中国は投資資金の逃避先か
2月時点では、中国は新型コロナウイルス感染拡大のまさに中心地であり、その封じ込め策のため、経済活動は主要国の中で最も悪化していた。ところが3月に入ると、情勢は一変してしまったのである。
中国では感染の拡大ペースが明確に鈍り、封じ込め政策が奏功しているように見える一方、欧米では爆発的な感染拡大が見られ始めた。中国の武漢市の封鎖に倣うように、欧米諸国では都市封鎖(ロックダウン)が進められ、経済活動は急激に悪化していったのである。
他方、感染拡大に歯止めが掛かってきた中国では、経済活動は徐々に再開されていき、欧米とは対称的に、経済情勢の改善が展望できる情勢となってきた。こうした中国と他国との明暗を象徴したのが、米アップル社の発表だろう。3月13日にアップルは、中国本土の42店舗の営業を再開する一方、逆に中国本土以外の店舗を全て閉鎖することを発表したのである。
投資家にとっても、中国は今や相対的に安全性の高い地域、いわゆるリスク回避先となってきた感もある。これを端的に示しているのが、株価の動向だ。欧米など世界の主要市場では、株価は年初から2割~3割低下している。その中で、中国本土株だけが、より小幅な下落率にとどまっているのである。3月30日時点では、上海の株価指数は年初から10%程度の下落、深圳の株価指数は年初から3%程度の下落である。
中国の経済活動は持ち直し
マシューズ・アジアによると、中国56都市の消費者を対象に2月下旬から3月初旬にかけて行われた調査では、8割以上が向こう1年に収入が現状維持あるいは増加すると回答したという。その回答比率は昨年12月時点での水準を依然下回っているものの、1月時点と比べると約10ポイントの改善となっている。
中国政府の人力資源・社会保障部によると、1月の春節(旧正月)で帰省した人の80%にあたる1億人の出稼ぎ労働者が、既に職場に復帰したという。物流大手のフェデックスの最近の報告によれば、中国で操業を再開したのは製造分野の小規模企業の約3分の2、大企業の90~95%に上る。
フィナンシャル・タイムズ紙は、あるフードデリバリープラットフォーム上のレストランや食品供給業者、コンビニエンスストア100万軒のデータを比較し、2月初めには80%以上が休業状態にあったが、現在では60%以上が営業を再開したと指摘している。
中国の製造業の活動については、V字型回復の様相を呈し始めていると見られる。しかし、国内でのサービス消費については、回復はなお緩やかである。中国当局は、新型コロナウイルスの感染が再び盛り返すかどうかが分からないため、企業活動の制限の解除も慎重に進めている。北京では、一部のバーやレストランが営業を再開したものの、新たな規制によって、顧客は数フィート離れてテーブルに着席することが求められている。また、北京の多くの集合住宅では依然として封鎖措置が取られているという。
中国経済の独り勝ちにはならない
V字型回復の様相を呈し始めている中国の製造業の活動についても、欧米経済の悪化による輸出鈍化や部品調達の困難化、いわゆるサプライチェーンの遮断が制約となって、急速な回復ペースは早晩頭打ちとなるだろう。
中国では欧米諸国や日本と比べて、政策対応の余地が大きい点もしばしば指摘される。欧米や日本の政策金利が既にゼロからマイナスとなっている中、中国の政策金利にはまだ下げ余地がある。
しかし、2008年のリーマン・ショック後の巨額の財政出動と金融緩和が、国内企業の過剰債務問題という構造問題を生じさせ、それが未だに解消されていない。この点から、中国においても今回は、金融・財政両面での政策対応の余地は大きくないだろう。
結局は、主な輸出先である欧米及び他のアジア諸国の経済が改善しない限り、「中国経済の独り勝ち」とは決してならない。仮にそのような状況が生じたとしても、ほんの一時的なものであろう。グローバル化が進んだ現状では、自国経済だけが助かるという道はないのである。
新型コロナウイルスが世界中に拡大する中、投資家にとっても、もはや逃げ場はないのである。各国が強く手を携えて新型コロナウイルス対策を進める以外に、経済が安定を取り戻すすべはない。
(参考資料)
“The West Can’t Contain the Coronavirus. Should You Shelter in China?”, Wall Street Journal, March 27, 2020
「中国の経済活動、再開するも立ち上がりは遅い(1)(2)(3)」、ダウ・ジョーンズ米国企業ニュース、2020年3月27日
プロフィール
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木内 登英のポートレート 木内 登英
金融ITイノベーション事業本部
エグゼクティブ・エコノミスト
1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。
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