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NFTとは何か

個人投資家がSNS上で結託して株価を押し上げたゲームストップなど一部の米国株式銘柄、SPAC(特別買収目的会社)株、ビットコインと並んで、年明け以降、米国でその価格高騰に注目を集めているのが「NFT」だ。NFT とは、「Nonfungible Tokens(非代替性トークン)」の略であり、仮想通貨(暗号資産)に用いられているブロックチェーン(分散型台帳技術)を利用したデジタル資産を指す。主要ブロックチェーンであるイーサリアムを通じて、年初から2か月半の間に13億ドル相当のNFTが取引されたという。

NFTは、複製不可能で独自の識別情報を持つトークンである。オンライン上のアート作品や楽曲、ミーム(インターネットで流行した画像や映像)などがアーティストやアスリート本人、あるいは所属する組織が公式に認めた「原物」、「本物」であることが証明されている。

NFTを購入すると、音楽であれ画像であれ、デジタル資産の原権利を所有することができる。それは、購入者が所有権を譲渡する唯一のトークンを手に入れることと、各NFTがデジタル台帳にアップロードされ、所有権や作成日、販売日が記録されることによって証明される。

ただし現在のところ、米国ではNFTを取得すると、原資産の所有権は得られるが、著作権は所有できない。著作権者は依然として、作品を別途使用し、展示、配布、複製ができるほか、複製のNFTを新たに作成することもできる可能性があるという。

マニア以外にとってNFTの価値は曖昧ではないか

もともと、こうしたデジタル形式のアートや映像などは、全く同じものが無限に作成できることから、本人あるいは組織が公式に認めた「原物」、「本物」といっても、その価値は曖昧なものである。いわゆるアーティストやアスリートのファン、マニアだけが「本物」とのお墨付きを得られたものに価値を見出す、本来は限定的な市場と言えるのではないか。

しかし実際にオークションで落札し、また市場で売買するのは、多くはこうしたマニア、コレクターではなく投資家だ。しかも、落札価格、取引価格が非常に高い。そこに、本来の価値に比べて行き過ぎた価格上昇、いわゆるバブルの要素が強く感じられるのである。

いくつかの実例を見ると、今年2月には、ミーム動画の「ニャン・キャット」のNFTが50万ドルを超える価格で売れた。米プロバスケットボール協会(NBA)所属のレブロン・ジェームズ選手がダンクシュートを決める動画のNFTは、20万8,000ドルで買い手が付いた。3月11日にはクリスティーズで、ビープルというアーティストのデジタルコラージュのNFTが6,900万ドルで落札された。

また3月には、米ツイッター社のジャック・ドーシーCEO(最高経営責任者)が2006年3月に投稿したツイートが、291万ドルで落札された。

NFTの良い面が活かされずにブームが終わらないか

コロナ禍により、ミュージシャンらは大幅な収入減に見舞われた。彼らにとって、NFTは生活の糧となっている面がある。NFTの売却によって得られる収入に加えて、NFTがブロックチェーン上で取引されるときは、事前に定めたロイヤルティが作品を制作したアーティストのウォレット(口座)に送金されなければ、売買は完了しない仕組みとなっている。

また、コンテンツの作者や所有者の情報、取引履歴などを厳格に証明できるNFTは、アート作品などの知的所有権を保護する目的で利用される可能性も秘めているように思われる。

このように、相応にメリットも感じられるNFTではあるが、現状ではカネ余り下での投機の対象の一つになっている感が強い。アート作品などには関心がない投資家に持て遊ばれた市場になっている面が相応にあるのではないか。

いずれ価格が暴落すれば、アーティストらもNFTへの関心を失い、結局NFTの良い面が活かされずにブームが去ってしまうこともあるだろう。

(参考資料)
"Want to Buy an NFT? Here’s What to Know", Wall Street Journal, March 16, 2021
"NFTs: The Method to the Madness of a $69 Million Art Sale", Wall Street Journal, March 22, 2021
"After NFT Surge, Traders Worry Reopening Will Stifle Rally", April 1, 2021

 

プロフィール

  • 木内 登英のポートレート

    木内 登英

    金融ITイノベーション事業本部

    エグゼクティブ・エコノミスト

    

    1987年に野村総合研究所に入社後、経済研究部・日本経済調査室(東京)に配属され、それ以降、エコノミストとして職歴を重ねた。1990年に野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年には野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年に野村證券に転籍し、2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして、グローバルリサーチ体制下で日本経済予測を担当。2012年に内閣の任命により、日本銀行の最高意思決定機関である政策委員会の審議委員に就任し、金融政策及びその他の業務を5年間担った。2017年7月より現職。

※組織名、職名は現在と異なる場合があります。