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休業要請の緩和「ステップ2」直後に東京で新規感染数が急増

東京都は6月1日に、幅広い業種で営業を認める休業要請の緩和「ステップ2」に踏み出した。商業施設や映画館など、幅広い業種や業態で休業の要請が解除されることになったのである。

しかし、あたかもその判断が拙速であったことを示すかのように、2日の東京都内での新型コロナ新規感染確認者数が30人以上になったことが、報道により明らかになった。30人以上となるのは、5月14日以来である。そうしたなか、感染拡大の警戒を都民に呼びかける「東京アラート」が発動される可能性が出てきている。発動されれば、レインボーブリッジや都庁の本庁舎が赤くライトアップされる。

東京都は、緩和・アラート・再要請を判断する際に用いる3つのモニタリング指標を示している。(1)1日あたりの新規感染者数、(2)新規感染者に占める感染経路不明の割合、(3)週単位の陽性者増加比、である。

緩和あるいは「東京アラート」発動の目安として、(1)1日あたりの新規感染者数は20人未満(週平均)、(2)新規感染者に占める感染経路不明の割合が50%未満(週平均)、(3)週単位の陽性者増加比が1未満、という数値を示している。

6月1日時点では、(1)は12.9人で目安を下回っていたが、(2)は56.7%、(3)は1.88と、基準を大きく超えていた。

2つの指標が目安を上回る中での休業要請緩和「ステップ2」

東京都は、休業要請の緩和に際して、この3つの指標の目安について、以下のように説明している。

「『感染(疫学的)状況』」の指標がすべて緩和の目安を下回った場合、その他の指標も勘案しながら、審議会の意見を踏まえ、総合的な判断により、緩和を実施。緩和については、2週間単位をベースに状況を評価し、段階的に実施する。」

つまり、本来、3つの指標のうち一つでも目安を上回っていれば、休業要請の緩和は実施しないのが原則だ。しかし東京都は、専門家の審議会から「移行は妥当」との見解を得たこと、医療体制も余力があることから、休業要請の緩和を実施したのである。

ところが、3つの指標のうち唯一基準を満たしていた、(1)1日あたりの新規感染者数に、黄色信号が灯ったのである。2日の新規感染確認者数が30人以上となったことで、週間平均でも目安の20人を早晩超える可能性が出てきた。

東京都は「東京アラート」発動の検討に入ったか

休業要請の緩和を撤回して再要請を行うことは直ぐにはない。しかし、「東京アラート」を発動して、感染拡大の警戒を都民に呼びかける可能性は出てきたのである。

東京都は、「東京アラート」発動に際して、3つの指標の目安について以下のように説明している。

「1項目以上の『感染(疫学的)状況』の指標の数値が緩和の目安を超え、その他の指標も勘案して警戒すべき状況と判断される場合には、『東京アラート』を発動し、都民に警戒を呼びかける」。3つの指標のうち一つでも目安を上回れば、「東京アラート」発動の要件を満たすのである。

一部報道によると、東京都は「東京アラート」を発動する検討に入ったという。

消費行動が再び抑制傾向を強めるか

「東京アラート」の発動は、予想外の緊急事態への対応といったことではなく、東京都が示したロードマップのなかでは、新型コロナの第1波と第2波の間の「第2波に備えた体制整備」の局面で、複数回発動することはもともと想定されていたものだ。

しかし、「ステップ2」の緩和を決めた直後に「東京アラート」を発動することになれば、コロナ対策の信頼性を損ねてしまう面が多少なりともあるだろう。

また、「東京アラート」の発動となれば、都民あるいはその他地域での消費行動にも抑制的な傾向が再び強まることになるだろう。経済再開への動きが、出鼻をくじかれた感もある。

地方主導でのコロナ対策の試金石に

ただし、大きな感染第2波を防ぐためには、「東京アラート」のような早期警戒システムは必要である。それは、人々に、感染リスクを減らすための理性的な行動を促すだろう。そしてそのことは、長い目で見た都民の生活や経済活動の安定の観点からはプラスだろう。

感染拡大抑止策は、緊急事態宣言のもとで国が強く主導する局面から、地方がファインチューニング(微調整)を行う段階へと既に移っているのである。今回の事態も、地方政府がその強い指導力の下で、感染拡大抑止に向けた有効策を打ち出していけるかどうかの試金石となるだろう。

再び緊急事態宣言が出されることがないように、地方政府の政策手腕に強く期待したい。

 

プロフィール

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    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。