回のような緊急声明文を出すのは異例のことだ。今回は、他の機会を利用する時間的猶予がなかったのである。
さらに、合議制のもとでは、パウエル議長による単独の判断だけではこうした声明文は出すことはできない。それが出たということは、緊急の電話会議でFOMCメンバーの多数がそれに賛成したことを意味するだろう。連日の株価大幅下落は、追加緩和に慎重だったFOMCメンバー内での意見を一変させたのである。
金融市場は3月の金融緩和を完全に織り込んだ
上記の緊急声明文では、最後のセンテンスが最も重要だ。「経済を支えるために適切に行動する(act as appropriate to support the economy)」との表現は、昨年7月にFRBが追加緩和策を実施する前の回の6月FOMCの声明文で使われた、「景気拡大を支えるために適切に行動する(will act as appropriate to sustain the expansion)」という表現に意識して似せたものだろう。
この表現を通じて、追加緩和の実施を明確に示唆した、との言質はとられないように配慮しながらも、市場にはいわば暗号あるいは判じ物のように、明確に金融緩和の意図を伝えるという、非常に巧妙な戦略がとられた。
28日の米国市場はこうしたFRBの意図を汲み取り、追加緩和期待を一気に高めた。FF(フェデラルファンズ)金先市場では、次回3月のFOMCで、0.25%の政策金利引下げが実施される可能性を100%、また0.5%の引き下げが実施される可能性も部分的に織り込まれている。3月の政策金利引下げ実施は未だ確定ではないが、可能性は相応に高まったのではないか。28日の米国株価も、FRBの緊急声明文の発表を受けて、引け際にかけては値を戻した。
新型肺炎の影響よりも金融市場の調整がずっと大きなリスク
現在の米国経済、そして世界経済には、深刻な過剰設備、過剰在庫などの大きなひずみはないように見える。低インフレ環境の下、そうした過剰が蓄積しにくい体質へと、経済は構造変化を遂げてきたのではないか。
しかし、そうした環境の下では逆に、行き過ぎた金利低下など、金融市場には過熱感、ひずみが蓄積されてきたと見られる。新型肺炎が世界経済に与える直接的な悪影響は一時的であり、それほど深刻なものではないかもしれない。しかしそれをきっかけにして、社債市場、株式市場が大きく崩れるなど、金融市場の本格的な調整が誘発されることになれば、世界経済への打撃は相当深刻になるだろう。世界経済にとって、新型肺炎の直接的な影響よりも、金融市場の大幅な調整の方がずっと大きなリスクなのである。
そのため、FRBが金融市場の安定に強く配慮する姿勢を見せたのは、正しいだろう。市場の緩和期待に応えることで、金融政策が市場に支配される状況になってしまうリスクは確かにある。また、追加緩和によって金融市場のひずみ、不均衡を一段と拡大させてしまうリスクにも配慮しなくてはならないだろう。
それでも、FRBが今回、緊急声明を通じて市場の安定に配慮する姿勢を示さざるを得なかったことは、理解できる。
FRBの「神通力」が失われれば株価は底割れも
今回のFRBの緊急声明は、米国での株価の続落傾向に歯止めを掛ける効果を発揮するかもしれないが、株式市場の悲観論を一気に払しょくする程ではないのではないか。
市場は3月のFOMCでの政策金利引下げ実施にとどまらず、それに続く複数回の政策金利引下げを示唆するメッセージをFRBに期待し、更なる株価下落を通じてそれを催促する可能性があるだろう。昨年3回の連続緩和実施の直前に用いた文言と似た文言を今回の緊急声明で使ったことは、複数回の緩和の可能性を示唆している、とも解釈できる。しかし、市場はより明確な発言をパウエル議長らから引き出したいと考えるだろう。実際、議長が今後、そうした市場の期待に応えることも十分に考えられるところだ。
28日の米国市場で特に気になるのは、FRBの緊急声明を受けて、株価が値を戻す一方で、ドル安が進んだことだ。米国の金融緩和期待が高まるとドル安が進むことは、ある意味自然ではある。しかし昨年は、金融緩和期待はドル安につながらなかったことを思い起こしてほしい。FRBの予防的緩和によって米国経済の安定は続く、という楽観論が浮上したためだ。それは、FRBの金融緩和の効果を、市場は高く評価していたことの証でもあるだろう。
しかし、長期金利の低下余地が限られることから、金融緩和は昨年ほどの景気刺激効果を発揮できない可能性が高いように思われる。それに加えて、政策金利がいずれゼロに近付き、FRBの金融政策もいよいよ打つ手がなくなる、との観測が市場に浮上すれば、株価は下支えを失い底割れ状態に陥る可能性もあるだろう。またその際には、かなりの円高ドル安の進行を覚悟する必要があるのではないか。
FRBの追加緩和期待の高まりとともに円高ドル安が進行している事態は、FRBの金融緩和が、その「神通力」を失ってしまう状況である可能性を示唆しており、注視しておきたい。
日本では円高・株安のリスクが続く
仮に、この先FRBが政策金利の引下げに踏み切るとしても、日本銀行や欧州中央銀行(ECB)が、それに即座に追随することはないだろう。共に緩和余地はFRBと比べて極度に限られ、緩和手段を温存する必要がある。
しかし、上記のようにFRBの金融緩和がその神通力を失ってしまえば、円高ドル安がかなり進行するだろう。1ドル100円が視野に入る急速な円高となる場合、あるいはその水準を超える場合には、日本銀行も政策金利の引下げの実施を余儀なくされるのではないか。ただし、それを通じて円高進行に歯止めをかけることは難しいだろう。
28日の米国株式市場は、FRBの緊急声明を受けて引け際にかけて値を戻した。しかし、為替市場では、一時、昨年10月以来約4か月半ぶりの水準である1ドル107円台半ばまで円高が進んでいる。さらに29日に発表された中国の2月製造業PMIが予想以上の悪化となった。
こうした点を踏まえると、FRBのいわば助けも空しく、日本での株式市場の顕著な調整地合いは、今週初も続きそうだ。
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