&N 未来創発ラボ

野村総合研究所と
今を語り、未来をみつめるメディア

コロナ問題が米国社会の差別・格差問題を浮かび上がらせた

全米各地で、デモや暴動が拡大している。米国メディアの報道によると、抗議デモは少なくとも全米140の都市で発生し、40の都市で夜間の外出禁止令が出されている。この外出禁止令の広がりは、公民権運動を率いたキング牧師が暗殺された1968年以来、約50年振りのことだ。

一方5月31日には、イギリス・ロンドンの中心部には事件に抗議する人々が集まったほか、ドイツでもデモが行われ、混乱は欧州にも飛び火している。こうした動きは、新型コロナウイルス対策のために実施したロックダウン(都市封鎖)から経済再開に舵を切りつつある政策に、大きく水を差すものとなっている。混乱は、小売業などの営業にも大きな打撃を与えている。

米国のミネソタ州ミネアポリスで、黒人男性が警官の拘束下で死亡した事件が、このデモや暴動のきっかけである。マイノリティーに対する警察の不当な扱いへの抗議活動から始まったが、次第に暴徒化する動きへと転じてきている。

きっかけは黒人男性の死亡事件ではあったが、その底流には、米国で長く続いてきた差別問題がある。新型コロナウイルス問題が、こうした差別や格差問題を、改めてクローズアップさせたのである。

マイノリティーは感染リスクと経済的打撃の双方で不利に

収入が比較的少なく、大都市に住む割合が多い黒人の感染による死亡率は、人口に占める彼らの比率をかなり上回っている。これは、自宅でのリモートワークが難しい、対面接客等を伴う業務に就く割合が高い黒人などマイノリティーは、感染リスクが相対的に高いためである。加えて、経済的理由から医療保険に未加入の比率が高いことも、高い死亡率の理由として指摘されている。

他方でマイノリティーが多く就く職業・職種は、解雇、一時帰休の対象にもなりやすいだろう。つまり、黒人などマイノリティーは、新型コロナウイルス問題の中で、より感染リスクに晒される一方、より厳しい経済環境にも晒されやすいのである。そうした黒人たちの鬱積した不満が、デモや暴動の背景にある。

選挙を意識し敢えて対立を煽るトランプ大統領

またデモや暴動の拡大は、11月の大統領選挙とも関わってきている。トランプ大統領は、事態の収拾に動くどころか、デモ隊に対して強い敵意を剥き出しにしている。

トランプ大統領は5月29日にデモ隊を「凶悪犯」と呼ぶとともに、「略奪が始まれば、発砲が始まる」とツイッターに投稿した。ツイッターは「暴力を賛美している」と、この投稿に警告表示をつけた。

この表現は、1967年12月にフロリダ州マイアミ市警の本部長が、黒人が住む地域で騒乱が抑止されている理由を説明する時に使ったもので、長らく公民権運動グループから非難されてきたものだ。トランプ大統領はこの表現を敢えて使うことで、意図的に対立を煽っているのである。

また、デモ隊の暴徒化に関して、極左集団の関与を指摘する。トランプ大統領は5月31日に、反ファシズムを掲げるグループ「アンティーファ」をテロ組織に指定すると表明した。デモ隊を強く批判し対立を煽ることで、米国の分断をむしろ際立たせ、11月の大統領選に向けて保守層の支持を固める狙いがあるのだろう。

米国社会はコロナ対策に耐えられなかったのか

ところで、デモや暴動の拡大は、人と人が接触する機会を増やすことで、感染が再び広がるきっかけとなることも懸念されている。感染拡大の第2波は、自粛疲れの人々の気の緩み等から生じるのではなく、感染によって噴き出した格差、差別、経済的困窮などへの不満に端を発するデモや暴動の拡大から生じる可能性があるのだろう。

今回の問題は、新型コロナウイルスの感染拡大と感染拡大抑止策が、米国社会に深く染み付いた差別と格差の問題を浮かび上がらせたことを意味する。そして、米国社会がその安定を維持できる限界を超えた、つまりコロナ対策に耐えられなかったことを意味するのではないか。

デモや暴動の中から再び感染の拡大が広がる際には、その抑制は従来にも増して困難を極めることになるかもしれない。黒人などのマイノリティーが、今度は、公共交通機関の職員、 スーパー・ドラッグストアの店員、配達員などのエッセンシャルワークを拒めば、人々の生活は成り立たなくなるだろう。

他方で、感染拡大抑制のために経済活動を再び強く制限すれば、失業が増え、黒人などのデモや暴動はさらに先鋭化され、社会不安が極度に高まってしまう可能性もあるだろう。それはまさに、袋小路に陥った状況である。

 

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。