日本銀行は臨時会合で追加金融緩和を決める
日本銀行は、3月17・18日に開催予定であった金融政策決定会合の日程を前倒しして、3月16日に臨時会合を開いた。その場で、CP・社債の時限的な買い入れ増額、ETF・J-REITの買い入れ目標を引き上げる追加緩和措置を決めた。ETFについては、現状の年間6兆円ペースの買い入れ目標額を、年間12兆円まで倍増させた。
また、新型コロナウイルスによって打撃を受けた企業の支援を、政府と協調して行うため、民間企業債務を担保に最長1年の資金を金利ゼロ%で供給する、企業金融支援特別オペの導入を決めた。
今回の措置は、直前に実施された米連邦準備制度理事会(FRB)の緊急利下げなどに合わせた国際協調策の性格がある一方、臨時会合には西村再生相も参加したことから、政府との協調策を演出するという側面も併せ持っていた。
先行きの長い闘いに備えて利下げは温存
他方、利下げ策(政策金利引き下げ)は見送られた。この点から、日本銀行が見せたサプライズは政策決定のタイミングのサプライズに概ねとどまり、内容については事前の市場予想を大きく覆すものではなかった、と言えるだろう。そのため、決定後の金融市場はなお不安定な動きを続けている。
日本銀行が今回利下げを実施しなかった背景には、これからさらなる追加緩和措置の実施が必要となる可能性がある中、いわゆる長い闘いに備えて、今回は利下げ措置を温存した、ということではないか。
為替レートが、日本銀行が非常に警戒する1ドル100円までになお距離があったことが、日本銀行が利下げ措置の温存を決めた最大の理由ではないか。しかしこのことは、今後1ドル100円に近付く、あるいはそれを上回る円高が進めば、0.1%の利下げを実施する可能性は残されているということではないか。
さらに、世界の金融市場では、金融緩和の効果に対して懐疑的な見方が広がっているようにも見受けられる。こうした中、無理に利下げを実施しても、市場や国民などから評価されない、いわば無駄玉となってしまう可能性にも、日本銀行は配慮したのではないか。
リスク資産買取りは世界の潮流になる可能性も
世界の中央銀行は、足もとの金融市場の混乱が金融危機の引き金とならないよう、金融市場と金融システムの安定維持に向けた危機対応を進めている。そのための手段としては、金利の引き下げから量の拡大に比重が移ってきている。また今後については、金融市場から中央銀行がリスクを引き受けることで、金融市場の安定確保に努める方向にあるのではないか。
今回、日本銀行がETFの買い入れ増額に動いたのは、株価下落が日本銀行の財務を悪化させるリスクに配慮したことに加えて、金融市場からリスクを引き受ける狙いがあったのだろう。
FRBは、機能不全に陥りつつある社債市場からリスクを取り除く目的で、社債の買い取りなどを今後検討する可能性があるだろう。それには現状のルールの見直しが必要となる。法的にハードルが高い米国でのマイナス金利政策の導入の是非を検討するのは、その後になるだろう。
ちなみに欧州中央銀行(ECB)の場合は、資産の買い入れ対象に現状の社債に加えてETFを含めることも、今後は検討するのではないか。各国で、中央銀行が証券市場からリスクを引き受ける異例の措置に動き始めている。
金融政策では新型コロナウイルス対策はできない
このように、中央銀行は流動性の供給や資産買い入れを通じて、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う金融市場の混乱が、金融危機に発展しないように努めている。
他方、金融緩和の景気刺激効果は着実に薄れている。また、金融緩和策には景気悪化のリスクを高める新型コロナウイルスの感染を押さえる効果は当然ながらない。金融政策が事態をさらに悪化させる金融危機回避に時間稼ぎをしている間に、各国政府がさらなる適切な新型コロナウイルス対策を講じることを期待したい。
政府は単に景気対策のためにお金をばらまくのではなく、感染拡大の抑制に最大限効果的となる、ターゲットを絞った施策に集中的に資源をつぎ込んでいくことが重要であり、それこそが金融市場の懸念を緩和させるだろう。
プロフィール
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木内 登英のポートレート 木内 登英
金融ITイノベーション事業本部
エグゼクティブ・エコノミスト
1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。
※組織名、職名は現在と異なる場合があります。