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香港自治法の成立で米中間での制裁措置の応酬が始まるか

米中対立の次の大きな注目点は、中国による「香港国家安全維持法」制定を受けて、米国が打ち出す追加的な制裁措置の内容である。

米国議会は7月2日に、香港の自治の侵害に関与した中国・香港の当局者や彼らと取引のある金融機関に厳しい制裁を科す、「香港自治法案(Hong Kong Autonomy Act)」を可決した。トランプ大統領の署名をもって同法は発効することになるが、トランプ氏はまだ署名をしていない。

中国は、同法が成立すれば、米国に対して強い制裁措置を発動するとしている。中国が米中貿易合意を履行しないことを怖れるトランプ大統領は、署名を躊躇っているようだ。

しかし、仮に大統領が拒否権を発動して署名を拒んでも、両院が3分の2の多数で再度可決すれば法律になる。同法は超党派による強い支持の下で可決されていることから、大統領の拒否権は覆される可能性が高いだろう。他方、大統領が署名もせず、また拒否権も発動しない場合には、法案の可決・送付後、日曜日を除く10日で、法案は自然と発効する。いずれにせよ、同法は来週には発効して、米中間での制裁の応酬が始まる可能性がありそうだ。

金融機関が制裁対象となる点が重要

米国の香港自治法案で最も注意しておかねばならないのは、香港の自治を侵害した個人・法人と多額の取引のある金融機関を制裁対象としている点である。米機関からの融資の凍結などの罰則が科されることになる。

米国務省が90日以内に香港の自由を侵害した個人・法人を指定し、金融機関には指定された相手との関係遮断に1年間の猶予が与えられるという。対象となる金融機関は、主に中国の銀行が想定されている。

ところが、対象は中国の銀行だけではなく、香港の金融機関や外国金融機関にも広がる可能性があるだろう。その場合、中国の国家安全法ではなく、米国による中国・香港への制裁措置こそが、香港で活動する金融機関の活動を制限し、そのオペレーションの縮小につながる可能性も出てくるのではないか。

さらに、香港の金融機関への制裁措置の影響が、香港のドルペッグ制に及ぶ可能性がある点が非常に重要である。香港のドルペッグ制が見直された場合には、新たな為替リスクの上昇が、香港で活動する金融機関の活動を制限し、香港の国際金融センターとしての地位を低下させる可能性も出てくるだろう。

香港のドルペッグ制度に打撃を与える制裁案が一部で検討

7月8日にブルームバーグ社が報じたところでは、トランプ政権は、現在、対中制裁措置で複数の選択肢を検討しているが、トランプ米大統領の側近の一部は、香港ドルの米ドルとのペッグ制度に打撃を与えることを望み、具体的な措置を検討しているという。

経営陣が国家安全法の支持を表明したHSBC(香港上海銀行)、などが米国の制裁対象となるとの報道もある。HSBCはスタンダードチャータード銀行、中国銀行とともに、香港ドルを発行している。香港ドルの発行額をドル準備額以下に抑え、香港ドルを米ドルに交換することを保証することで、香港ドルの対米ドルレートの安定を実現しているのである。

発券銀行の一部でドル調達が制限されれば、香港のドルペッグ制度は揺らぐことになろう。ドルペッグ制度こそが、外国金融機関の香港ビジネスを支える要であることから、これは香港の金融ビジネスにとって大きな打撃である。

ドルペッグ制度の弱体化は最大級の制裁措置

ブルームバーグ社の報道によれば、こうした案は、ポンペオ国務長官のアドバイザーが幅広い議論を進める中で浮上したものであり、まだホワイトハウスの高官には伝わっておらず、支持を大きく広げてはいないようだという。それが正しければ、直ぐに実行に移されることはないのだろう。

しかし、将来的には米国による最大級の制裁措置として、香港のドルペッグ制度の弱体化策が採用される可能性は、強くは否定できないのではないか。その場合、中国でありながら中国ではない、あるいはバーチャル・チャイナという香港市場の優位性は大きく揺らぎ、国際金融センターとしての競争力低下は加速するのではないか。

少なくとも短期的には、中国の国家安全法よりも、米国の制裁措置の方が、香港の金融ビジネスにとってはより大きな脅威になる、と考えておくべきかもしれない。

 

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。