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デジタル人民元の発行準備が進む

コロナ問題、香港問題をきっかけに、米中間の対立が貿易分野から金融分野へと広がる中、米国の金融覇権を崩すことを狙って、中国は中銀デジタル通貨「デジタル人民元」の発行を急いでいる。

中国メディアによれば、中国の4大国有銀行が、デジタル人民元の専用アプリの大規模なテストを開始した。そのテストは深センなどの都市で実施されており、多くの行員が試験利用を行っているという。デジタル人民元のチャージ(預け入れ)や引き出し、送金、スキャン支払いなどのテストが行われていると見られる。デジタル人民元の送金は、相手の携帯電話番号だけで簡単に行うことができるようになるという。

中国がデジタル人民元を発行する最大の狙いは、米国が牛耳る国際銀行送金システムを利用しない国際決済の規模を広げ、また人民元の国際化を進めることにある、と筆者は考える。ただし当局には、中国国内の小口決済を支配しているアリペイ、ウィーチャットペイの影響力を低下させ、銀行を支援する狙いもあるようだ。

電子決済分野で遅れた銀行を支援する狙いか

フィナンシャルタイムズ紙は、中国人民銀行(中央銀行)が、デジタル人民元の発行を通じて、アリペイ、ウィーチャットペイの国内キャッシュレス決済市場における圧倒的な地位を弱めようとしている、と報じている。

中国のモバイル決済市場は2020年に、140兆元に達する見込みだ。その中で、アリペイは1~3月期に55.4%のシェアを占めた。アリペイ、ウィーチャットペイで、ほぼ市場を独占している状態だ。

モバイル決済市場を両者が牛耳るようになることを助けたのは、中国人民銀行の前総裁である周小川氏との指摘がある。周小川氏の退任と共に、それを問題視する意見が、政府内あるいは銀行界で高まっているのだろう。

カード決済大手の中国銀聯(ユニオンペイ)を介した2019年の決済額は189兆元に達しており、モバイル決済市場の規模を上回っている。この点から、アリペイ、ウィーチャットペイは、小口決済市場での自らの影響力は限定的であり、銀行の影響力は依然大きい、ということを強調している。他方で、銀行が十分に掬い上げていない個人や中小企業のニーズを満たしているという点で、自らと銀行とは補完的な役割を果たしていると主張している。

しかし当局は、電子決済分野における銀行の遅れを問題視しており、デジタル人民元の発行を通じて、この分野における銀行の存在感を高めることを狙っているのではないか。

アリペイなどは、銀行の決済システムに依存した形態のデジタル通貨であるが、それが広く利用されることで、利用者は銀行の決済サービスを利用しているとの意識が薄れていく。多くの場合には、アリペイの利用者は銀行に対して送金手数料を支払っていない。こうしたことが、利用者の間で銀行の存在感を薄れさせ、銀行ビジネス全体に逆風となる面がある。そこで、デジタル人民元の発行を通じて、銀行の存在感を改めて高める狙いが当局にはあるのではないか。

民間の決済プラットフォーマーをより監視・監督

デジタル人民元の利用者は、それを銀行だけでなくアリペイ、ウィーチャットペイからも入手できるようになる。彼らもデジタル人民元の代理発行者となるのである。両者はいわば同じ競争条件に置かれ、そのもとで、デジタル通貨の国民の利用がアリペイ、ウィーチャットペイからデジタル人民元へと移っていけば、小口電子決済業務における銀行の相対的な劣位は緩和されていく。

さらに当局は、アリペイ、ウィーチャットペイに対して銀行並みの規制を適用している。既に、中銀当座預金を持つことを義務付けることに加えて、銀行並みに自己資本規制も導入してきた。ウィーチャットペイとアリペイがデジタル人民元の代理発行者となれば、中国人民銀行に対してさらに資本準備金を預け入れることになりそうだ。

デジタル人民元は、アリペイ、ウィーチャットペイといったプラットフォーマーを今まで以上に当局の監督下に置き、国内決済システムの管理を強化することにも使われるだろう。そのもとで、プラットフォーマーは当局がより強く監督する銀行へと近付いていき、さらに公的な決済業務の一翼を担うように変容を迫れていくのではないか。

このように、小口決済業務での民業を制限する形で進められていくデジタル人民元構想のモデルは、他国での中銀デジタル通貨の枠組みについての議論にも、影響を与えるのではないか。

(参考資料)
"China aims to level field of digital pay &ldquo", Financial Times, August 4, 2020

 

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。